ぐるぐる自転車どこまでも

茨城県を自転車で散歩しながら,水戸藩の歴史について考え,たまにロングライドの大会に出場,旅する中年男の覚書

佐渡ロングライド2015当日2

2015-06-30 17:39:40 | 自転車
Z坂の途中で毎年写真を撮ることにしている。
今年も美しい写真が撮れたので、すぐにFacebookにアップする。
すると、毎年、140人くらいの友だちがイイネを押してくれる。





写真を撮り終えると、あとは走るだけ。
まったりとしてペースで、なかなかいい感じでである。
このまま順調に進めば、ギリギリにゴールできるだろう。
登り切ったら、つぎは下り坂だ。
順調に下っていった。
橋が見えた。
段差があるので、腰を浮かした。

パーン。
ものすごく大きな音。
あれっ。
パンクの音だよ。
誰だろ。
後ろから聞こえた。
振り向く。

しかし、誰もいない。
なんだか後輪の感触がおかしい。
後輪を見るとペチャンコだ。

そうか。
パンクしたのは私だ。

あちゃー。
やっちまったか。

すぐに自転車から降りて、押して歩く。
橋の上を押して歩く。
次々に、後続の人たちがやってくる。

みなさん、どうしたの?という表情で走り去っていく。
ちょうど、橋の向こうに係のおじさんがいたので、パンクしたと伝える。

橋を渡りきり、ちょっと道幅の広いところに自転車を持って行き、ひっくり返す。

なんと運のないことだろう。
去年はトンネルの途中でパンクして、ずっと押して歩いた。
今年は橋の段差でパンク。
2年連続だ。

ため息をつきながら、ボトルから水を飲む。
いくらため息をついても、事態はいっこうに改善されない。
あきらめて、修理に取りかかる。

サドルバッグからチューブと用具を取り出す。
そして、
後輪を外す。

すると、
サポートカーが通りかかった。

なんという幸運。
どうしましたかと声をかけてくれた。
「パンクです。やっちゃいました」
「お手伝いしましょうか」
こんな機会は滅多にない。
「疲れてるでしょうから休んでいてください」
せっかくなので、言葉に甘えて、修理を依頼した。

原因だが、
ブレーキシューがタイヤにあたっていたらしい。
それで擦れていつの間にかサイドに穴が空いてしまったらしい。
だから、パーンという大きな破裂音がしたのだと納得。

擦れていることにまったく気がつかなかった。

自分の鈍感さを反省する。
大会の1週間前に乗ったときはそんなことはなかった。
そうだとすると、
おそらく自転車をソフトケースに入れて宅配便で送る際に、輸送中の衝撃で位置がずれてしまったのだろう。
そういえば、前に輸送したときにブレーキレバーが動いてずれていたこともあった。
ソフトケースだとやはり衝撃が加わる。
やはり、自転車を輸送するときは、段ボール箱かな。

いずれにせよ、整備不良なので、私がいけない。

下り坂を終えて橋を渡るときのパンクなのだが、怪我をしなくてよかった。
高速で下っていたときにパンクをしたらコントロール不能でどこかに突っ込んでいたかもしれない。
そう考えると運がいいのかもしれない。

タイヤのサイドに穴が空いているので、もう使えない。
結局、チューブだけでなく、タイヤも交換してもらう。
料金はたぶんタイヤ代が入ってしまったので3000円くらいかかったような気がする。

サポートカーの人と作業中に雑談をしたのだが、もう今日はパンク修理が6人目だという。
というと、何台かサポートカーが出ていたから20~30台はパンクしているということか。
結構な数だ。

修理中も、無線で、**でパンク発生、**号車行けますか?とかやっている。

パンクする皆さん、整備不良に気がつかずに走ってしまってパンクというケースらしい。
ひどい人だとタイヤが劣化していて、いったい何年前のタイヤをはいているのという感じらしい。
私も、タイヤはほとんど交換していない。
明らかに劣化している。
タイヤだけではなく、肉体が劣化している。もちろん。頭も。

もうちょっとピリッとしなければいけないなと思う。
しかし、
何回目かの参加だと、慣れてしまうのだ。
慣れるというよりもだらけてしまうのだ。
初心忘るべからず。
身をもって経験したい次第である。





パンク修理をしてもらっている間に、時は過ぎ去っていった。
次々と後続のライダーが走りさっていく。
Aコースのライダーはいない。
Bコースのライダーもかなりの数が過ぎていった。

それを眺めながら、心がゆっくりと折れていった。
時計を眺める。
時間を計算する。
残りの体力を考える。
これだけ遅れるともう完走できないかも。
そう思うと、弱気になる。
心の中で、もう止めようか、いや走ろうという気持ちがぐるぐると葛藤する。

私の佐渡ロングライド2015は、ほぼこの時点で気持ち的には終わりとなった。

気持ちが折れると力が出ない。

もう完走が目標ではない。
納得がいくようなリタイヤだ。
そのために走る。
それしかない。






水戸から北の田園地帯を走る

2015-06-20 21:39:59 | 自転車
梅雨の合間のつかの間の晴れの日である。
あまりに晴れていたので思いつきで1人でポタリングに出かけた。
今日の目的地は常陸大宮と常陸太田方面である。
水戸へ移ってから1年経つが、なかなかこれはというコースを見つけられなかった。
ポタリングで、ブラブラしながら新しいコースも探してみたかった。

さて、出発は三の丸の県立図書館からだ。
まずは、新しくなった東武館。

かなり立派な門構だ。
水戸で育った知人の多くが子供のころにここで剣道を習っている。北辰一刀流の流れをくむ名門道場なのだ。

そこから法務局の前を通り、坂を下り、那珂川へ向かう。
水府橋は最近新しい橋になった。広く快適になった。
古いトラス橋は取り壊し中である。

橋を渡りきり、左へ。
那珂川沿いの堤防の上にサイクリングロードがある。この道が想定しているのはママチャリクラスでロードバイクを想定していないのではないだろうか。舗装はまあまあなのだが寸断されており、距離が長くない。

さて、今日はここを上流に向かう。
水戸市下国井まで那珂川沿いのサイクリングロードを走り、それが終わるところからは田園の眺めながら県道沿いを走り、常陸大宮の工業団地へ向かう。
そこからアップダウンのあるビーフラインを走り、国道118号へ。

そして、久慈川を渡り、大金トンネルを通り、常陸太田市久米へ。
帰りは自動車があまり走らない適当な農道を選んで帰るつもりだ。



これは那珂川のサイクリングロード。

左手に那珂川が流れている。右側には田園地帯が広がる。



県道沿いを外れて農道を走るとまるで北海道のような風景。トウモロコシやブルーベリーが栽培されていた。


どんどんと細い道を走っていると興味深いものを発見した。
手作りの木船と水車を発見。製作している現場。
那珂川で漁をする人はこの大工さんから船を買うのだろう。




ここを過ぎると行き止まり。
別の道を探したがなんと23%の斜度の坂。
えっちらおっちらと何とか乗り越える。

佐竹時代の平城跡を示す看板があった。


この後、県道に戻り、工業団地、ビーフラインを走った。
ビーフラインにはところどころ両側から枝が伸びて緑のトンネルふうのところがあり、そこだけ軽井沢の避暑地的な気分が味わえる。

国道118号に出てから少し北上すると、農作物の直売所を発見したので立ち寄る。
今日はイベントらしい。地元のおじいさん、おばあさんたちがテントの下で、ホッカホッカのジャガイモや打ち立て蕎麦、つきたての餅を美味しそうに食べていた。
こんなときには立ち寄り、いろいろと話しかけるのがよい。
こちらが変わったスタイルなので、向こうも興味を持ってくれて、楽しい話になることが多い。
30分くらい世間話をして、常陸太田へ向かった。



途中、トンネルを通ることにした。
緩やかな勾配の坂を上るとトンネルが現れた。
大金トンネル。
いかにも金持ちになれそうな名前のトンネルだ。



トンネルを過ぎて、右側へ。
また、田圃の中の農道を走る。
ずっとまっすぐな道だ。
たぶん3キロ以上は真っ直ぐだろう。

しばらくすると久慈川サイクリングロードバイクへ。


その後は適当に道を選んで走る。

テルマエロマエで有名な七つ洞公園。


茨城放送の送信所。


さらに適当に田圃道を走り、那珂川のサイクリングロードへ戻ろうとした。
しかし、側溝と緑の土手。


止むを得ず、自転車を担いでエイッと飛び越えて、土手を駆け上がる。
子どものような気分を味わう。

まったりとサイクリングロードを走り、水戸の街へ戻った。

70キロ弱。

今日はなかなかいい感じの1日だった。
次は誰かを連れてこよう。




佐渡ロングライド2015当日1

2015-06-20 14:40:16 | 自転車
環境が変わるとなかなか熟睡できない。
案外と神経が細いのだ。
うつらうつらしているうちに朝が来てしまった。
午前4時30分に目覚ましの音が鳴るとすぐに起きた。
ゼッケンなどをつけていなかったので、急いでつける。
握り飯を食べる。
ジャージのポケットにアミノバイタルを数本入れる。
今年はあまり荷物を持たないことにしたのだが、換えのバッテリーなど小物を持つとどうしてもジャージの後ろポケットには入りきらない。なので、トレイルラン用の小さなバックパックを使うことにした。
そんなこんなでバタバタしているうちに集合時刻が迫ってきた。
今年はA3コースだ。
何もなければ、そして根性の限りを尽くせば、たぶん制限時間ギリギリに間に合うくらいだろう。
今年は仕事が忙しくまた朝早く走りこむ根性もなかったので、大会当日まで、3回しか走っていないのだ。合計しても100キロを超えて走っていない。その他の運動もしていない。今年は会議と夜の宴会で毎日が過ぎていった。
今回は、リタイア覚悟の出場なのだ。うまくいけばギリギリ完走できるかなと少しだけ甘い期待を抱いていた。

時計を見ると集合時刻まであと10分なので、急いで先輩の自宅を出て出発地点に向かう。
体育館前の広場に着くと、まだA3のグループは動き出していなかった。
仲間はBコースなので、ここで別れを告げる。
集合してからスタートまでが長い。ゾロゾロと自転車を押しながらにスタート地点に歩いていく。ちょっと進んでは止まりまた歩く。



今日は晴れという予報なのに雨が降り出しそうな曇り空。気温もやや低めで、海からの風が肌寒い。
スタート地点に近づくにつれて、注意事項などを読み上げるMCの元気な声が聞こえてくる。不思議なもので、声を聞くとだんだんとスタートが近くなったと思い、気持ちが落ち着かなくなる。
たしか20人が人組にされて、各グループごとに時間差を置きながらスタートをきる。
いってらしゃいという声や沿道の人からの頑張ってという声を聞くとなんだか照れくさい。
軽く手を振ったり、有難うございますと応えたりする。

去年はスタートして10分くらいで集団落車が発生していた。後ろからガシャガシャガシャッと大きな音がした。思わず振り返りそうになったが、後続から見るな!危ないと怒鳴られた。確かに集団の中にいるのに前方を見ないのは危ない。
スタートして最初の30分くらいまではだんご状態で密集しているので事故が起きやすい。十分に気をつけなければならない。

今年はページ配分が重要なので前半はかなり緩く温存する作戦であった。知らずにハイペースに鳴るのを防ぐために心拍数が一定以上を越えるとビープ音が鳴るように設定しておいた。
ところが、トレーニング不足に、細々とした坂道が多いせいか、心臓がばくばくして、ずっとビープ音を鳴らし続けることに。
たぶん、私のために前後の人は迷惑を被ったのではないか。ごめんなさい。

さて、心拍計からの警告音のおかげもあり、かなりのスローペースで順調に走ることができていた。

そして、とうとうお決まりのZ坂にやってきた。
毎年、Z坂の見晴らしのいいところで撮影をして、すぐにFacebookにアップすることにしている。
今年もアップしてみた。
友人からはいいねをたくさんもらうことができた。

これは手前から見たZ坂。

これがZ坂のトンネルの手前で撮影した写真である。絶景である。




佐渡ロングライド2015・前日その3

2015-06-06 08:42:48 | 自転車
さて、前日その3である。

受付会場を後にした我々が向かったのは地元の日帰り温泉である。
金北の里。
温泉に到着すると、すでに大会参加者らしき人々がたくさんいた。
明日の大会に備えて、温泉に浸る。
みなさん、考えることは同じなのですね。
佐渡にはいくつかの日帰り温泉があるが、地元の人はほとんどが相当にお年を召したご老人である。
比較的といっても50代くらいの入浴客は自転車乗りであることが雰囲気からわかる。
脱衣所で服を脱ぐときに地元のおじいちゃんから声をかけられて、あんたたちは明日の自転車の大会に来たのかと尋ねられ、「ご苦労さん。明日はがんばって」と声をかけられた。
地元のおじいちゃんからすると、ふだんはほとんど人がいないであろう温泉が満員になるのでトライアスロンか、マラソンか自転車の大会かと思うのだろう。
ちなみに佐渡島の人口は58,047人(2014年12月1日現在)で大会に出場する人が3500名だ。
これに応援やボランティアその他の関係者も加えると相当な数になる。
島のあちらこちらで混雑がおこることは間違いない。
さて、この金北の里はお世辞にもピッカピカにきれいなところではない。
どちらかというと歴史を感じさせる施設だが、お湯そのものはいい感じであった。
丁寧に身体を洗い、まったりとした気分を味わった。

風呂ですっきりした後は、夕食だ。
何を食べようということになり、仲間と議論をする。
佐渡島の先輩は、我々の好みがわからないのでどこも予約を入れなかったという。
議論の結果、佐渡島へ来てフランス料理もイタリアンもないだろう、やはり地元の新鮮な魚に限るという結論に達した。
店をどこにしたらいいか。スマホの食べログを見ながら、次々と候補の店をあげていく。
それを佐渡島の先輩が聞いて、次々にケチをつけてくる。
いわく「そこは聞いたこともない。まず地元の人間が行かない。観光客相手に高い店だ。そこは先代が生きていたときはよかったが息子になってからはダメになった。そこは遠すぎる。往復で2時間もかかる」などなど。
そんな話を温泉の椅子に座りながらやっていたが、らちがあかないので、とある寿司屋に決定。
電話をかけてみたら、予約はだめだが、今なら席が空いているという返事。
そこへ行こう。すぐに金北の里を出て店へ向かう。

到着。
まだ席が空いていた。
ラッキーだ。
メニューを見ながら、地元のもので美味しそうなものは何でも頼むことにした。
それと佐渡の日本酒。
佐渡の日本酒は、旨い。
なので、佐渡の先輩のお勧めを冷酒で頼んだ。
佐渡にはふぐの子の粕漬けというのがある。ごまフグの卵巣を粕漬けにした佐渡の珍味で名物だ。
ふつうにふぐの卵巣を食べたら死ぬ。
日本には、フグの卵巣を食べられるようにした場所が2カ所だけある。
たしか、石川県とここ佐渡島だけだ。
これは珍味なのでいただくことに。
塩辛いので日本酒にピッタリ。
それに烏賊の沖漬け。
これも日本酒がぐいぐい進む。
地元の新鮮な魚の刺身。
ノドグロの刺身。
もう、完全に酔っ払いですが、いいじゃないですか。
明日のライドのことなどまったく頭から消え失せてしまい、どんどんと酒を飲むのです。
「飲んで飲んで飲まれて飲んで」というある種の悪循環の世界に入り込んでしまいました。
かわいいお姉さんがマグロが入りましたので、どうですかとお勧めされました。
では、中トロを!

「はい。お待たせしました。中トロです」
かなり白っぽい刺身が載っていました。
こんな中トロは見たことがありません。
我々は、議論好きです。で。
それがなんであるかのかについて議論が始まりました。
中トロである。
そもそもマグロではないもの。
大トロである。
と3つの見解に分かれました。

いくら議論しても、外観からは判断できないので、味から判断しようということになりました。
その「中トロ」らしき物体を刺身皿の醤油につけます。
すると、刺身皿の醤油に細かくではありますが、脂が広がるのです。
ものすごい脂です。
慎重に箸でつまんで口にいれます。
ふぁーっと口の中でやわらかく脂が広がります。
全員が「旨い!」を連発。
こんな中トロは食べたことがありません。
さらに日本酒をぐいぐいと飲みながら、あまりの美味しさに賞賛しまりくです。
結局、我々の間では、佐渡島ではこのような刺身を「中トロ」と呼んでいるのだろうということで決着がつきました。

しかしです。
これが「中トロ」であったとしたら「大トロ」とはどんなものなのでしょう。
たぶんほとんど真っ白な脂だけのものに違いありません。
来年は「大トロ」に挑戦しようということになりました。
今から楽しみで楽しみでなりません。

えんえんと飲んでいたのですが、どうやら他の部屋で食べていた大会参加者らしき人たちはほとんど帰ってしまっていました。
酒に飲まれて宴会モードになっていたのはどうやら我々だけであったようです。

お店の人に、明日の朝のおにぎりを握ってくれるように頼み、それを受け取って、先輩の部屋に戻りました。








佐渡ロングライド2015・前日その2

2015-06-05 09:15:44 | 自転車
両津港に着くと、懐かしい先輩が待っていてくれた。
同行した2人は初めて会うので、簡単な自己紹介をしてもらい、さっそく先輩の軽自動車に乗り込む。
港を出ると、そこいらじゅうに、ロードバイクにバックパックを背負った人たちが走っていた。
清く正しい自転車乗りは、湊から宿まで自走するものなのだ。
それに比べて我々は完全に観光のノリである。
ちょっとした後ろめたさを感じながら、先輩の家に向かう。
先輩の家は、佐和田にある。
明日のスタート地点から自転車で10分くらいのところだ。
ここ何年かは某ホテルに宿泊していたのだが、今年は先輩の家に泊まることにした。
というのは、その某ホテルの部屋と料理に不満があったからである。
まずいわけではない。
そのホテルでは夕食にズワイガニを出してくれた。
5月のズワイガニは旬ではない。冷凍物である。
大会の前日は、大入り満室なので、大広間で一斉に食事をするのだが、ビールを頼んでもなかなか持ってきてもらえない。
仲居さんたちはてんてこ舞いをしている。
それはわかるのだが、やはり、早くしてよ~という気持ちになる。
これではなあ~と思うのだ。
せっかく日本海に浮かぶ佐渡島までやってきたのだから、旬から外れたズワイガニではなく、地物の美味しく新鮮な魚が食べたいのだ。
酒を頼んだら、3分以内に持ってきて欲しい。
50歳を過ぎると人間は忍耐力がなくなるのだ。
それで、考えた。
先輩に、そのホテルの話をしたら、オレの家に泊まればいいと言ってくれた。
宿泊費が一泊で約1万3000円で2泊だから2万6000円くらいがうく。
その分を地元の美味しい料理で飲み食い代に使えばいいのだ。
温泉だって佐渡の日帰り温泉がある。
仲間に話をしたら、これでいこうということになった。
先輩の部屋は大きいわけではない。
大人が4人雑魚寝をすることになる。
まるで大学生に戻った気分だが、たまにはそれもいいだろう。

まずは、両津港から先輩の家に向かう。
すでに自転車はヤマト便で先輩宅に送ってある。
それをチェックしてから、受付会場に向かうのだ。

私の自転車はシーコンのバックで送ったので、前輪と後輪をいれればそれでオッケーなのだ。
同行したお二人の自転車は、箱入りであった。
自転車屋さんから、輸送用の要らない箱をもらって、そこに自転車を入れたという。
見ると、車輪だけではなく、ペダル、ハンドルなどが外されている。
これを組み立てなければならない。
これに手間取った。
分解するときの手順を覚えていれば、その逆の手順になるはずなので簡単にできるはずなのだが、そうはいかない。
輸送するためにバラしたのが1週間前で、しかもバラすときは自転車屋さんに手伝ってもらったらしい。
なので、どうなっていたのかがわからない。
あーでもない。こーでもないと議論をしながら組み立てる。
しかし、
どうしてもうまくいかないところがある。
こんなときにスマホは便利である。
単に電話をかけただけでは、相手にどこで困っているのかがわからない。
しかし、スマホなら、写真を撮って送ることができる。
とくにiPhoneどおしならFacetimeというテレビ電話?のようなものがある。
これで現在作業している状況を中継すればいいのだ。
便利な世の中になったものだと変なところで感心する。

悪戦苦闘したため、受付締切10分前になってしまった。
先輩に車で受付会場に連れて行ってもらう。
着いたら、ギリギリの時間だった。
しかし、〆切時刻カッキリに締め切ってしまうという感じでもないらしい。
なんとなくだらだらな感じがいい。
受付会場には自転車グッズを販売しているところがあったので、自転車用の後部ライトを購入した。
ちょうど電池切れというタイミングもあり、せっかくだから大きなライトをつけたいと思っていたところ、500円という格安のライトがあった。
商品はしっかりしている。
なぜこんなに安いかというとパッケージが汚れたかららしい。
これはお安い買い物であった。
我々が、受付したときは前夜祭?が始まっていた。
豪華景品などがあたる抽選会があるのだが、これまで一度も参加したことはない。
かならずあたるなら出てもいいのだが、あたることはほとんどない。
なので、時間を無駄にするよりは、温泉を楽しみ、旨い料理を食べ、酒に酔いしれた方がいい。

ということで受付会場を後にした。