回遊草(KAI YU SO)

さすらいの乙男妄想オヤジの妄想ブログ。あらゆるジャンルのカワイイを中心に浮気中?でも、惚れてるのはやっぱり「ミク」かな?

きょうは何の日 2009年6月11日~『DON!』~

2010-08-06 10:58:07 | 愛と世界平和と神の存在について
  悲しいニュース

またも幼いきょうだいの命(3才の姉と1才の弟)が、シングルマザーの母親から見捨てられるように失われました。


この世でいちばん尊いはずの「母の愛」は、どこへ失われたのでしょうか・・・?

「母の愛」は、【無償】の愛であり、たとえ子から“クソババア!”とののしられようと、自らを犠牲にしてまで「我が子」に惜しみない愛を降り注ぐものです。

ただ「神様の気紛れ」なのか、「男女の愛」は「本能」なのに、悲しいことに「母の愛」は「学習」して身に付けなければならないものなのです。

動物園で育った動物の「親」たちに「育児放棄」が珍しくないのは、そういう経験(母親に教えられること)がなかったからです。



もうひとつ気になったのは、「彼女」を語るときに

 風俗店従業員 「ホスト」遊びにハマって


などの「夜の世界(夜職)」にまつわる言葉が添えられていたことです。

「だから」「やっぱり」と、したり顔で決め付けられるのが、「理不尽」だと思うのです。

今や「市民権」さえ得たと言えるくらいに、「夜の世界(夜職)」の人々が脚光を浴びる時代です。

同時に、長い間、蔑(さげす)まれてきたことも事実です。

光あるところに陰が生まれます。

光がまばゆいほど、生じる陰(影)は黒く、闇は深くなります。

キレイ事ばかりを言うつもりはありませんが、全ての否定的なことに結びつけるのもフェアではないと思います。


煌びやかな光あふれる華やかな世界の陰に、苦しく厳しい「苦労」を背負いながら懸命に生きている「夜職」の人々の方が圧倒的多いはずです。


「彼女」は、とても重い「十字架」を背負うことになりました。一生懸かっても償いきれるか分かりません・・・。

けれど、私は「彼女」が「学んで」再び「母」になる日が来ることを願っています・・・。




 きょうだい シングルマザー 夜職

溜まっていた「録画」の中に、そんな懸命に生きたあるひとりの女性の短い生涯の話がありました。


私は、パソコンを立ち上げると、OCNのHPで「ニュース」の見出しをチェックしています。気になったものは、クリックして内容を読むのです。たいがい、1つか2つくらいですが・・・。


1年2ヶ月くらい前に、

  カリスマモデル嬢、急死

みたいな見出しを見たことは覚えています。

けれど、その時はクリックをしませんでした。だから、「誰」だったのか知りませんでした。


2ヶ月くらい前の「6月11日」の『DON!』で、それを取り上げました。「1年前」の出来事として・・・。

その「カリスマモデル嬢」の名前を見て、驚きました。 見覚えのある名前だったからです。 それも、私のよく知っている「雑誌」の「読モ」だったのです・・・。


これから書くのは、「6月11日」の『DON!』の放送(“きょうは、何の日”のコーナー)を簡単にまとめたものです。



  私にも何かできるはず・・・





そのカリスマモデルとは、彼女が好きだった「湘南乃風」の大ヒット曲『純恋歌』から「源氏名」を取った

  純恋(すみれ)

さんでした。

  「2009年6月11日」とは、

  モデル純恋の死亡が確認された日

なのです。まだ21歳の若さでした。







   1987年7月28日、岩手県奥州市で「純恋(本名:石川安里沙)」が生まれる。



4歳上の「兄」と「純恋」の「きょうだい」を育てた母は、「産婦人科の看護士」として働く「シングルマザー」だった。

ひんぱんに「夜勤」のあった母は、まだ幼い「純恋」を病院に連れてきていた。



母良子(りょうこ)さん:分娩してお産した赤ちゃんを連れて行くと

  “わぁ、生まれたの?! どっち、どっち?”

ってすごく喜んで、ご家族の方々にも、

  “おめでとうございます。”

って感じで、ほんとに自分自らも兄弟が生まれたって感じの本当に感動と言うか、そういうのをすごく表現する子だった・・・




「純恋」が5歳の時、今までになかった体験をする。「障害」のある赤ちゃんが生まれてきたのだ・・・。




母:やっぱり、最初見た瞬間は、

  “えっ?!”

って感じだったんですね・・・。 こういう病気を持って生まれる子どもさんもいるし、手が、指の本数が違うとか、症例というのがたくさんあって・・。だから、安里沙(純恋)は何も障害もなく生まれてきたんだから、こういう子に会ってもごく普通に振舞いなさいという話をした・・・


母の話を聞いた純恋は、どの赤ちゃんにも分け隔てなく接するようになる。




中学生になると、福祉施設でボランティア活動を始めた。








純恋:看護士として人の役に立っているお母さんのようになりたい。

   私にも、何かできるはず。




その裏には、大好きな母に認めてもらいたいという気持ちがあった。



高校生になると、「純恋」にはもうひとつ

  デザイナーになる

という夢ができた。



しかし、「田んぼ」ばかりの地元にいては夢は叶えられそうにない。「東京」へ出て行くお金がなかった「純恋」は、高校を卒業するとひとまず「仙台」で働くことに・・・。

見つけた仕事は「キャバ嬢」だった。

源氏名は、「湘南乃風」の『純恋歌』からとって、「すみれ」と当てた。

「純恋(すみれ)」が、誕生したのだった。





デザイナーの夢を叶える手段として「キャバ嬢」を選んだ娘に対して、母は反対しなかった。



母良子:“どうせやるならNo.1にならないとダメだよ”って言ったのが、それがきっかけですごく頑張ったみたいで・・・

(美貌と?)相手を思いやる優しい人柄が人気で、「純恋」はまたたく間に「No.1」になった・・・。



仙台で働き始めて2年、「二十歳」になった「純恋」に“人生を変える出来事”が・・・。

ある雑誌の「モデル」にスカウトされたのだ。ちなみに、この時に使われた「再現ビデオ」は、いろいろ調べたら『仰天ニュース』での特集のようです



その「雑誌」こそが、『小悪魔ageha』だったのだ!



つまり、「カリスマモデル」とは、「カリスマage嬢:純恋」のことだったのだ!

(余談ですが、ここで「純恋」という名前を記憶していました。顔までは覚えてなかったけどw、「純恋(すみれ)」という名前がカッコイイと印象に残ったのです。)



純恋:東京でモデルになって有名になれば、デザイナーの夢に近づけるかも・・・

2008年5月「age嬢」としてデビューすると、たちまち評判となり人気モデルの仲間入りを果たす。





「純恋」の魅力についてご存知「中條寿子編集長」(キタ─wwヘ√レvv~(゜∀゜)─wwヘ√レvv~─ !!!)は、こう語る。





謙虚で控え目で、人が前に出る時に自分は後ろに下がっちゃうみたいな、そういう感じのちょっと離れて、自己主張のできない子だから逆に心配だし気になるし、応援しなきゃと思うしっていう・・・





「純恋」は、自分の出ている「ageha」を母に見せた。



母良子:“実はねぇ、これがジャジャン!「純恋」なの!”って・・・

     う~ん、やったね!って、本当に頑張ったねって思って、すごい嬉しかったです。ホントに嬉しくて・・・。









「純恋」は、夢に向かって一歩一歩近づいていった・・・。

その反面、彼女の体は少しずつ蝕(むしば)まれ始めていた・・・

「モデル」と「キャバ嬢」を両立させるため、東京と仙台を往復する多忙な日々・・・。



その頃の「彼女のブログ(【純恋童話】)」には、こんな書き込みも・・・



純恋:そーぃぇば昨日のageha撮影の時、、、


    最悪にも仕事カラ寝ないで行ったのでスゴク眠かったの


    ・・・あと2時間後に起きなきゃだから寝なきゃ





体の限界を感じた「純恋」は、キャバ嬢をやめる。そして、念願の東京へ引っ越した。



その1ヵ月後には、自らデザインしたブランド【DIVAS(ディーバス)】を立ち上げる。







ついに、デザイナーになる夢を叶えた。





そして、この頃から、再びあの「想い」が心に浮かび上がってくる。



看護士だった母から影響を受けたボランティア。

  障害のある人の役に立ちたい。



そして、障害のある子どもたちのために「無償」で行われる【イルカセラピー】のことを知る。

イルカと触れ合うことで、他人に恐怖心を抱く子が穏やかになることがあるという。



「純恋」は、“ぜひ協力したい”と名乗りを挙げた。

しかし、開催するには数百万円という「多額の資金」が必要だった。




 “私にも何かできることがあるはずだ”




字数制限を越えたので、「つづき」は②で・・・


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