今更留学記 Family medicine

家庭医療の実践と、指導者としての修行も兼ねて、ミシガン大学へ臨床留学中。家庭医とその周辺概念について考察する。

もろいジェネラリストのアイデンティティ

2007-09-14 23:35:15 | 家庭医療
ジェネラリストとして生きていくのは、とてもしんどいです

まず国民の間に根強い専門医崇拝。これは、医師の間でもそうです。大病院の専門医が開業すると、なにか格が落ちたかのような扱いをうけます(少なくとも私にはそう見えます)

ジェネラリストは目の前の患者さんのすべての健康問題に対処し、広く診ることを専門とする専門医なのですが、「どの臓器?」とは説明できないために「専門医」とは思ってもらえません。

さらにニーズ主義に沿って行動するジェネラリストは、所変われば仕事の内容が変化します。これも結局専門は何?と姿が見えにくいことの原因になっています。

ニーズ主義に沿って行動するジェネラリスト(特に病院の総合診療部)は便利屋さんです。みんなが困っていると仕事をつい引き受けてしまいます。うまくマネージしないと、どんどん忙しくなりやがては自分たちが疲弊して燃え尽きてしまいます。

ジェネラリストは知らないことと毎日向き合い、毎日勉強する反省的実践家です。医師たるもの専門医であっても勉強し続けるのですが、ジェネラリストはその守備範囲が広く、変化し続けるという特性上、「上がり」や「完成」というものがありません。楽しくもあるのですが、しんどいです。

周りに専門が説明しにくく、しんどい状況なのに自分の身分を保証してくれる認定医、専門医制度がありません。確かに日本プライマリ・ケア学会の認定医はありますが、例えば循環器専門医、もしくはせめて内科学会認定医と同等の格があるとは誰も思っていません。

ジェネラリストとしてそれなりに研修も受けた後輩が、私に言いました。

「内科認定医をとるために病院で研修したいんです。」

内科認定医をとっても、現在何のメリットも感じていない私はとっさに

「いまさら、いらないんじゃない?」

といいましたが、彼女の中にある不安、アイデンティティの危機をその後初めて知りました。

誰でも簡単にとれるような認定医、専門医ではなく、

しっかりとした研修を経た上で、高い水準の医療を提供できる実力を推し量る厳しい基準に基づいた総合医、家庭医の認定医、専門医制度をつくってほしいものです。

それができて初めて、

私たちのアイデンティティは守られるのです
いやそれよりも、国民の健康が保証されるのです!