玉川上水 花マップ

玉川上水沿いの主な野草の生育地図を作ります

玉川上水花マップを作る - 冊子に込めた想い -

2019-02-01 18:10:55 | その他



<科学的姿勢>
 玉川上水にはとくに珍しい動植物がいるわけではない。だが、周囲が市街地であることを考えると、「野草がなかなかある」ということになるし、三鷹駅やそれよりも下流の人口密度を考えると「よく残っているなあ」ということになる。見方によれば「風前のともしび」のようでもあり「絶滅は時間の問題」のようにも思える。
 私はその玉川上水を20年くらい眺めてきたが、3年ほど前からは、観察会を始め、じっくり調べたりしてきた。その過程で一人ではできないことが多人数ならできることを体感した。都市の緑地は常に変動しており、管理の仕方や破壊の程度によって大きく変化する。そうであれば、人数をかけて「玉川上水の今を記録する」ことは意味があると考えた。
 そこで関心のありそうな人に声をかけて「玉川上水の野草の今」を記録することにした。植物に詳しい人もいたが、ビギナーのほうが多かった。玉川上水は長さが30kmもあり、橋がほぼ100本あるので、橋と橋の間を区画として、分担して調べることにした。その時「確かにあった」という報告はデータとして利用しなかった。その人の人柄を信用しないわけではないが、人には思い違いもあるし、間違いもある。このことは厳密にしたかったので、花を撮影してもらったのだが、現に撮影された写真を見ると、多くはないが間違っていることがあった。だから「物的証拠」を残すことにしたのである。こうした記録は毎月私のところに送られてくる。人によっては100枚を大きく上回る写真を送ってくる。その整理はかなり大変であった。
 このことを4月から11月までの8カ月おこなった。分担区画が多い人はかなり大変だったはずだが、このことについては私は情け容赦をしなかった。「こんなはずじゃなかった」と感じた人もおられたに違いない。だが、1カ所でも欠損があれば、全体のデータに穴が空く。野草な好きの人の集まりではあるが、なんとなく花を見て楽しむのが目的ではなく、玉川上水の今を正確に記録することが目的であれば、それ以外にはやり方がないからだ。
 それにより、膨大な貴重なデータが取れたことは誇らしいことである。このデータは自然保護シーンでも高く評価されるに違いない。
 ここまでは、私の生物学研究者としての貌(かお)が出た面だと思う。科学的姿勢からすれば、事実の正確な記述には容赦してはいけない。それは私の30年の研究生活から学んだことだ。

ニリンソウ


<冊子作り>
 このデータは一覧表にして表で表現することもできる。だが、私はそうはしなかった。この貴重なデータを通じて、玉川上水の意味、価値を広く知ってもらいたいと思い、その表現方法はどうしようかと考え、小さな冊子にすることにした。その内容の最重要なのは「花マップ」つまり、その花が玉川上水のどこにあるかを表現した地図である。だが、私はそれだけにしなかった。そして、一つには写真を主体とした花の解説をした。これはよくある「どこどこの野草」という類の出版物にある表現だが、この種の本類にはどれも同じような記述がある。それは図鑑類を引用し、自分の言葉で書かれていないからだ。そこで、私たちの冊子では野草の解説だけでなく、玉川上水での生育の状況などを記述することでオリジナルなものにした。また実際に調査に参加したメンバーに短いエッセーを書いてもらうことにした。それも花の解説のようなものではなく、その花についての思い出とか、感想などを書いてもらった。それから私が花のスケッチを描いてマップに添えた。花のスケッチは生物学的に正確なものとした。こうしたことにより、この冊子はどこにもないユニークなものになった。できあがった冊子を手にした時、私は多くの人の努力が小さな冊子に注ぎ込まれているように感じ、ゆっくりとページをくった。
 私たちは玉川上水30kmの南岸と北岸を毎月歩いた。ただしゴルフ場などがあって歩けないところもあるから1カ月で歩いたのは50kmほどと思われる。これを8回おこなったから400kmということになる。これは東京から北は盛岡、西は神戸に相当する。これを2年だからその倍の800kmとなる。これは北は札幌の手前、西は北九州に達する距離である。とても一人ではできっこない「グレートジャーニー」である。


ホタルブクロ


 さて、この冊子を作るのは花の記録調査とは違う厳しさがあった。この冊子作りは松岡さんという優れたデザイナーによるところが大きい。できあがったものを見れば、できるまでに何事もなかったように自然に見えるが、水面下では文章の量と写真の種類や枚数などを細かく計算されている。「マップ」も私の勝手な要求に応えて一見、素朴で楽しげなものにしてもらった。見開きページの中央には螺旋(らせん)のリングをつけて、あたかもリングファイルの冊子を開くような感じがするという演出もある。冊子の後ろにある「ミニ図鑑」を見やすくするために、植物を単子葉植物、双子葉植物などに類型して、それがひと目でわかるように、丸に色をつけるようにしたが、私の指定とは違う色の校正が戻ってきた。その色が原色っぽくて良くないと思ったので、そのことを伝えると、松岡さんからは、「その色では色覚障害のある人には識別がむずかしいのでこの色にした」という返事が来た。私はこれは職人の仕事だと思い、深く納得した。
 よい冊子にしようという気持ちから、私はたくさんの要求をしたが、松岡さんが私に求めるものもなかなかの厳しいものだった。そのやりとりを見て「あの二人は仲が悪くなったんじゃないか」と心配する人もいたほどだった。
 膨大なデータの整理も冊子作りも大変ではあったが、それでも全体の感想を言えば、この作業は楽しいものだった。私は絵を描くことは好きだが、それは野帳などに鉛筆で描くものが大半で、丁寧に描いて色をつけることはほとんどしたことがないように思う。大学の現役研究者の時にはとてもそういう時間をとることができなかったから、野草の花を無心に描く時間は実に至福のときであった。複雑な花の重なりや、葉の陰影の表現などは実際に描いてみて初めてそのむずかしさがわかった。それだけにうまく描けた時はうれしかった。
 そう考えれば、冊子作りの多くの部分は科学者としての私の要素は小さく、自然の美しさを表現することを楽しむ私の貌(かお)が出たといえそうな気がする。


ノコンギク


<玉川上水の保全>
 昨年花マップ冊子の夏の号を作ったとき、メンバーで議論をしたことがある。それはオカトラノオとヤマユリがある場所をマップで表現するかどうかということだった。私は初めその意味がわからなかったが、一部の人から「その情報が盗掘に使われるのではないか」という声があったのだ。そう言われれば、そうでないとは言えない。貴重な野草を採集して販売するプロがいるから、危険があるというわけだ。だが、玉川上水は歩道に柵があり、中には基本的には入れないようになっている。また玉川上水は人通りが多く、ヤマユリのような大きな野草を掘って採る人などいるとは思えない。私にはこの冊子を手にして、玉川上水の野草の豊かさを再評価する人はたくさんいるだろうが、これを手にして盗掘する人というのは想像ができない。しかしそれは私の考えなので、夏の号ではある種の妥協をして情報を伏せた。
 私はこの議論はことの軽重のバランスを欠いていると思う。玉川上水を歩くとパンジーやチューリップが植えてあるのをよく見る。また調査で歩くとあっと驚かされることがある。野草が徹底的に刈り取られているのだ。こういう強い野草へのマイナス行為を取り上げないで、極めて稀な(ほとんどありえない)盗掘者のことを心配するのはいかにもことの本質を見誤っている。それどころか、大きな道路によって、野草を採る、採らないどころではない、無残にも永遠に失うということが現実に進行しているし、今後も予定されている。
 この冊子作りではそうしたことを考える機会にもなった。私が信じるのは、この記録性と独創性と芸術性で一定のレベルに達した冊子を手にした人が、改めて玉川上水の素晴らしさや価値に気づいてくれるに違いないということだ。それがこの活動のもともとの目的だ。この冊子はその力を持つ内容になったと自負している。それを実現したのが、植物の専門家でも、自然保護活動のプロでもなく、こう言っては失礼だが、ごく普通のおじさん、おばさんだったのだ。実に痛快な事だ。


ジャノヒゲ


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