『古事記』中巻の昨日の講義の部分の「歴木」に「くぬぎ」のルビがあり、注記に「櫪の拆字」とあった。
先生のお話によると、漢字を偏・旁などに分解して占ったということだ。
本来は「櫪」という1文字が、本文では偏・旁を分けて「歴木」と書いてある。
漢字に関して人並み以上の関心を持っている私は、この手の話にはすぐに目の色が変わる。
「拆字」って何?
今回拆字についての詳しい説明は残念ながら無かった。
『大漢和』で調べてみると、「占卜の一種。文字を偏旁冠脚などに分解し、其の意味によって事の吉凶を卜ふ法。松を十八公と言ひ、~~~~」とあり、『漢書』に見られるようだ。
そう言えば、米の字を分解して八十八で、八十八歳の祝いを米寿と言う。
中国には逆に二つの漢字を合体させた合文なんてものもあったっけ・・・
2つの文字の音を合わせて1文字で表す合音というものもある。
漢字っておもしろい~~
今、『中国古代漢字学の第一歩』を読んでいるが、この本には拆字に関しては書かれていなかった。
最初に目に止まった箇所、それは序文である。
著者李学勤氏が1951年に北京図書館で知り合った一人の青年について書いている。
「この青年は当時郵便局で働いており、空き時間を利用して図書館によくやって来ました。夜となく昼となく、極めて勤勉に勉強していました。彼は一生懸命にとても多くの甲骨文関係の書籍を読みましたが、指導者を得ることができず、ついには何の成果も得られませんでした。~~~」
すご~~~く身につまされる一文ではある。
「このような例は、私がたまたま見かけたものでも少なくありません。」ともあり、これらの人たちの手助けのために第一歩となるこの入門書を書いたとある。
が、「何の成果も得られなかった」とは?
この著者が言う成果とはなんだろう?
彼はただ甲骨文について知りたかっただけではなく、
研究者・学者などになることを目標としていてそれが果たせなかったというのだろうか?
このあたりが国民性の違いだろうか?
ただただいろいろ知りたいだけで学習している小母さんがいることを知ったら、この李氏は何と言うだろう?