介護はイヤだ

両親への積極的な介護をしていなかった(両親は平成24年度に相次いで死亡)、ダメな子供の戯言を書いています。

とりあえず近況

2012-04-09 13:01:20 | 日記
3/31(土)
 昨日の爆弾低気圧により、家の中が砂埃だらけとなってしまったので、午前中は掃き掃除と拭き掃除に潰れる。
 午後3時ごろに母のところへ行く。相変わらず声が擦れており、どこか空気が漏れている感じだが、入院当初に比べればマシになっていた。その母が叔母(←この漢字を使うのであれば当たり前ですが母の妹です)に連絡してほしいと言うので、帰宅後に連絡を入れる。
 
4/1(日)
 母のところへ午後1時30分ごろに行く。病室が変わっていたので、チョット迷った。
 入れ歯入れの容器が病院からの貸与品になっていたので、院内の売店で容器を購入。病室に戻って雑談していると、昨日連絡を入れた叔母及び従兄弟数名が見舞いに来てくれた。ほかの親戚の家にも寄る用事があるということで、途中まで送ってもらうことになるが、叔母が『昼食を食べていないだろう』と気を使ってくれて、私の家の近く(と言っても、約800メートル離れている)にある「バーミアン」で遅い昼食。実は、私は既に昼食を食べていたので、これが夕食代わり。

4/2(月)
 病院(担当医?)より勤務先に電話あり。
 『たまっていた水が大方排出されたので4日(元々、循環器科の診察予約日)に検査を行い、結果が良ければ退院させるが、退院日は土曜日のほうがいいでしょう』『改めて4日の日に電話を入れたいが、何時ごろに、どこに電話をすれば連絡が付くのか』と言う内容だった。
 金曜日は会議が予定されているので、どうしても退院と言うことになれば土曜日にしてほしい旨と、4日は午後7時までは会社に居るので、それまでに電話をいただけるのであれば会社に電話を入れて欲しい旨を答えて電話を終わらせる。

4/4(水)
 約束どおり、病院(担当医?)より勤務先に電話あり。
 当初懸念したほどの症状悪化は見られず、入院前の生活レベルは遅れる程度に回復した等、いろいろと親切な説明をしてくれたが、入院当初から母が施設への入所の当てが有る【注】と言ってしまった事も影響したのか、病院の指定した日に常に私が出向けないのであれば、療養型病院とかリハビリ専門施設あるいは介護施設等への紹介は出来ないので、早々に引き取ってくれと言うことだった。
【注】退院後、母にそのことを行ったら、本人は言った覚えがないと言い張っているが、私が咳払いして注意を促しているのに気づかず、何回か医師や看護士の前で『○○さん(ケアマネージャー)がいざとなったら、いつでも施設においでって言っているから、退院したらすぐに話さないと』と喋ってしまった。

4/6(金)
 翌日の母の退院を知っている役員が、何故か私を含めた数名を銀座のクラブへ連れて行く。
 オーナーであるママが私と話しが合うだろうと横につけてくれたホステス[鉄女]の出身地が北海道だと知ると、一緒に来ていた大矢君が「北海道好きなんだ」とか「俺の子供の名前には全て王偏つけてあるんだ」と話しに割り込んできてしまい、私は蚊帳の外。私の真向かいに座っていたママは苦笑い。
 この大矢君、関東に来て10年だが、鉄道を使って自宅に帰る手段を覚えていない[最終的には東武東上線だか、例えば池袋で乗り換えであれば、単純には「山手線」「地下鉄 丸の内線」「地下鉄 有楽町線」「地下鉄 副都心線」がある]。最初は『銀座』駅で「地下鉄 丸の内線」を薦めたが、『一人では方向がわからないから嫌』、次に「有楽町」付近まで来たので、「地下鉄 有楽町線」の「銀座1丁目」駅から直通又は池袋どまりに載せようといたら『直通の本数が少ない!池袋で迷子になる』と拒否。結局、新橋付近からJR東京駅丸の内側まで歩き、再び「地下鉄 丸の内線」の「東京」駅でやっと私を解放[当人いわく、銀座に行くために降りた駅だから判る]。

4/7(土)
 母が退院なので、朝の6時から家の内外を大掃除[2回に亙る大風で砂埃がマダマダとりきれて居なかったため]やゴミ燃し・風呂掃除。
 前回は、10時過ぎに病室を追い出されていたので、9時30分には病院に着きたいと思い、8時30分台のバスに乗ることにした。バス停へ歩いている途中で幼馴染と出会い、途中までは二人して介護老人を抱えた愚痴を話し合いながらバス及び電車で移動。私は彼の目的地とは違う途中駅で降りて、別のバスに乗り換えるためにJR駅前まで徒歩で移動。
 病院には9時40分ごろに到着。ベット入院費用の計算書がないので病室でしばらく待っていたり、帰宅方法が決まらずにタクシーを呼ぶのが遅くなったりして自宅に着いたのはお昼前[土曜日で会計がお休みだったから、入院大は後日精算]。
 3把茹でたウドンでお昼ご飯を済ます。昼食後、ケアマネージャーと親戚数件に電話連絡を終わらせて、すぐ近くに住む従兄弟に退院を知らせようと思った矢先に、先方が尋ねてきた。
 この後、爆睡してしまい、目を覚ましたのは午後7時。あわててお風呂を沸かし始める。お昼に茹でたうどんがまだ半分程度残っているので、夕食もウドン。入院前に購入した杏仁豆腐をチョットだけ食べてみたいと言うので食べさせる。

4/8(日)
 朝食は昨日のウドンの残り汁でオジヤを食べさせる。
 昼食時には、台所等にあった「エノキダケ 1袋」「ジャガイモ 2玉」「長ネギ2本」「玉ねぎ (小)1玉」「白菜 4枚程度」「ベーコン 4切れ」を入れた汁(面倒になると私はいつもこれを作る)をご飯にかけたオジヤモドキを食べさせる。事前に味見をさせたが『ジャガイモの煮物』を期待していたと言われてしまった。本人が希望したので、入院前にあけたままになっているパイナップルを1切れ食べさせたが、食中りは起こさなかったので大丈夫な様である。
 夕食は切り餅を焼き、昼に作った汁にぶち込んだ物を食べさせる。夕食後、今後の屋内での生活方法を軽く話し合い、ケアマネージャーが母に提案しているベットと歩行補助具を借りたほうが良いだろうと言うことに決めた。

4/9(月)
 ケアマネージャーが母に会いに家に来る予定。
 昨夜話した内容を復唱させて家を後にしたけれど、大丈夫かな~


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