たぶん、去年だったと思うけれど、『ヘキサゴン』で紳助さんが「おバカ」なタレントさんやアイドルたちを「イジ」っていたのを見て、あんまり快く思いませんでした・・・。
たとえば、彼・彼女らに「問題文」を読ませて…、というより難しい「漢字」や「英語」が分からなくて滅茶苦茶な読み方をするのを面白がるコーナーみたいなのがありました。なんか、まるで「さらし者」にしてるみたいで、あんまり気持ちのいいものではありませんでした。
学校とかで、勉強が出来ない子が「バカ」にされるんじゃないのかなとか、彼・彼女の「親」たちはどんな思いで見ているだろうかとか、心配でした。というか、そんなことで「笑い」を取ろうとしている紳助さんに、不信感さえ抱いたものでした・・・w
さて、それから一年が過ぎて、歌の世界に進出した彼・彼女らは、「おバカキャラ」として大ブレイクしました。
『ヘキサゴン』をずっと観ている訳ではないので、途中経過などはよく分かりませんが、今やすっかり人々の心を掴んでいるようですね。
「羞恥心」の三人は、ともに「イケメン」たちで、先行の「Pabo」たちが「アイドル」だったのと同じように、見た目では「かっこいい」「かわいい」人たちです。
女性の場合は、むしろ「おバカ」な方が「可愛い」と男たちは言います。ちょっと「上から目線」でいたい願望の表れでしょうか?
この心理は、西洋でも“ブロンドグラマー(金髪でナイス“バディ”w)は、「おバカ」”という「定説?」があるようです・・・w
ところが、「男」の方はと言えば“「いい男」は、(頭も)「いい男」でなければならない!”みたいな「伝説?」があったのです。
だから、「イケメン」=「頭もいい」は当然だと思われていて、なぜなら「男社会」だから、もし「おバカ」が「発覚」すればスターとしての地位を失うことを意味していました・・・w
言ってみれば、「普通」を「0」として「イケメン」を「+50」とすれば、「おバカ」は「-100」くらいの意味があったのです。
もうひとつ忘れていけないことは、「頭のいい人」=「人としてもいい人」という社会的な認識が行き渡っていたということです。
勉強が出来る(頭がいい)→いい学校(大学)へ行く→いい会社に入る=いい「人生」を送る(いい人である)
という大雑把な方程式が、当たり前の社会(いわゆる「学歴社会」)が出来上がっていました・・・。
しかし、考えてみれば「犯罪者」にも「知能犯」と呼ばれる人もいるし、「サスペンスドラマ」を見ていれば、みな犯人は「頭がいい人」たちばかりである。(ex.新しくは『ガリレオ』、古くは『刑事コロンボ』など・・・)
考えてみるほど、「頭がいい」と「人がいい(善人)」との間の「相関関係」は不確かになってきます・・・。
「政治家」や「官僚」「公務員」とか・・・。
そして、その対極である「頭が悪い人(おバカ)」=「人が悪い人(悪人)」という方程式が間違っているのでは、という疑問は、長い間「放置」されてきたのではないでしょうか・・・?
そういう「火中の栗」を拾ったのが、『ヘキサゴン』であり、「紳助」さんだったのではないでしょうか・・・?
「頭」は「おバカ」であっても、「心」は優しく真面目な「いい人(善人)」であることを、紳助さんは[敢えて」彼らをイジリ続けることによって引き出し、衆目を集めることに成功したのだと、言えないでしょうか?
「おバカ」は「お利口」より「ハンデ」かもしれません。でも、「ハンデ」を持つ多くの人たちがそうであるように、その「ハンデ」に負けないくらいの素敵な「宝物」を持っているのではないでしょうか・・・?
昔学校で習った「正規分布」によれば、「頭のいい人」と同じくらい「頭の悪い人(おバカ)」もいるはずです・・・w
「おバカキャラ」たちが「活躍」してくれたお陰で、たくさんの人たちに「夢」や「希望」や「元気」を与えているのかな・・・?
「勉強が出来る(頭がいい)こと」よりも、もっと「素晴らしいこと」って、なんだと思いますか・・・?
たとえば、彼・彼女らに「問題文」を読ませて…、というより難しい「漢字」や「英語」が分からなくて滅茶苦茶な読み方をするのを面白がるコーナーみたいなのがありました。なんか、まるで「さらし者」にしてるみたいで、あんまり気持ちのいいものではありませんでした。
学校とかで、勉強が出来ない子が「バカ」にされるんじゃないのかなとか、彼・彼女の「親」たちはどんな思いで見ているだろうかとか、心配でした。というか、そんなことで「笑い」を取ろうとしている紳助さんに、不信感さえ抱いたものでした・・・w
さて、それから一年が過ぎて、歌の世界に進出した彼・彼女らは、「おバカキャラ」として大ブレイクしました。
『ヘキサゴン』をずっと観ている訳ではないので、途中経過などはよく分かりませんが、今やすっかり人々の心を掴んでいるようですね。
「羞恥心」の三人は、ともに「イケメン」たちで、先行の「Pabo」たちが「アイドル」だったのと同じように、見た目では「かっこいい」「かわいい」人たちです。
女性の場合は、むしろ「おバカ」な方が「可愛い」と男たちは言います。ちょっと「上から目線」でいたい願望の表れでしょうか?
この心理は、西洋でも“ブロンドグラマー(金髪でナイス“バディ”w)は、「おバカ」”という「定説?」があるようです・・・w
ところが、「男」の方はと言えば“「いい男」は、(頭も)「いい男」でなければならない!”みたいな「伝説?」があったのです。
だから、「イケメン」=「頭もいい」は当然だと思われていて、なぜなら「男社会」だから、もし「おバカ」が「発覚」すればスターとしての地位を失うことを意味していました・・・w
言ってみれば、「普通」を「0」として「イケメン」を「+50」とすれば、「おバカ」は「-100」くらいの意味があったのです。
もうひとつ忘れていけないことは、「頭のいい人」=「人としてもいい人」という社会的な認識が行き渡っていたということです。
勉強が出来る(頭がいい)→いい学校(大学)へ行く→いい会社に入る=いい「人生」を送る(いい人である)
という大雑把な方程式が、当たり前の社会(いわゆる「学歴社会」)が出来上がっていました・・・。
しかし、考えてみれば「犯罪者」にも「知能犯」と呼ばれる人もいるし、「サスペンスドラマ」を見ていれば、みな犯人は「頭がいい人」たちばかりである。(ex.新しくは『ガリレオ』、古くは『刑事コロンボ』など・・・)
考えてみるほど、「頭がいい」と「人がいい(善人)」との間の「相関関係」は不確かになってきます・・・。
「政治家」や「官僚」「公務員」とか・・・。
そして、その対極である「頭が悪い人(おバカ)」=「人が悪い人(悪人)」という方程式が間違っているのでは、という疑問は、長い間「放置」されてきたのではないでしょうか・・・?
そういう「火中の栗」を拾ったのが、『ヘキサゴン』であり、「紳助」さんだったのではないでしょうか・・・?
「頭」は「おバカ」であっても、「心」は優しく真面目な「いい人(善人)」であることを、紳助さんは[敢えて」彼らをイジリ続けることによって引き出し、衆目を集めることに成功したのだと、言えないでしょうか?
「おバカ」は「お利口」より「ハンデ」かもしれません。でも、「ハンデ」を持つ多くの人たちがそうであるように、その「ハンデ」に負けないくらいの素敵な「宝物」を持っているのではないでしょうか・・・?
昔学校で習った「正規分布」によれば、「頭のいい人」と同じくらい「頭の悪い人(おバカ)」もいるはずです・・・w
「おバカキャラ」たちが「活躍」してくれたお陰で、たくさんの人たちに「夢」や「希望」や「元気」を与えているのかな・・・?
「勉強が出来る(頭がいい)こと」よりも、もっと「素晴らしいこと」って、なんだと思いますか・・・?