春 夏 秋 冬

めぐり来る 春夏秋 麗しき 大和し護れ 民草いとえ 
          

ブログ休止のお知らせ

このブログの表題に入れた短歌の、春夏秋冬の中の冬の字が、誰かによって削られて、修正不能になって久しいのですが、昨日から編集画面までが、誰かにいじられたようで、出す事が出来なくなっています。 この記事作成画面も、何時使用不能になるかもしれない状況にありますので、 春夏秋冬はこの記事をもって、しばらく休ませていただく事にしました。(2010年3月) * * * * * * *  Fc2ブログに不祥事が起き、広告主が引き上げたそうです。 Fc2は何時終了になるか予断を許さない状況かと思い、 気になる過去記事を少しずつ、こちらのブログに写す事にしました。(2015・4・24)

福知山線脱線事故の真の責任者を逮捕せよ!

2009年07月09日 15時05分46秒 | 国内情報

JR福知山線脱線:JR西社長起訴 「どうして社長だけ」遺族らに不満の声 
◇検察審申し立てへ
 「どうして山崎社長だけなんだ」。JR福知山線脱線事故から4年2カ月余。神戸地検は8日、大規模な鉄道事故では異例の経営幹部の刑事責任を問うた。山崎正夫JR西日本社長(66)の業務上過失致死傷罪での在宅起訴と、本人の社長辞任の表明。今も最愛の人を亡くした悲しみが癒えない遺族や、負傷者らは、起訴処分を評価する一方、利益最優先の企業体質を築いたとされる当時の経営トップらの不起訴処分には不満を漏らした。遺族らは今後、起訴されなかった井手正敬元相談役(74)ら旧経営陣の訴追を求め、検察審査会に不服を申し立てる方針だ。【衛藤達生、池内敬芳、津久井達、山田奈緒】



別の毎日新聞記事によると、
  元委員の一人は「社長としての責任を問うというのならまだ理解できるが、山崎社長は事故当時は子会社の社長。気の毒とも思う」と率直に語った。最終報告書では、現場カーブへの自動列車停止装置(ATS)設置が遅れたことも指摘した。これについて別の事故調関係者は「設置が会社の計画より遅れたことは事実だが、事件の予見可能性との関係性は薄いと思っていた。検察当局はATS未設置という責任を重く見たのだろうが、どの段階でATSが必要だったかという判断は非常に難しいのではないか」と話した。【長谷川豊】という。

山崎社長は工事をしたときの責任者と言っても、下請け会社の社長なのだから、
責任者は注文主のJR西の当時の社長だった人であるはずである。
当時の社長は総てを任せていたから自分は知らないと言っているそうであるが、
総て任せていたと言っても、予算までは任されるわけではないはずだし、
任せれば責任が無くなると言うのであるならば、
何の為に社長は有ると言うのだろう。
責任があるからこそ、安全面についても、本気の対応が期待できると言うものなのではないだろうか?

それにカーブの工事をしてから8年経っているそうであるが、事故は此れが初めてであったそうである。
カーブでも安全速度を守って運転していたら、あのくらいのカーブは、日本全国には幾らでもあるそうであるが、事故が多発していると言うわけではない。

当時の福知山線は、競合する私鉄と速度競争をしていて、
日常的に無理な運転を運転手に強要し、1~2分でも運転時間がオーバーしたら、
遅れたと言うだけで、その原因理由を問わず、「日勤教育」と呼ばれて運転手達に恐れられていた、制裁措置を常習的にしていたそうである。

この事故は鉄道線路の作り方が原因と言うよりは、当時のJR西の営業方針が原因の事故だと言って間違いないのではないだろうか。
事故の日、あの事故を起こした運転手は、他の処で手間取る事が有って、時間が守れなくなりそうだと、慌てていたそうではないか。
その為時間の埋め合わせをしようと、カーブに差し掛かっても速度を落とさず突っ切ったのが、あの事故の主な原因であったと、事故当時のテレビ番組で聞いた記憶がある。

そういうことを一切不問に付して、カーブに自動列車停止装置(ATS)を設置していなかったのが事故の原因であるから、工事責任者であった子会社の社長を、責任者として起訴すると言うのでは、
本当の問題点と責任者を逃がす為に、責任の無い山崎社長をスケープゴートにしているように見える。
福知山線脱線事故の規模の大きさ被害者の多さから、
誰も責任者を起訴しないのでは世間が通らないので、
当面の責任者として山崎社長を起訴したという事ではないだろうか。
裁判が進んで行ったら、山崎社長の罪を問うことも出来ないとなることは織り込み済みで、
誰も有罪の者を出さずに終わらせる為の布石として、
山崎社長起訴と言う事にしたのではないかと疑いたくなってくる。

安全より儲けを優先させた、この事故の本当の責任者を起訴して、
JR西の問題点を、本気で是正する為の裁判をしてもらいたいものである。