ぐるぐる自転車どこまでも

茨城県を自転車で散歩しながら,水戸藩の歴史について考え,たまにロングライドの大会に出場,旅する中年男の覚書

タロコ渓谷への旅~碧緑神木まで

2013-07-24 06:44:37 | 自転車
タロコ渓谷への旅。


遠くに雲で霞んでいるが、森の中に斜めのラインが微かに見える。おそらくは道路だろう。
結構な高さの所にある。現在の地点からのぼるとするとこれからはけっこうきつい勾配だ。
そのラインの先を目で追ってみると、途中でZの形に折れ曲がっているようだ。
行く先にデーンと壁のごとく立ちふさがる山の高さから、どのくらいのつづれ折りの上りなのかを考えてみる。
気持ちが折れそうになる。






折れそうになっても、ペダルを踏むのはやめない。
どんな坂だって、いつかは終わるはずだと当たり前のことを思う。
これまできつい坂でも上ってきたじゃないか、この坂を登り切れば何かが待っているはずだ。
自転車を始めて峠道や坂道が好きになった。
始めるまでは何が面白くてこんなきつい坂道をハアハア言いながら上るんだろうと思っていた。
苦しいことはできるだけ避けたい、楽をしたいという考えが強かった。
楽をして生きていけたらなあ、宝くじで6億円当たったら極楽のような暮らしができるかもなどと今でもつい思ってしまう。
でも、そんなに楽をして生きてけるほど世間様は甘くない。
生きているとどうしたって避けようのないつらいことに出会う。
そんなときに最初はつらいことに打ちのめされそうになる。
でも、しばらくすると、これって峠道を越えるのと同じじゃないかと思ったりする。
そうか、峠道か。
今まで超えてきた峠道の苦しさを思い出す。
上り口に来たときに目の前に立ちふさがるように山が現れ、これで最後のカーブだろうと思ってやっとの思いで曲がっても、あざ笑うかのように現れる新しいカーブ。
こいでもこいでもカーブが終わらない。
絶望的になる。
こんなことが続くと、己の無力さが悲しくなり、自転車を降りたくなる。
なぜ、こんな馬鹿なことをしているのかと自分の馬鹿さ加減を呪いたくなることもある。
坂が延々と続くことを考えると、どうやっても終わりそうにない気持ちがしてくる。

でも、下りたくない。
下りてたまるかという気持ちがある。
そんなときは、声を出す。
変なやつだと思われてもかまわない。
頭で考えて出す声じゃない。苦しい体から出てくる自然な声だ。
昔の人は、重労働をするときにかけ声を出して、それに次第に節回しがついて民謡になっていったという。
そんな感じに近い。
お~う~とか意味をなさない音を声に出しながらこぐ。
ぐっぐっと声に合わせながらペダルをこぐ。
そうするとさっきまで、妄想的にこれから先の上りの辛さを考えてくじけそうになった気持ちを忘れられる。
人間というよりも動物に近い。
考えない。
どうも、思考は不安や心配なことを持ち出してくるようだ。
考え始めると、将来に対する不安や心配がどんどん膨らんでいく。
不安や心配にとりつかれたら、そいつらと正面から戦って勝つことは難しい。
正面から戦いを挑めば、どんなやつに打ち勝つのだってよほど強い精神力がいるだろう。
だから、無視するにかぎる。
相手にしなければいいのだ。注意を不安や心配ではなく別のところに向ければいい。
とりあえず、注意をそらして、ペダルの一漕ぎに集中する。
そういえば、「じこまん」という漫画に「ゾンビ走法」というのがあった。
感情も思考もなくし、まるで死人のように機械的にただ足を動かして走るだけ。
それに似ているかもしれない。


傾斜がだんだんときつくなってきた。
ダンシングをする。
小径車のダンシングは、ロードバイクとは感覚が違う。
タイヤが小さいので、ロードバイクのような感じでのダンシングがしずらい。
ハンドルバーを左右に振らないようにして、ほぼ真っすぐに立ち上がるような姿勢でのダンシングだ。

ダンシングでこいでいたら、上の方からバババッという爆音が重なりながら聞こえてきた。
爆音は少しずつ大きくなり、カーブの向こうからバイクに乗った6名くらいのスクーターの集団が現れた。
カッパを着ている。年齢はわかりづらいが、若者のようだ。
すれ違いざまに、大声で何かを口々に叫びながら手を上げていった。
たぶん、頑張れという意味なのだろう。
励ましを受けて、つい嬉しくなる。
爆音が消えていくと、また、静けさが戻ってきた。
タイヤが濡れた路面に接しながら発するしめった音、チェーンの音、自分の呼吸、谷間を流れる風が木々の葉をゆらす音、鳥たちのさえずり。
先の方を見ると、霧が意思をもった生き物のように山肌にあたり、ゆっくりと動いている。
幻想的だ。
霧の中に突入する。
中は霧雨の状態で、濡れてしまう。
ときどき、霧の切れ間から空や谷底が顔を出す。

しばらく走り、右に大きくカーブするところで、左下が見えた。
30度くらい下方向だろう。
谷を越えた向う側の斜面に崖にへばりついた道路が見える。
上ってきた道路がこんなに下に見えるなんてと驚く。
自転車を停めて、写真を撮り、水を飲む。



カーブを曲がるとシェルターが見えた。
霧がどんどんひどくなっていく。
シェルターの近くで大型トラックに追い越された。
工事用の資材を運んでいるようだ。
こんな細い道を大型トラックが通るのはドライバーとしても危険だろう。
危険な道で思い出した。
昔、国道157号線を走ったときに、崖から落ちた車がそのまま放置されているのを見たことがあった。
国道157号線は、酷道マニアに有名な道路である。
岐阜と福井を結ぶ峠越えの道なのだが、雪がすごいために晩秋から春までは通行止めになってしまう、大型車通行禁止のとんでもない道路だった。
国道157号線は、ほとんどガードレールがない路線だった。
あるのは、鉄の棒と鉄の棒の間にロープをかけただけのものだった。
おそるおそる谷底をのぞいたが正直怖かった。
崖の下は急斜面でずっと下に続いていた。
あまりの急勾配と道路幅が狭いために落ちた自動車を引き上げることができずに、崖に落ちたまま放置されていた。
その酷道157号線に比べたらこの横貫道路はきちんと鉄製のガードレールが設置されているので恵まれているといえる。
そういえば、くねくねと曲がっている道だから、曲がりきれずにガードレールにぶつかってしまう自動車もあるだろうと思っていたが、ガードレールには車が衝突して曲がったようなところは見当たらなかった。
かなり走りづらい道路なのでドライバーも相当に注意しながら運転するので予想外に事故がないのかもしれない。
それにしてもこんな狭い道路を大型トラックが走るなんてどうかしているなと思う。




シェルターを通り過ぎてしばらくすると、次は左に大きく曲がる。
このあたりは谷が入り組んでいるので、谷に沿ってくねくねと道路を造らざるを得なかったのだろう。
くねくね曲がりながら、すこしずつ高度をあげていく。
曲がるたびに、次のカーブを曲がったらきっと楽になるはずだと期待してしまう。
でも、そんな期待は簡単に裏切られる。
安易な期待は禁物なのだ。
期待して裏切られるとその分だけがっくりと精神的なダメージを受けてしまうな気がしてならない。
案の定、カーブは次から次へと現れる。
別にカーブが私をかどわかそうとしているわけではないが、騙されないぞなどと頭の中で囁いてしまったりする。


路面は霧雨で濡れている。
雨なのかというとそうではない。
この霧雨は、実は雲なのだ。
太平洋の海水が水蒸気になり、雲となる。
その雲が流れてきて、台湾の山脈にぶつかるのだ。
そこが台湾の東側の山脈なのだ。
台湾の東側の気候を調べると、西側に比べて降水量が多いのはそのような事情なのだ。
それゆえ、タロコ渓谷付近の山脈の緑は雨が育てたといえる。
この地の緑は、とてもみずみずしい。
梅雨の季節の雨上がりに木々の葉が雨に濡れてしっとりと美しい緑色に輝くことがある。
タロコの森は、なんともいえない優しい感触なのだ。





しばらく走ると左側に、遠くに道が見える。
崖沿いにへばりつくような道路だ。
あの道は、さっきまで走ってきた道だ。
峠道を上ると、途中で、上ってきた道が見える場所がある。
ハアハア言いながらも、自分でこんなに上ってきたのかと誇らしげな気持ちになる。
それで、上ってきた道の写真を撮るのだが、後から見返すとどうも自分が上ってきた高度さがわからない写りだったりして、あれっもっとすごく上から見下ろした感じで見えていたはずなんだけれどもなぁと感じることがある。
峠道を上から撮影する際の撮影の仕方にコツがあるのだろうか。




その後、すぐに
休憩所に到着した。
新白楊だ。
トイレとベンチだけで売店はない。
休もうと思い、トイレ休憩に立ち寄った。
駐車場のベンチに座り、補給食を食べていると、車が止まった。
妙齢の女性が降りてきた。
目が合ったので、ハーイと挨拶をしたら、彼女から英語で話しかけられた。
「昨日、あなたが自転車で上っているのを見たわよ。
あれはあなたよね。」
うなづきながら、ニコッと笑う。
知らない人に声をかけられるがうれしい。
「そうなんです。今日は、てっぺんまで走ろうかと思ってます」
女性は驚いたような表情を浮かべた。
「それはすごいわ。」
たわいのない会話なのだが、異国の地で、しかも人がいないような場所で話ができるのは楽しい。
「ありがとう。」
「じゃあ。」
手を振って別れる。
旅の自転車の魅力の一つに、知らない人との会話がある。
自転車で旅をしていると、姿格好から興味を持たれやすく人から声をかけられることが多い。
これは楽しい。
普段、スーツ姿で仕事をしているが、仕事モードでは知らない人に話しかけることなどない。
まあ、仕事しているときは、小難しいことを考えたりしているので、眉間にしわが寄っていたりして、ちょっと声をかけにくい感じなのだろうから、知らない人が声をかけてくることなどない。
しかし、旅に出るとリラックスして眉間のしわも消えて穏やかでにこやかなよい人の表情になる。
これは不思議だ。
旅のほんのちょっとした会話から、あ~この人はどんな仕事や暮らしをしているのだろうかとか相手の人の普段の生活を想像したりして楽しんだりする。
知らない人とは2分くらいしか会話が持たない。
英語力がないからだ。
中学校から大学まで英語は勉強したはずなのだが、さっぱりだ。
スマートに英語でポンポンとテンポよくレスポンスできるとよいのだが、情けないことにじつにたどたどしいやりとりしかできない。
たぶん、これは慣れなのだろう。
それと、仮に英語でなく日本語であったとしても、初対面の人間どおしが会話するのはけっこう難しい面があったりする。どこからきたの?どこへいくの?などいくつか旅人の共通の話題が尽きると、話が続かなかったりするのだ。
こんなときに、楽しくテンポよく話を展開できるようになれたらいいだろうなと思う。


ここで、数分くらい休憩をして、走り出す。


この道は基本は1車線しかないところがほとんどだが、ところどころ2車線になるところもある。
トンネルはほとんどが1車線の交互通行方式だ。
片側通行のときは、トンネルに入ってから対向車両が進入してきたらどうしようと不安だった。
おそらく、向こう側から自動車が入ってきてしまったら真っ暗闇の道幅もないトンネルですれ違わなければならない。
相当に幅が狭いので、よける場所もない。両脇の壁は岩を削っただけなのだ。
普通のトンネルだと、だいたいは真っすぐなので、トンネルの入り口に立つと反対側の出口を見通すことができる。
しかし、この道のトンネルは真っすぐではない。
途中でぐねぐねと曲がっていることが多い。だから、入り口に立っても反対側から車両がくるかどうかわからないのだ。
自動車ならライトを遠目にしてクラクションを鳴らすなどで存在を知らせることができるだろうが、私の場合は、貧弱な自転車のライトとベルなのだ。とうてい存在を認知してもらうことはできない。

トンネルの暗闇。
日本のトンネルでも、暗いトンネルはある。
トンネル内に照明がついていないか、ついていても明るさが足りないことがある。
明るい場所から突然暗い場所へ入るとまったく見えなくなる。
人は暗いと平衡感覚を失う。
長いトンネルの中をライトをつけずに走ってしまったことがあった。
最初は、まっすぐに走っていたのだが、次第に路面が見えなくなり、平衡感覚が失われていくような感覚に襲われたことがあった。
自分の足で地面を蹴って走っていれば足の裏の感覚で自分が傾いているのかどうかがわかるだろう。
しかし、自転車の場合、足はペダルに固定されているので、平衡をたもつには目からの情報に頼らざるを得ない。
また、暗闇だけではなくトンネル内の音の反響も影響しているのではないだろうか。
あまりに暗く、自転車のライトだけではほとんどスポットしか見えないために、倒れそうな感じがしてしまって、足を着いてしまった。
こんな真っ暗なトンネル内をトボトボ歩くわけにもいかない。
それで、片足だけペダルから外して、すぐに足を地面につけるようにして片足漕ぎでしのぐことにした。




左足が少しぶれているようだ。
踏み込んだときと引き上げるときがおかしい。
気のせいかと思い、そのまましばらく走ってみたが、すこしずつぶれが大きくなってきた。
もしやシューズのクリートが外れかけているかもしれない。
自転車を止めて、左のシューズを点検してみた。
シューズを脱いでクリート金具を強く動かしてみたが、がっちりと固定された。
次は、ペダルかもしれない。
ペダルを触ってみたら、かくかくと動く。
いつの間にか緩んでいたのだ。
昨日、花蓮の空港で自転車を組み立てたときに、がっちりとペダルを締め上げなかった。
それが原因だ。
幸いにして、ペダルレンチを持参してきていた。
バッグからペダルレンチを取り出して、左のペダルをいったん取り外し、もう一度ペダルをはめなおした。
これで大丈夫のはずだ。
しばらく走ると、また左のペダルがぶれだした。
おかしい。
自転車を止めてペダルを外して、もう一度、固定する作業をした。
その後少し走る。異常を感じる。停止して同じ作業をする。
この繰り返しが始まってしまった。
ペダルの異常が直らない。
ペダルをはめようとすると、うまくはまらなくなってしまったのだ。
この繰り返しでもう1時間以上を使ってしまった。
一体なんなんだ。怒りのようなものがこみ上げてくる。

ペダルを外して、ねじの部分をよく見ると細かなアルミの粉がたくさん付着している。
ネジ穴のところをのぞいてみた。
あ”~
一瞬、青ざめてしまった。
ネジ穴の中の溝が半分だめになってしまっていた。
ネジ穴の中には本来溝が切られているはずだ。
なのに、半分くらいは溝がなくなってしまっており、奥のほうの半分しか溝が残っていなかったのだ。
溝がなくなってしまっているところにはアルミの粉と削りかすが付着していた。
おそらく、緩めにペダルをはめて走ったのがいけなかったのだ。
あまりペダルに力が加わらない平地なら問題なかったのだろうが、坂道が多く、かなりの時間ダンシングでペダルに力が加わってしまった。そのために、緩んでいた部分が少しずつ動くようになり削れていってしまったのだ。
とくに、いけなかったのは、ペダルを外してからふたたびはめたときに、十分に注意をせずにはめてしまったことだ。
そのときに、はめかたがまずかったせいで、ネジの溝をなめてしまったのだ。
状況を理解したときに胃のあたりが重くなり、頭が熱くなり、血が上ってしまった。
クランクの予備など持参するはずもない。
近くに自転車屋などあろうはずもない。
引き返すのか。
引き返せるのか。
左のペダルが使えない状況でこの坂道を下れるのか。
このまま通りかかる自動車を待ってヒッチハイクするか。
折りたたみだから、乗用車でもなんとか積み込んでもらえるかも。
いろいろとこれからの展開が頭の中で広がっていく。
ほぼ絶望的な気持ちになった。
道路の端に座り込んで、ふーとため息をついた。
水を飲んだ。
正直、自分の馬鹿さ加減を呪ってしまった。
せっかく台湾までやって来てチャレンジをしているのに整備不良で引き返すなんて。
ぐるぐると自分を責めたり、運のなさを呪ったり、どのように自分を納得させるか、ぐちゃぐちゃな気持ちで乱れていた。

そうやっていたら、下から自動車があがってきた。
運転手が、こちらを見て、なんだか手を振りながら大声をだした。
そして、通り過ぎた。
彼は、がんばれと言ったに違いない。
考えていても何も進まない。
立ち上がるしかない。やれることをやるしかないのだ。
そう思い、ペダルレンチを再び手に取った。

ネジ穴は半分削れてしまった。
残り半分にうまくはめることができればペダルが固定されるかもしれない。
ゆっくりとペダルのネジとクランクのネジ穴の軸が一致するようにペダルを差し込んでみる。
うまくいかない。
ネジ穴がつぶれてしまっているので軸が一致せずに、ペダルが少し斜めについてしまう。
前後左右から軸の中心線が一致しているかどうか確認しながら、何度も何度もペダルをクランクのネジ穴に入れてみる。
こんな作業を何分も繰り返した。
そうして、やっとほぼ軸が一致するところがわかったような気がした。
ここだ。
ここしかない。
そうして、慎重にペダルのネジを回していく。
回しながらも、軸がぶれないように気をつける。
ほぼ、軸がぶれずに押し込めたようだ。
そこで、ペダルレンチでゆっくりと締めていく。
力の加え方が偏るとペダルを曲がって取り付けてしまうおそれがある。
息を止めながら、じっくりと締めていき、最後まではめこんだ。
ふーとため息が出てしまった。
たぶん、これが最後だ。
これがうまくいかなかったら、もう左のペダルは使えない。
そうなら、坂を下ってホテルへ帰ろう。
やるだけはやったのだ。
悔しいけれどもいかんともしがたい。
覚悟を決めた。
レンチをバッグにしまい込み、自転車にまたがる。
右の足をはめる。
そして、走り出す。
すこし速度がでたところで、左足をペダルに載せてクリートにはめた。
カチャっと音がした。
ゆっくりと左足を回す。
次第に左足に力を入れてみる。ぶれているだろうか。
ぶれていない。
何度も感触を確かめる。
ぶれていない。
よかった。うまくいったようだ。
安堵感が広がる。
諦めないでよかった。
最悪だと思っても、なんとかなるときもあるのだ。
投げ出さずに、落ち着いてゆっくりと立ち向かえばたいていのことはどうにかなるものだ。
神様っているのだろうかとつい考えてしまった。
いたとしたら、ずいぶんといたずら好きだ。
今朝の極楽のような気分からどん底までを味あわせてくれたのだから。
どんな神様かは知らないが、森の陰から微笑みながら見ているかもしれないと思ったら、思わず笑えてきた。
下の写真のペダルをご覧あれ。




どうにか、ペダルは大丈夫のようだ。
修理に時間がかかってしまった。
速度をあげてロスした時間を取り戻そうとするが、斜度が厳しいので速度はあがらない。
時速7キロくらいだろう。
あとどのくらい走ればいいのだろう。
精一杯にこぐ。
なかなか進まない。
お腹がすいてきた。
でも、携帯してきた補給食はもうほとんど残っていない。
なのに、お腹がすいてきている。
困った。
この先に、たしかドライブインがあったはず。
そこまで行けば、食事が食べられるはず。
霧はだんだんと濃くなってきた。
せいぜい30メートルくらいしか見通せない。
これだけ霧に包まれるとどこか別の世界に入り込んだかのような不思議な感じがしてくる。

途中、左側の木のあたりにうごめくものがいた。
何だろう。
自転車をこぎながら、じっと見ると野猿がいた。
あまり人間に慣れていないらしく、木の陰に隠れてこちらを観察している。
敵意はないと感じたので、挨拶をした。
「やあ!」

しばらくすると、看板が目についた。
碧緑神木だ。
道路の左側に降りるところがあったので、自転車を降りて、木を探す。
海抜2,150m地点だ。
この辺りは温帯の常緑広葉樹と冷温帯針葉樹林の混生する針葉広葉混合樹林帯だ。
この木は、高さ50m、直径3.5m、樹齢3000年を越すスギの神木なのだ。
3000年が本当かどうかは知らないが、存在感はある。
なんとも不思議な感じなのだが、単なる木というよりも、年老いたおじいさんが黙って座っているような感じだ。


ここには、珍しく駐車場があり、観光客が車で来て、この木を見ることができるようになっている。
下の写真の看板の右側が駐車場だ。



ここには、ほぼ唯一といえるレストランがある。
道路に自転車を止めて、木の階段を上り、入り口に向かう。
若い店員が、驚いたように声をかけてくれる。
手を挙げて、「Hi」と挨拶をする。
小さな食堂に入り、端のテーブルに座る。
奥に西洋人のグループがいて、ビックリしたようにこっちを見て、すぐにニコッと微笑んでくれた。
こちらも、手を挙げて軽く挨拶をする。
メニューを見たが、中国語だったので、どのような料理かわからないので、適当に頼むことにした。
牛肉と野菜のあんかけ風ご飯を頼む。
そして、コーヒーを頼んだ。
お店のおばさんが、地元でとれた蜂蜜を試食しないかと言って、小さなスプーンに蜂蜜を塗ってくれた。
蜂蜜ならエネルギー補給によいだろうと思い、もっともっと入れてくれるようにと身振り手振りで示して、3杯分の蜂蜜を入れてもらった。
テーブルにヘルメットを置いて、食べていると、後から台湾人の観光客が続々とやってきた。
こっちを見て、自転車でここまで上ってきたのがわかると、話しかけてきた。
残念ながら、中国語がわからないので、自転車で上ってきたということを身振りで示すと、驚いたような声を上げて、たぶん、頑張ってねというような言葉をかけてくれた。
うれしい。こちらもニコニコ笑いながら手を振る。


お腹がすいていたので、ガツガツと飯をかき込むように食べた。
食べ終わってから、壁を見ると、地図が貼ってあった。
目指す最高標高地点までの距離を計算し、時間内に到着できるかどうかを計算する。
かなり難しい。
到着できない可能性が大きい。
でも、やれるところまでやろう。
制限時刻になったらそこで引き返そう。
悔しいが、暗くなって路面が濡れた状態での下りの危険性を考えるとそうせざるを得ない。

駐車場



ちょうどカーブにあるレストラン。



レストランで頼んだご飯。
助かった。ハンガーノックになるところだった。

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1 コメント

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Unknown (無名)
2014-11-15 04:42:03
台湾のところだけ、せっかく読んでたのに、途中から記事がないじゃないですか。

あきらめたんですか?なんだ残念。
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