楽しきかな第二の人生

黒衣おじさん&看板おばさんと愛犬福太郎の物語。

涙を流して読んだ「大地の子」

2012年01月30日 | 日記


今回のパックパックの旅ープーケットーは、時間たっぷりあるので何か本を持っていくようにと倅に言われた。
ぶらりとブックオフに行って物色していると山崎豊子の「大地の子」が目に入った。単行本で4冊。この位の量ならちょうど読み終わるかなと買い求めた。
確かに、時間はたっぷりあり、乗り物の中で、ビーチのチェアーに寝そべって、ベットの上で、読むことができた。
内容は、実際にあった中国残留孤児の半生を小説化したもので、読み進むにつれて涙がこぼれ落ちた。こんなに悲惨なことが実際に起こっていたのか、もしかしたら、黒衣(くろこ)おじさんも同じ運命をたどったかもしれないと眼がしらが熱くなってしまった。
あらすじ
 中国 残留孤児・陸一心(ルーイーシン・日本名 松本勝男)は、ソ満国境に近い日本人開拓村で数え7歳になり国民学校に通っていた。終戦直後、ソ連軍の侵攻により、村を棄てて逃げるが、途中、祖父、母を亡くす。妹(あつ子)と勝男は生き延びるが、中国の農民に別々に引き取られ離ればなれになる。
引き取られた勝男は、「小日本鬼子」といじめられ家畜のようにこき使われる。妹と会いたい一心に逃げ出すが、親切を装った中国人にだまされ売りに出される。
その時、陸徳士(ルートウチ)に救われ、我が子、陸一心として大事に育てられる。大連工業大学を卒業した陸一心は、北京鉄鋼公司の技術者となるが、文化大革命の吹き荒れ批判闘争大会で日本人と言うだけで労働改造所に送られ過酷な労働を強いられる。
そこも、養父陸徳士の子を思う信念によって釈放されることとなり再び北京鉄鋼公司に勤める。その後、日本と中国の共同事業の製鉄プラント建設の話が持ち上がり、日本語が話せるということで日本との直接交渉を行う国務院重工業部勤務となる。
一方、実父(松本耕次)は現地招集されたが戦地に出向かないまま終戦を迎える。復員し出身地の長野に戻ってくるが、生き残って戻ってきたことで肩身が狭く、結局、長野を離れ北九州の製鉄所の技術者となる。九州の地に居ても家族のことは忘れることなく消息を探し続けていた。ある時、満州から戻ってきた女性から、松本耕次の子供たちとは、逃げる途中まで一緒だったという情報が入る。しかし、探しあぐんでいた。
陸一心も妹を探し続けていて、妻(陸一心の命の恩人、看護婦の江月梅と結婚していた)から、とある寒村に生活指導に行った時、妹さんらしき人がいたという話を聞き訪ねて行く。そして、床に伏していた女性に逢い昔話をするが、記憶が薄らいでいて妹である確信は得られない。しかし、持っていたお守りが決め手となり、36年振りに妹(あつ子)とめぐり合うことが出来た。それもつかの間、過労のため身体を壊し床にあった妹は間もなく息を引き取る。
 そこに、父松本耕次が肉親捜しで帰国した残留孤児たちから娘のあつ子らしい女性がいるのとの情報を得て訪ねて来た。
「松本先生どうしてここに・・陸さんこそどうしてここに?」
奇しくも、その時、日本と中国の共同事業の製鉄プラント建設に、陸一心は中国側の技術者として、松本耕次は、日本側の現地事務所長として参加していたのだった。
そこで、初めて中国側プラントの技術者陸一心が息子の勝男であることを知る。
その後、陸一心の心は、父松本耕次に対する愛憎に揺れ動く。
製鉄プラント建設が進む中、陸一心は同僚の妬みから秘密文書を紛失する罠にはめられ製鉄プラント建設事業から外され僻地に左遷される。父松本耕次は冤罪を晴らすため、事務所長を辞することにするが認められなかった。養父陸徳士は冤罪であることを直訴する。
冤罪が晴れ、元の職場に復帰した陸一心は中国側の技術者として労苦を惜しまず働き、7年かけた事業もやっと完工式を迎え高炉に火が入り父松本耕次と息子陸一心は完成を喜ぶ。
そして、父松本耕次と息子陸一心は長江の船旅に出る。
そして父松本耕次から
「どうだ、この辺りで日本へ戻って来てくれないか、一緒に暮らしたい」と告げられる。
陸一心は、自らの生命を賭けて冤罪をそそぎ、救ってくれた恩愛の養父や養母、北京の妻子、一方、妻も子もなく一人で暮らす日本の父を思うと容易に決めかねた。
しかし、陸一心は「私は、この大地の子です」と中国に残ることを告げる(終)

何回か紹介したように、黒衣(くろこ)おじさん、大連で生まれました。戦況が悪化してきたため、両親は、乳飲み子の私と姉、兄3人を連れて終戦前に日本に戻りました。
当初、大連港から船に乗って日本に帰る予定でしたが、偵察機から黄海にはアメリカの潜水艦がうろうろしているという情報が入り、出航出来なくなった。今帰らないと、いつ帰れるか分からないとの両親の判断で、陸路を選び、汽車で大連から北上し奉天(瀋陽)に、そこから朝鮮半島を南下し釜山に行きました。釜山港から船に乗り無事日本に戻ってきましたが、帰国がもう少く遅くなり終戦を迎えてしまったら、私達兄弟も残留孤児になっていたかもしれない。そんな自分と陸一心がオーバーラップして涙を流してしまいました。

読み終わって、是非、この「大地の子」を皆さんに読んでもらいたい、そして、もうこのような悲惨で残酷な戦争は二度と起こしてほしくないとの思いで紹介させて頂きました。



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