フォンテーヌの家  わたしのつぶやき

横浜市南区で趣味の会[フォンテーヌの家」 

3月11日(土曜日)12年前の大震災の日の事を想い出していました…

2023-03-11 22:55:55 | 老人一人暮らし

予報通り、暖かい一日でした。3月11日は、誰もが忘れられない日になっているはずですが、
個人的には震災が無くても、生きている限り絶対忘れられないれられない日でした。

3月11日は、今年28歳になるわたし達夫婦の初孫のお誕生日です。
初孫のお誕生日が、母のお通夜になるなんて…初孫ちゃんも娘夫婦も戸惑っていました。
”お誕生日ケーキの代わりに、今日はお寿司を食べてね”と彼女に軽い口を言っていました。

母が12年前の3月6日、早朝に、動脈瘤破裂で急逝しました。
94歳でしたから、出来れば大森の自宅か横浜の我が家に来て欲しいと何度もお願いしたのですが却下。

亡くなった日は、琵琶湖マラソンがあった日ですので、お昼頃にはテレビの前に座っているはず。
マラソンとか駅伝は大好きでしたから…。ところが、マラソンが始まっても応答なしでした。

あり得ないことですので、ケアマネさんに電話をし、ベッドの脇に倒れていた母を発見。
それから、富士宮に向かい一晩富士宮の家に泊まり、翌日母の遺体と一緒に大森の自宅へ。

大阪から末の弟家族が、上京して来て大森に滞在。そして、11日がお通夜、翌日が告別式でした。
お昼過ぎに葬儀社の車が迎えに来て、母の遺体は葬儀場へ。
その車を見送り10階の母の部屋に戻って間もなく、大きな揺れに襲われました。

母の三面鏡が倒れましたし、食器棚の開きが空いてしまいグラスが落ちて粉々になりました。
揺れの大きさに驚き、幼かった姪たちの子供たちは泣き叫び、パニック状態でした。
4階の事務所にいた弟がやって来て、”揺れるように建ているから、つぶれる事は無いので心配しないで…と。

揺れは酷かったのですが、電気は来ていましたので、わたしはひたすら掃除器を掛けていました。
ガラスのかけらが飛び散ってますので、姪たちの小さな子供たちが怪我をしたら大変です。
お通夜が出来るかどうか、心配でしたが、お通夜も翌日の葬儀も予定通り行われました。

酷く揺れましたので、母の部屋に泊まるのは怖いと言い、葬儀場の宿泊の部屋をお借りすることに。
わたしは妹の家に泊めていただきました。

 

毎年、3月11日になりますと、この日の様子を思い出します。
12年前の3月6日に母が急逝、母を迎えに富士宮に行き宿泊し、母と一緒に大森に戻り葬儀の打ち合わせ。
バタバタしていました。その間、2月下旬に飾ったお雛さまは放置した儘でした。

棚から落ちて、ひな人形は壊れているのでは?と覚悟していましたが、お雛さまは大丈夫でした。
袋に入った雛あられが一つ、落ちていただけ。お雛様には全く異常なかったです。
何故か、裏の方に建つ公団住宅のお宅では、お風呂のお湯が零れ大変だったとか…。

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