フォンテーヌの家  わたしのつぶやき

横浜市南区で趣味の会[フォンテーヌの家」 

骨壺の 小ささ故に 気を病む吾

2013-10-01 21:04:38 | 日記
10月1日 火曜日 曇りのち雨

昨日と今日、1泊で名古屋の葬儀を経験して感じたことがある。
まず第一に人が亡くなった時、この辺りでは翌日通夜をする事はほとんど無い。

今回、29日の午後7時過ぎに異変に気が付き緊急入院しそのまま亡くなられた。
そして30日の夕方、7時から通夜、そして10月1日の午前8時半から告別式だったのだ。
わたしとしては、驚きながら違和感を感じていた。それだけ頭が硬くなっているのでしょうね。

それと通夜の後、お焼香においで下さった方々に精進落としのお料理の支度がないこと。
皆さんがお焼香を終えたら喪主からのお礼の挨拶、葬祭場の人から「お気をつけて下さい」の言葉のみ。
親族の控え室には巻き寿司やいなり寿司が大皿に盛られていて、法要の後、皆でそれを戴いた。
数年前、弘前の先輩のお宅に伺って居たとき、ご近所に葬儀があったときも驚いた。
告別式は火葬してお骨にした状態で行うというのだ。

日本に、こんなにいろいろな葬儀の方法があるとは・・・。何となく調べて観たくなる。
もし、娘たちが地方へ嫁に行ったらそれぞれ違った告別式を知ることが出来たのかもしれない。

それと出棺の前の喪主の挨拶の時、写真と白木に戒名を書いたもの、空の骨壺を持つ人が並んだこと。
空の骨壺はこの辺りでは持たない。その骨壺はとても小さな物なのだ。
比べるだけでも罰が当たりそうだけど、我が家の大きめの中型犬の骨壺と同じくらいの大きさだ。

火葬後、当然骨壺には入りきれない、と言うよりお骨全部を入れる気が無いのだという。
立ち会った次女も違和感を持ったよう。入らなかったお骨はどうするのだろう・・・、と。

あるじの葬儀の後、骨壺から少しお骨を取り出して、側に置いておきたいと思ったけど、
あの世であるじが歩けなくては可愛そうなので我慢して取り出さなかったのに。

所変われば・・・と祖母が言っていたが、まさにその通りだ。

昨夜は携帯からブログをアップした時、画像が重すぎて無理という警告が入ったので
再度送り直したが、パソコンを立ち上げてみたら重複して入って居た。慌てて削除。
日曜には銀座へ出掛けたし、少々お疲れ~。タクシーをつかって帰宅。疲れました。
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