ぐるぐる自転車どこまでも

茨城県を自転車で散歩しながら,水戸藩の歴史について考え,たまにロングライドの大会に出場,旅する中年男の覚書

足尾銅山

2016-09-10 17:55:39 | 旅行
足尾銅山

日光いろは坂を上ろうかと考えていたが、朝から大雨でとても上れそうにない。そこで急遽、足尾銅山跡を観光することにした。

足尾銅山は山の中にある。
茨城から行くと、日光いろは坂の入口手前の交差点を左折し、長いトンネルを抜けて下る。
谷間に街が現れる。そこが足尾である。
足尾銅山といえば田中正造が有名だ。
田中正造は現在の佐野市で鉱害に反対する運動をした。それらから足尾銅山は渡良瀬川で結ばれているがかなり距離がある。
大雑把に80キロくらいはあるだろうか。
なぜそんな遠いところで鉱害が起こり、反対運動が展開されたのだろうか。
それは銅の鉱石から銅を取り出すやり方と関係がある。石炭なら掘り出せばそのまま使える。しかし、銅の場合は、鉱石を掘り出しただけでは使い物にならない。不純物を取り除く必要がある。不純物を含んだ鉱石から銅を取り出すためには、鉱石を細かく砕き、薬品を使い化学反応を起こすやり方が用いられる。その過程で生み出された有毒ガスが空気中に、水に溶けた有害物質が害をもたらす。空気中に出された有毒ガスは近くの山々の木々を枯らし裸山にしてしまう。裸山は保水力がない。雨が降ると大量の土砂が渡良瀬川に流れ出す。流れ込んだ土砂は下流へと運ばれ、川底に堆積し、渡良瀬川を天上川に変えてしまう。そこに雨が降ると洪水が頻発し、鉱毒を含んだ水は田畑に流れ込み、耕作ができなくなる。
これが大きな社会問題となった。
そこで、対策として銅山から流れでる鉱毒を沈殿させ無害化することになった。
そのために作られたのが渡良瀬遊水地である。この遊水池を作るために強制的に移住させられ村が無くなっている。
まるで成田空港のための土地の強制収用と同じだ。
話しは変わるが、同じ銅山でも日立銅山は足尾とは別の展開をたどっている。日立銅山でも鉱害、特に煙害が起こり問題となったが、かなり巨大な煙突を山の上に築き、精錬途中で輩出される煙をかなり高い高度のところまで上げてから放出した。そのため煙害はほとんどなくなった。
いろは坂を登ることはかなわなかったが、富国強兵の時代の流れの中で果たした足尾銅山の歴史について勉強することができた。
いつか機会を見つけて、いろは坂にチャレンジしてみたい。













水戸歴史探訪サイクリング~水戸黄門神社

2012-10-07 07:59:54 | 旅行
水戸駅から徒歩3分ほど、自転車なら1分の距離に、水戸光圀公生誕の地がある。
神社という名称だが、祠堂であり、小さい。
光圀公は父頼房公の命によって水にされるはずだったが家臣の三木が引き取って自分の子としてこっそりと育てたという。ここは三木家の屋敷跡。
神社の裏の台地は水戸城ニノ丸。城のすぐ下の屋敷で、光圀公は幼年時代を過ごしたわけだ。
後に、光圀公はこの地のことを思い出し、歌を残した。その歌碑がある。
歌を読み、光圀公の心を感じるのもよい。
あまりに小さい神社なので、過大な期待は禁物だが、一度は訪れてもよいでしょう。