いつもは自転車で水戸藩の歴史を探るポタリングをしているのだが、今回は、ウォーキングで、水戸郵便局から本丸まで歩いてみた。
水戸郵便局は、ほぼ三の丸のはずれに位置する。
郵便局の北側の通りは、並木道と三の丸小学校の白壁がいい感じだ。
現在の三の丸小学校の敷地はもともとは弘道館の敷地であった。現在の三の丸のかなりの面積が弘道館だったのだ。弘道館は、水戸藩の藩校である。たぶん、今の感覚でいうと純然たる文系の大学のイメージではなく、防衛大学校的な存在だったのではないだろうか。確認していないが敷地内に馬場や射撃が少しできるような場所があったようだ。
並木道を歩いて、角を左折すると、弘道館がある。
正面の門には、弾痕がある。よほど近づいて探さないとわからない。
幕末にここで戦闘があったのだ。藩内部の闘争である。天狗税をほぼ駆逐した諸生派は、王政復古とともに逆賊として討伐の対象となる。諸生派は、一時、新潟のほうにまで行き、旧幕府軍とともに闘う。しかし、戦況が変化し、どうすべきかというときに、諸生派を追う水戸藩の兵士が留守のところを狙って水戸城を奪取しようと企てる。
行き場がなくなり、追い詰められた諸生派の市川らがここ弘道館に立て籠もり城を攻撃したという。そのときに弘道館の建物が焼けたという。
弘道館の正面には橋がかかっている。
この橋を渡ると二の丸になる。
渡るときに橋の下を見ると、三の丸と二の丸の間の昔の掘りの跡が道路として利用されていることがわかる。
二の丸辺りは現在文教地区である。学校だけがある。
水戸二中は、昔の雰囲気を感じさせようと白壁造りですべてを覆っていた。学校の門も歴史的な建造物をイメージさせる。反対側は、附属小学校と水戸ニ高だが、残念なことに白壁ではなくフェンスで味気なく囲まれている。
ここには、大日本史を編纂した彰考館があった。彰考館は、江戸、水戸二の丸、最後は偕楽園へと移転している。
彰考館の碑。
この近くに水戸城関連の瓦などを展示する小さなギャラリーがある。
ちなみに江戸時代の地図を見ると、水戸城の櫓は水戸二高の敷地内に建てられていたようだ。
この白壁造り沿いに歩くと、左手に樹齢約450年の老木がある。水戸藩の栄枯盛衰の歴史を見ていた証人とも言える老木である。
さらに進み、橋を渡ると本丸に至る。橋の下は掘りの後であり、今は水郡線の鉄路になっている。
中に入ると、門がある。
水戸一高の校内に移設された薬医門である。佐竹氏の時代まではここが城の中心であったようだが、徳川の時代になり、中心は二の丸となったらしい。
この後は、弘道館の北側の公園の敷地内を散策し、要石などを見た。
弘道館の公園は観梅の季節を除くとほとんど人がいない。静かで緑も豊かで
散策にはとてもよい。
散歩には、ここはお勧めコースだ。
今回は、距離があまりに短いので徒歩で歩いてみたが、これも自転車とは違った魅力がある。
徒歩はじっくり考える時間がとれるところがいいと思う。
水戸郵便局は、ほぼ三の丸のはずれに位置する。
郵便局の北側の通りは、並木道と三の丸小学校の白壁がいい感じだ。
現在の三の丸小学校の敷地はもともとは弘道館の敷地であった。現在の三の丸のかなりの面積が弘道館だったのだ。弘道館は、水戸藩の藩校である。たぶん、今の感覚でいうと純然たる文系の大学のイメージではなく、防衛大学校的な存在だったのではないだろうか。確認していないが敷地内に馬場や射撃が少しできるような場所があったようだ。
並木道を歩いて、角を左折すると、弘道館がある。
正面の門には、弾痕がある。よほど近づいて探さないとわからない。
幕末にここで戦闘があったのだ。藩内部の闘争である。天狗税をほぼ駆逐した諸生派は、王政復古とともに逆賊として討伐の対象となる。諸生派は、一時、新潟のほうにまで行き、旧幕府軍とともに闘う。しかし、戦況が変化し、どうすべきかというときに、諸生派を追う水戸藩の兵士が留守のところを狙って水戸城を奪取しようと企てる。
行き場がなくなり、追い詰められた諸生派の市川らがここ弘道館に立て籠もり城を攻撃したという。そのときに弘道館の建物が焼けたという。
弘道館の正面には橋がかかっている。
この橋を渡ると二の丸になる。
渡るときに橋の下を見ると、三の丸と二の丸の間の昔の掘りの跡が道路として利用されていることがわかる。
二の丸辺りは現在文教地区である。学校だけがある。
水戸二中は、昔の雰囲気を感じさせようと白壁造りですべてを覆っていた。学校の門も歴史的な建造物をイメージさせる。反対側は、附属小学校と水戸ニ高だが、残念なことに白壁ではなくフェンスで味気なく囲まれている。
ここには、大日本史を編纂した彰考館があった。彰考館は、江戸、水戸二の丸、最後は偕楽園へと移転している。
彰考館の碑。
この近くに水戸城関連の瓦などを展示する小さなギャラリーがある。
ちなみに江戸時代の地図を見ると、水戸城の櫓は水戸二高の敷地内に建てられていたようだ。
この白壁造り沿いに歩くと、左手に樹齢約450年の老木がある。水戸藩の栄枯盛衰の歴史を見ていた証人とも言える老木である。
さらに進み、橋を渡ると本丸に至る。橋の下は掘りの後であり、今は水郡線の鉄路になっている。
中に入ると、門がある。
水戸一高の校内に移設された薬医門である。佐竹氏の時代まではここが城の中心であったようだが、徳川の時代になり、中心は二の丸となったらしい。
この後は、弘道館の北側の公園の敷地内を散策し、要石などを見た。
弘道館の公園は観梅の季節を除くとほとんど人がいない。静かで緑も豊かで
散策にはとてもよい。
散歩には、ここはお勧めコースだ。
今回は、距離があまりに短いので徒歩で歩いてみたが、これも自転車とは違った魅力がある。
徒歩はじっくり考える時間がとれるところがいいと思う。