楽しきかな第二の人生

黒衣おじさん&看板おばさんと愛犬福太郎の物語。

常磐線 土浦~上野間運行される

2011年03月19日 | 日記
地震発生以降、常磐線は上野~取手間の運転のみで、取手以北は運休。そのため14日(月)から自宅待機を余儀なくされていましたが、17日(木)夕方テレビを見ていると「18日(金)から土浦~上野間の運転を再開」とテロップが流れていました。

やっと出勤できると、明日の準備をして早めに就寝。



昨日の情報では、通常の40%の運転という情報だけだったので何時に電車が来るのか分からないので早めに牛久駅に。

改札口には、本日(18日)の牛久駅における運転予定時刻表が貼り出されていて乗客が見入っていました。






7時の通勤時間帯は4本予定されていて18分の電車に乗ることにしました。相当混雑しているのだろうと覚悟していましたが、そんなに混んでいなくて車両によっては数ヵ所空席がある程でした。

運転本数が少ないのに空いているのは、土浦より以北の人達が電車の運休により自宅待機だったり代替交通機関を利用して通勤されているためなのでしょうか。

電車がホームに入ってきたときはホッとしたが乗りこむと電車が約一週間使われなかったことと節電のため暖房が入っていないため冷え切っていていました。

黒衣おじさんは立ったまま日暮里まで来て、山手線、地下鉄有楽町線に乗り換え大手町へ。
山手線も地下鉄も何時もより空いていたし、遅延することもなく事務所へ。






帰宅時の上野発の時刻が分からないので早めに事務所を出て上野に。

すでに17時46分発土浦行きの電車がホームに入っていて乗客が乗り込んでいたので、急いで先頭の車両の方に小走りで向かい、空席を探すと一つ座席が空いていました。良かった、これで1時間座って牛久まで行かれる!!!

牛久駅には、一部徐行運転をしたもののほぼ定刻に到着。
改札口を出ると本日の時刻表、三連休の時刻表、連休明け22日の時刻表の三種類が貼り出されていた。







張り紙の前は携帯電話で写真を撮る人でごった返していた。
黒衣おじさんもデジカメで撮ってきたので、連休明けの運行予定を見てみると殆ど本数は変わっていなかった。






運休中の定期券の取り扱いについて、「期間延長もしくは払い戻しを緑の窓口で行う」と構内放送があり早速窓口に並んでいる人が見られた。






駅のエスカレータは、節電及び安全確保のため運転中止。

自宅待機中、JRからどうして取手以北で電車が動かないのか、何時ごろ運転再開するのかと言ったことの情報がなく不満はあったが、無事仕事に行って来られたことに感謝し家路に。


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2011.3.11東北関東大震災 東北地方太平洋沖地震 M9 帰宅難民(困難者)となる

2011年03月13日 | 日記
14時46分東北地方太平洋沖地震(東北関東大震災)が発生。
黒衣おじさん、永田町のオフィスビル2階事務所にいました。

突然の大きな横揺れ、でもすぐにおさまるだろうと高を括っていましたが、だんだん強くなってきました。あわててパソコンの電源を落としカメラを手に窓際に。



道路では、車から降りた人か?路上で様子を見ています。






対面の森ビルでは、窓ガラスの清掃をしているゴンドラがぶら下がっていてゆらゆらと大きく揺れています。清掃員は多分生きた心地がしなかったのだろうと思います。






テレビを付けて情報を収集、鉄道は全て不通に。今日は家に帰れるのだろうか不安になり、とりあえず飲み物とパンを調達しにコンビニに走りましたがすでにパンは殆ど売り切れ、辛うじてあまり美味しそうではないパンが数個残っていたので贅沢言ってられない、とりあえず確保。

我が家も心配なので携帯電話を掛けても通じない。






首都高が通れなくなったため、車は一般道に集中しマヒ状態に。夜になって私鉄は一部運行開始したところもありましたが、JRは運転の見込みなし。観念して事務所に泊ることにしました。
東京都内在住の職員は、少しずつ運転を開始した電車の情報を確認しては、徒歩と電車を乗り継ぎ家に戻る人も出てきてだんだん泊組の人数が少なくなってきました。余震は頻繁に起きて建物を揺らすし、人数は少なくなるし不安な一夜を過ごしました。






朝のニュースで、地下鉄有楽町線は開通、山手線・京浜東北線は8時ころ運転再開、常磐線は取手駅まで運転再開の見通しと報道されていたので、とりあえず8時に事務所を出て地下鉄有楽町線永田町駅に。

有楽町線は、運転再開が早かったのでホームにはあまり乗客は見られない。「これなら早く家にたどり着きそうだ」と思ったのは甘い考えだったことをすぐに思い知らされた。






地下鉄からJR有楽町駅に行くと改札口は閉鎖されていて、山手線、京浜東北線共運転再開の見通しは立っていないという。上野まで行きたいのだがどうすればよいのか聞くと地下鉄日比谷線を利用すればよいということだったので、振替乗車券をもらい日比谷線に乗りこむ。
上野で地下鉄を降りJRに向かったが、人でごった返していて中央改札口から地下鉄銀座線に下りる階段から更に地下道まで行列ができていた。
これでは、常磐線にいつ乗れるか分からないので、北千住まで行ってそこから常磐線に乗り込もうと、今乗ってきた日比谷線に戻り北千住へ。





この考えも浅はかだったのを思い知らされた。北千住駅JR改札口は上野ほどではないが乗客で溢れかえり全然進まない。それもそのはず、下りのホームが溢れるため改札は行っていない。
構内放送を聞いていると、上りの電車を利用する人のための改札は一つだけ開いるらしい、さらに間もなく上りの電車が来ると言う。
そこで策をめぐらし、「上りの電車に乗り込み上野まで戻って、折り返しその電車に乗った方が確実に且つ並んで待っているより早く取手まで着くだろう」と、上り電車に乗り上野に戻った。

結局、上野で折り返しその取手行きの電車に乗れたので、上野に戻ったのは正解でしたが、電車はノロノロ運転、その上ぎゅうぎゅう詰めの満員電車で疲れてしまいました。



やっと取手駅に。到着した時刻は午後の1時。永田町の事務所を出たのが8時ですから5時間掛かりました。

電車は取手止まりなので取手以北に向かう人が、振替バスもしくは迎えの車を待つ人で駅前はいっぱい。

影の声
「黒衣おじさん、取手より駅で3つ先の牛久のはずだけど、取手からどうするの??」

実は、常磐線利用組は黒衣おじさんを含めて3人いました。そのうちの一人のおじさんが取手の近くに住んでいて取手駅から牛久、土浦と車で送ってくれることになっていたのです。

影の声「それは良かったね!!!」

駅は、迎えの車でいっぱいです。更にその影響で国道6号線上り方面は大渋滞。
迎えに来てくれた人は取手の近くの人だったので、地理に詳しく少し横に入ったあまり車が入らないところで待ってくれたのでスムーズに国道に出られましたが、それでも下り方面もいつものより混んでいました。
牛久で下ろしてもらい家にたどり着いたのは午後2時近く、約6時間かけて無事我が家に辿り着きました。

地震が発生してから携帯電話がつながらなくなり我が家はどうなっていいるのか心配でしたが、息子が地震の時の様子を動画にとって、すぐ【you tube】にアップしたので、それを見て皆無事だったことが確認できたので、帰宅難民を余儀なくされはしましたがとりあえず安心して泊ることができました。

東北地方太平洋沖地震 M9.0 2011/3/11 茨城県牛久市 ibaraki japan Earthquake

大きな画面で動画を見る





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