春 夏 秋 冬

めぐり来る 春夏秋 麗しき 大和し護れ 民草いとえ 
          

ブログ休止のお知らせ

このブログの表題に入れた短歌の、春夏秋冬の中の冬の字が、誰かによって削られて、修正不能になって久しいのですが、昨日から編集画面までが、誰かにいじられたようで、出す事が出来なくなっています。 この記事作成画面も、何時使用不能になるかもしれない状況にありますので、 春夏秋冬はこの記事をもって、しばらく休ませていただく事にしました。(2010年3月) * * * * * * *  Fc2ブログに不祥事が起き、広告主が引き上げたそうです。 Fc2は何時終了になるか予断を許さない状況かと思い、 気になる過去記事を少しずつ、こちらのブログに写す事にしました。(2015・4・24)

あの道を再び歩く事にならないように=検察ファッショにNOを!

2010年01月17日 12時19分36秒 | 司法問題
kojitakenの日記によると右翼学者として有名な中西輝政が、昨年5月「文芸春秋」に、昨年の検察の小沢秘書逮捕を、戦前ファッショと同じであると書いていたそうである。
その一部を引用させていただく事にしたい。
(引用始め)
中西は、昭和初期には「政治の不在」が「軍部の暴走」を招いたとし、極右政治家として悪名が高く、半ば公然と政党政治に反対の姿勢をとっていた平沼騏一郎(平沼赳夫の養父)が検察のトップに立っていた歴史的事実を指摘する。そして、反政治的な司法が暴走した例として、昭和9年(1934年)に起きた帝人事件を挙げている。贈収賄で、鳩山一郎をはじめとする多数の政治家が連座したこの事件で、時の斎藤実内閣は総辞職に追い込まれたが、この帝人事件はなんと検察のデッチ上げだった。昭和12年(1937年)に全員無罪の判決が下ったが、時すでに遅し。日本は泥沼の戦争に突っ込んでいた。中西は斎藤実内閣が前年脱退した国際連盟への復帰の動きを見せ、高橋是清蔵相によるデフレ脱却のための積極財政政策が功を奏すなど、「バック・トゥー・ノーマルシー(常態への回帰)」を合言葉とし、「新規まき直し」(ニューディール)に取り組み始めていた内閣だったと評価している。そして、帝人事件の陰で暗躍したのが前記の平沼騏一郎であったことは研究者の間で定説とされていると指摘し、
政党政治を否定し、統制経済の下、対外強硬策を支持する平沼らの政治姿勢は、当時ムッソリーニのイタリアで一世を風靡していたファシズム政治になぞらえ、政党つぶしを目論むという意味で「検察ファッショ」と呼ばれた。端的に言えば、戦前の議会政治の息の根を止めたのは、この検察のデッチ上げの疑獄事件だったのである。
(『文藝春秋』 2009年5月号掲載 中西輝政「子供の政治が国を滅ぼす」より)
と書いている。
さらに、戦前の検察は単に平沼らトップの陰謀に単純に操られて政財界の腐敗摘発に進んでいったわけではなく、そこには「清潔」を求める国民の支持があったとしている。
(『きまぐれな日々』 2009年4月11日付エントリ「『文藝春秋』5月号-平凡だった立花隆と驚かされた中西輝政」より)
なんと、ちょっと背筋に冷たいものが走るほど現在と酷似した状況ではないか。昨年の西松事件捜査の時と比較しても、現在の状況の方が中西が書く1930年代の状況に似ている。
鳩山一郎をはじめとする大勢の政治家が連座した1934年の帝人事件は、検察のデッチ上げだった。この事件が響いて内閣総辞職に追い込まれた斎藤実内閣は、前年、岸信介や安倍晋三と縁戚関係にある松岡洋右の有名な演説とともに脱退した国際連盟への復帰の動きを見せ、高橋是清蔵相によるデフレ脱却のための積極財政政策が功を奏すなど、「バック・トゥー・ノーマルシー(常態への回帰)」を合言葉とし、「新規まき直し」(ニューディール)に取り組み始めていた内閣だった。ところが、極右政治家として悪名が高く、半ば公然と政党政治に反対の姿勢をとっていた平沼騏一郎(平沼赳夫の養父)がトップに立っていた検察は、デッチ上げに基づく捜査によって斎藤内閣を潰し、日本は戦争への道を歩んでいった。span>(引用終わり)
kojitakenさんも言っておられるようにちょっと背筋が寒くなりそうなほどに、 昨年の西松事件、今年の小沢幹事長の秘書と、元秘書で現職の国会議員の逮捕劇は、状況が酷似している。
今又検察の策謀のままに国民が操られたら、又してもあの破滅的な戦争を起したときと同じ道を、日本人は歩ませられる事になるのかもしれない。 再びkozitakenさんの言葉を引用したい。
(引用始め)
今また鳩山一郎の孫が総理大臣を務める内閣では、亀井静香が積極財政論を唱えているし、菅直人が成長戦略に環境技術を据えて、(明言はしていないものの)グリーン・ニューディール政策に取り組み始めている。一方、下野した自民党は再来週に行われる党大会で、右翼イデオロギー色の強い運動方針案を採択する見込みで、こんな政策でどうやって政権を奪回するつもりなのだろうかと訝っていたのだが、東京地検特捜部による一種のクーデターとセットになった戦略だと考えれば、その意図が理解できる。つまり、昨年夏の衆院選における惨敗によって民主主義的なプロセスでは理想を実現することができなくなった、岸信介の流れをくむ一派(清和会のうち、非ネオリベ系の旧保守タカ派政治家たち)は、強硬手段に出るしかないと考えていて、今回の東京地検による石川知裕議員の逮捕はその一環であると解釈できるのである。政治とカネの問題でズタズタになった民主党相手であれば、自民党が極右政策を掲げても選挙に勝てると、おそらく彼らは踏んでいる。(引用終わり)