常陸太田市から磐梯熱海までの写真です。
通り道で気になったものは立ち寄るようにしています。
常陸太田市から白河までは写真があります。
選んだのは,旧道です。
国道と平行して,絡み合いながら走っている道です。
今回,白河から国道4号を北上しましたが,街の印象はあまり印象はありません。
同じような風景なのです。
旧道は何となく生活や暮らしを感じるのですが、大きな国道となると大量に効率的人や物を運ぶため無機質さを感じます。
直線的で道路と民家が遠くなります。
自動車がバンバン走る国道沿いは騒音があるので,あまり民家はありません。どちらかというと商業施設,店舗や事務所などでしょう。これらは近代的な建物です。
そのためか,新しい国道であればあるほど,どこも同じような風景であり,風情がありません。
旧道は,江戸時代や明治の頃の道であることが多く,舗装されて若干幅員が広がっているもののゆるく蛇行しながら続いています。
昔の宿の中を通っています。旧家らしき建物や屋敷も目にすることも多く,100年前くらいの木造家屋がけっこう残っていたりします。
その宿らしい雰囲気を感じることができます。
自転車で走るなら旧道がいちばんだと思います。
常陸太田市の町田という集落の谷間に町田焼釜跡があります。徳川斉昭公が殖産興業のために設けたものとのこと。
財政難の水戸藩を何とかしたいと考え,いろいろな事業にチャレンジしたことがうかがえます。
常陸太田市の里美地区にある大中神社。市の指定文化財となっています。創建は,807(大同2)年らしいですが本殿が建造された時期は江戸時代中期らしいです。
このときは,氏子さんたちが境内を大掃除していました。
茨城県常陸太田市里美地区から福島県境に向かうと,明神峠があります。そこで撮影した交通案内標識です。
峠の坂を上っていくと,空が青く澄んでいました。峠を上るのは苦しいけれども,峠のてっぺんに立って空を見上げるのは,空に舞い上がれそうで,どことなくいい気分になります。
久慈川沿いにはサイクリングロードが2本あります。一つは日立市の河口から常陸太田市の山田川の途中まで,もう一つは棚倉から矢祭。
いつもは山田川のサイクリングコースを走るのですが,今回は,矢祭から塙まで久慈川沿いのコースを走ってみました。
晴天の土曜日なのに誰も走っていません。
サイクリングコースに久慈川を横断する場所があります。その橋の上から川をのぞいてみました。上流のせいか水が澄んでいます。
夏なら,下りて足を川に浸してみるのが気持ちよいでしょう。
塙の代官所跡です。ここは江戸時代に天領でした。農村は荒廃し民衆はすさんでいた時代があったようです。
寺西重次郎はそれらを救済すべく、「向ヶ岡公園」を造成したといわれ,名代官として名が残っています。
「寺西八ヵ条」は、こういったものでした。
一、天はおそろし
二、地は大切
三、父母は大事
四、子は不憫・可愛
五、夫婦むつましく
六、兄弟仲良く
七、職分を出精
八、諸人あいきょう
歴史的なものではありませんが,あまりに奇抜なものだったのでつい写真を撮ってしまいました。
都都古別神社
社伝によると、日本武尊が東征のおり、八溝山の夷族の大将と戦い、勝敗がつかず、そこに、面足尊、惶根尊、事勝國勝長狭命の三神が出現し,味耜高彦根命の鉾を授けたとのこと。
日本武尊は、その鉾を、今の鉾立山に立てかけ、東に向かって矢を放ち、矢の到達した場所に社殿を立て、味耜高彦根命を祀り、その加護により勝利をおさめたらしい。
棚倉城跡。
建物は現存していないようで,塁と堀が残っています。
白河へ向かう道でした。まっすぐに走っています。北海道でも走っている気分になりました。ずっと遠くに那須山脈,磐梯山が見えます。
白河の山道に迷い込んでしまいました。アップダウンがありました。下るところで9%の標識があったので撮影しました。
通り道で気になったものは立ち寄るようにしています。
常陸太田市から白河までは写真があります。
選んだのは,旧道です。
国道と平行して,絡み合いながら走っている道です。
今回,白河から国道4号を北上しましたが,街の印象はあまり印象はありません。
同じような風景なのです。
旧道は何となく生活や暮らしを感じるのですが、大きな国道となると大量に効率的人や物を運ぶため無機質さを感じます。
直線的で道路と民家が遠くなります。
自動車がバンバン走る国道沿いは騒音があるので,あまり民家はありません。どちらかというと商業施設,店舗や事務所などでしょう。これらは近代的な建物です。
そのためか,新しい国道であればあるほど,どこも同じような風景であり,風情がありません。
旧道は,江戸時代や明治の頃の道であることが多く,舗装されて若干幅員が広がっているもののゆるく蛇行しながら続いています。
昔の宿の中を通っています。旧家らしき建物や屋敷も目にすることも多く,100年前くらいの木造家屋がけっこう残っていたりします。
その宿らしい雰囲気を感じることができます。
自転車で走るなら旧道がいちばんだと思います。
常陸太田市の町田という集落の谷間に町田焼釜跡があります。徳川斉昭公が殖産興業のために設けたものとのこと。
財政難の水戸藩を何とかしたいと考え,いろいろな事業にチャレンジしたことがうかがえます。
常陸太田市の里美地区にある大中神社。市の指定文化財となっています。創建は,807(大同2)年らしいですが本殿が建造された時期は江戸時代中期らしいです。
このときは,氏子さんたちが境内を大掃除していました。
茨城県常陸太田市里美地区から福島県境に向かうと,明神峠があります。そこで撮影した交通案内標識です。
峠の坂を上っていくと,空が青く澄んでいました。峠を上るのは苦しいけれども,峠のてっぺんに立って空を見上げるのは,空に舞い上がれそうで,どことなくいい気分になります。
久慈川沿いにはサイクリングロードが2本あります。一つは日立市の河口から常陸太田市の山田川の途中まで,もう一つは棚倉から矢祭。
いつもは山田川のサイクリングコースを走るのですが,今回は,矢祭から塙まで久慈川沿いのコースを走ってみました。
晴天の土曜日なのに誰も走っていません。
サイクリングコースに久慈川を横断する場所があります。その橋の上から川をのぞいてみました。上流のせいか水が澄んでいます。
夏なら,下りて足を川に浸してみるのが気持ちよいでしょう。
塙の代官所跡です。ここは江戸時代に天領でした。農村は荒廃し民衆はすさんでいた時代があったようです。
寺西重次郎はそれらを救済すべく、「向ヶ岡公園」を造成したといわれ,名代官として名が残っています。
「寺西八ヵ条」は、こういったものでした。
一、天はおそろし
二、地は大切
三、父母は大事
四、子は不憫・可愛
五、夫婦むつましく
六、兄弟仲良く
七、職分を出精
八、諸人あいきょう
歴史的なものではありませんが,あまりに奇抜なものだったのでつい写真を撮ってしまいました。
都都古別神社
社伝によると、日本武尊が東征のおり、八溝山の夷族の大将と戦い、勝敗がつかず、そこに、面足尊、惶根尊、事勝國勝長狭命の三神が出現し,味耜高彦根命の鉾を授けたとのこと。
日本武尊は、その鉾を、今の鉾立山に立てかけ、東に向かって矢を放ち、矢の到達した場所に社殿を立て、味耜高彦根命を祀り、その加護により勝利をおさめたらしい。
棚倉城跡。
建物は現存していないようで,塁と堀が残っています。
白河へ向かう道でした。まっすぐに走っています。北海道でも走っている気分になりました。ずっと遠くに那須山脈,磐梯山が見えます。
白河の山道に迷い込んでしまいました。アップダウンがありました。下るところで9%の標識があったので撮影しました。