映画と音楽そして旅

主に懐かしい映画や音楽について…
時には新しい映画も…

(宇治・南山城) 「平等院ハスの花」

2006-09-26 00:00:59 | 旅 おでかけ
 山門の前に綺麗なハスの花が咲いていましたのでパチリです。
 当時に権力を持っていた関白藤原道長の別荘をその子頼通が、永承7(1052)にこれを仏寺に改め、平等院としました。
 永承7年頃は末法思想が貴族や僧侶らの心をとらえ、極楽往生を願う浄土信仰が社会の各層に広く流行していました。
 「ああ、世も末じゃ…」と思いかけたら、生きていくのが恐くてすがるのはただ神仏のお力だけ…だったのでしょう。
 それは平成になっても同じで若い頃は「神も仏も…と思っていた私も、最近はなにかにつけて神頼みや佛さん頼りが多くなりました。



(宇治・南山城)「鳳凰堂」

2006-09-26 00:00:09 | 雑記帖
お寺になった翌年の天喜元年(1053)には平等院の阿弥陀堂(鳳凰堂)が落成しましたが、堂内には平安時代の最高の仏師の、定朝によって作られた阿弥陀如来坐像が安置され華やかさを極めたとされています。
 約1000年前に建立された建造物や仏像は、世界遺産にも登録されております。

 華やかな藤原摂関時代をしのぶことのできるほとんど唯一の遺構として、このうえなく貴重な建築です。
 最も大きな特徴は池の中島に建てられていることで、あたかも極楽の宝池に浮かぶ宮殿のように、その美しい姿を水面 に映しています。
 堂内の中央には金色の丈六阿弥陀如来像が端座し、周囲の壁および扉には九品来迎図、阿弥陀仏の背後の壁には極楽浄土図が描かれています。
 そして左右の壁の上部には52体の雲中供養菩薩像が懸けられています。

 源平時代以降は京都も何回も戦乱の巷になっていますが、この宇治周辺はやはり田舎だったのか戦火は免れたようで、この古い貴重な建築物などが昔のまま残されています。

(映画音楽〉「ローマの秋」 (映画「終着駅」)

2006-09-25 00:02:26 | 映画音楽
 「気になる映画音楽」の続きですが気になり始めてから、五十数年もなるのに…まだ一度も聴いたことがない映画音楽がありました。
 それは以前にもブログで触れたことがあるイタリア映画「終着駅」の主題歌「ローマの秋」で、歌っているのはペギー・リーでした。
 「大砂塵」という映画自体はパッとしませんでしたが、ヴィクター・ヤングの哀愁に満ちたメロディに乗せて、彼女が自ら作詞して歌った主題歌の「ジャニー・ギター超有名になりました。
 しかしこの映画「終着駅」は話題になったのに主題歌の「ローマの秋」は、多くのヒット曲や名画ラッシュの影に隠れてひっそりと消えて行きました。
 ヴィトリオ・デ・シ-カの「終着駅」については、すでに私もブログで触れていますので今日はこの主題歌「ローマの秋」についてです。
 この音楽についての情報をブログ開設時から聞きまくっていたことがあり、ちょうど一年ほど前に九州のヒカルさんという方が、「終着駅」と「ローマの秋」に関するコメントを下さっていたのを、突然に思い出したのでバックナンバーから無断でコメントを引用させて戴くことに致しました。
 原文のままですが( )内は私の勝手な補足です。

 >『終着駅』は米・伊の二種類ありイタリア公開版が89分、アメリカ公開版は75分です。アメリカ版のほうに「ローマの秋」が挿入されているらしいです。
 私はレンタルでアメリカ版を観ましたが、物語に没頭してしまって(音楽が)何処で流れていたか全く気づかなかったというていたらく。結局「ローマの秋」が入っているCDを購入しました。
 解説も訳詞もついてない安いやつなので詳しい事は分かりませんが、冬が来たらローマの思い出と共に過ごそう、という内容の詩のようです。曲構成も挿入歌的で、この映画のために作られた曲じゃないでしょうか。
<噴水>、<松>等の単語もあり、小鳥のさえずる効果音もあって、レスピーギの「ローマの噴水」を彷彿させます。
 ペギー・リーの声は打って変ってかなりビターですが気に入りました<

 「レスピーギ」…わっ凄い!私は「ローマの松」のタイトルだけを知っている程度でしたが… この方は自己紹介で
>私はジャスト'80年に高校に入学、正に80'sカルチャー世代です。歌声喫茶、名曲喫茶、ジャズ喫茶、ロック喫茶等、まったく体験していません<
と語っていられるように私とは年代も、かなり若い年代の方だったようです。
 映画で聴き損なったからCDを買って…なんて、人様の下さる情報をアテにしている私と大違い…と感心しました。
 映画や音楽…クラシックやフオークなどにも詳しい方で、もっと教えて戴きかったのですが残念なことに、何故か…間もなく忽然と姿を消して仕舞われました。
 ブログをお持ちでなかったか、お持ちでも公表されていなかったのか…追っかけようがなくってそのままになって現在に至っています。

 何分にも暇なので「ローマの秋」の情報について、思い悩んでいたらこのデータのお蔭で、労せずしてかなり詳しい情報が得られました。
 こうして映画音楽に関するデータ・ベースを作ろうかな…と云う私の大それた目標も少しづつ近づきつつあります。
 ヒカルさんごめんよ…(彼については続編あり…です)

 「ローマの秋」を歌っていたいたペギー・リーを、ジューン・アリスンと同じ「癒し糸」と評していられる音楽ブログを発見しました。ほんとにその通り…核心を衝いた言葉に100%同感と思いました。
 と、書き始めるとキリガないので、いずれ別稿で…と思います。
  懲りずに読んで下さい…
 

 










(宇治・南山城)「「宇治川先陣の碑」

2006-09-25 00:01:58 | 旅 おでかけ
 塔の島から中の島に渡ると「宇治川先陣の碑」と刻み込んだ大岩がありました。
 この故事は「血わき肉踊る」シーンとして昔から有名です。
 よく知られている話しですが寿永3年(1184)、後白河上皇より朝日将軍・木曽義仲(義経には従兄弟にあたる)追討の命を受けた源九郎判官義経は、宇治川を挟んで義仲軍と対峙しました。
 激流を挟んだ両軍の決戦は義経軍の梶原源太景季と、佐々木四郎高綱の先陣争いで開幕します。

 最初は梶原源太が先陣と思われたのに、四郎高綱は『梶原殿、腹帯が緩んでいる!』と声をかけ、梶原が気を取られた隙を縫って先陣争いに勝ちました。
このとき四郎高綱25歳、源太景季22歳。いずれも堂々とした若武者振りであったと云われます。
 などと、しばらくは歴史の勉強です。

(宇治・南山城)「源氏物語・宇治十帖」

2006-09-25 00:01:36 | 旅 おでかけ
 古典に弱い私の古い記憶を呼び起こすための再勉強です。ご存知の方はパスして下さいね。
 平安中期の女流文学者の紫式部が書いた「源氏物語」は光源氏の生涯を語る前編と、次代の薫を中心とする後編の全五十四帖で、この中のラスト部分がこの「宇治十帖」で物語の主な舞台は宇治周辺になっています。

 それまでは、主人公・光源氏と彼をとりまく多くの女性達との恋物語でしたが、「宇治十帖」は光源氏の死後、彼の息子としてうまれた薫と孫の匂宮という2人の男性と、大君、中君、浮舟という3人の女性との哀しい恋物語です。
(注 薫は光源氏の妻が不倫して生まれた子供のようです。宇治は当時は藤原氏の別荘地だったようです。

 江戸時代に「宇治十帖古跡」が設定され宇治川をはさんで十箇所あります。
 散策してみたかったのですが、時間がないのでまたの機会に…
 橋姫(はしひめ)宇治川に架かる宇治橋の女神。現在は、宇治橋西詰から100mほど行った橋姫神社にある。
 椎本(しいがもと)京阪宇治橋駅東南の彼方神社にあります。
 総角(あげまき)宇治上神社の北、このあたりが八の宮の邸跡と想定されます。
 早蕨(さわらび)宇治神社の近く、さわらびの道
 宿木(やどりぎ)宇治川の左岸、平等院から300mほど上流。
 東屋(あずまや)宇治橋東北の東屋観音。
 浮舟(うきふね)現在は三室戸寺境内の鐘楼脇にありますが、元は参道の所にあったようで、その前は奈良街道沿いの波戸浮舟社にあったとのこと。
 蜻蛉(かげろう)宇治橋の東、三室戸寺への巡礼道沿いにあります。
 手習(てならい)京阪三室戸寺駅から東へ200mほどのところ。
 夢浮橋(ゆめのうきはし)宇治橋の西詰めのところ。

  紫式部について 
    978年ごろ出生。藤原為時(文章博士)の娘。
    996年、父の任地・越前(現・福井県武生市)に赴く。
    999年、藤原宣孝と結婚。娘は賢子。
   1001年、夫と死別。
1005~1013年、藤原道長に認められ、中宮・彰子の女官となりました。

 家から近くなのにまるで遠くの見知らぬ土地へ来たような、不思議な気分になりました。
 我が家にも「潤一郎訳 源氏物語」とか云う、古めかしい和綴じの本があるのですよ。姉の持ち物と思いますが…一度も開いたことがありません…
 勉強が足りません…ね。









(宇治・南山城) 「鵜飼い船}

2006-09-24 00:08:29 | 旅 おでかけ
 今年は六月頃から宇治川名物の鵜飼いが行われていたようです。鵜飼いと云えば長良川が有名ですが観光の目玉として、宇治市では二名…全国でも四人…と云う珍しい女性鵜匠もいて活躍されています。
 ためしに料金を聞いて見ました。
  乗合船 大人1,800円 小学生900円
  貸切船 10人乗25,000円 15人乗 37,500円 20人乗50,000円
 
 女性鵜匠は二人とも岐阜市の出身ですが、長良川の鵜飼は世襲制のものですから憧れでした。 餌やりや小屋の清掃や鵜の世話は鵜飼のシーズン以外も毎日ですから、大変ですが鵜飼のときに鵜が魚を沢山獲って、お客様に喜んで戴けるのが何より嬉しいそうです。
 尚、今年の鵜飼いは今日限り…9月24(日)日で終わる予定になっています。

(宇治・南山城散策)「急流だ!」

2006-09-24 00:07:50 | 旅 おでかけ
 塔の島の反対側の流れはゆったりとした、こちらの流れと対照的な急流です。多分発電所などから排出された水量が多いので、こちらの流れに比べると流れも白く泡立って見えます。

 鵜飼いは終わりますが「宇治川舟茶席」と云うのが9月25日(月)から始まるそうです。風光明媚な自然を目の前に、宇治川を上り下り…風流な舟での茶席にて、宇治名産のお抹茶を戴くのも情緒あっていいかも…




 

(宇治・南山城散策)「釣り人たち」

2006-09-24 00:07:13 | 旅 おでかけ
 急流に釣り人たちが竿さしています。
 なにが釣れるのか聞いて見ました。釣り人たちのお目当ては大体アユが多いようです。アユは普通の釣餌では釣れないので、特別な獲り方があります。
 これは私たちの近くの川でも同じですが、ガラスのついたのぞき箱でアユを見ながら引っ掛けたり、アユが群れる習性を利用して獲る「友釣」など…いずれも技術が要ります。外にコイやフナなども獲れるそうです。
 
 魚釣りは勿論有料ですが…一日中川で釣っていたらいくら要るのかな…この川の場合は一日三千円也…ところが一年間だと七千円也…
 こりゃ割安!…かどうかは私にはよく判りません…

 


 「追悼 高木東六氏」

2006-09-24 00:06:30 | 音楽
 こんな歌聴いたことありますか…
     藍より蒼き大空に 大空に 忽ち開く百千の
     真白き薔薇の花模様 見よ落下傘空に降り
     見よ落下傘空を征く 見よ落下傘空を征く
             作詞 梅木三郎  作曲 高木東六 
 私たちが国民学校…今の小学校へ入った頃の歌です。
 戦争は始まったばかりでしたがその頃に、国民の戦意高揚のために作られた「戦時歌謡」の「空の神兵」です。
 昭和17年1月 セレベス島へ落下傘部隊降下
       2月 スマトラ島パレンバン飛行場に降下     
       3月 オランダ軍全面降伏、
           油田と製油場の確保に成功
 今では「空挺部隊」と云うらしいですが、こんなに景気の良い大戦果を称えた歌でしたが、歌の目的や内容はともかくとして、メロディは戦時中の歌らしからぬとても綺麗な曲でした。
 戦後は二葉あき子の歌で「水色のワルツ」をヒットさせるなど、昭和の歌謡史に大きい足跡を残した人です、
 この高木東六さんが亡くなられたのは8月25日のこと…享年102歳でした。
 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
 
 高木さんに限らず私たちが幼少期に聞いた歌には、その歌の正邪善悪は別としてなにか忘れられない愛着があります。
 今でも国旗掲揚の是非がどうのとか、いろいろ意見があるようですが私は「戦時歌謡」なら、「日の丸行進曲」と云う歌に深い思い入れを感じます。
    母の背中で小さいで  振ったあの日の日の丸の
    遠いほのかな思い出が  胸に燃え立つ愛国の
    血潮の中にまだ残る
 戦場へ赴く兵隊さんを送るために振った旗…「シンガポール陥落」「マニラ占領」などの祝賀行列…その度に無心な気持で打ち振った日の丸の旗…今から考えると馬鹿みたい…なことも、私たち世代には胸にキュンと来るものがあるのです。

 この歌に出てくる「愛国」と云う言葉から受けるイメージが年代によって、こうも違うのだな…と云うことを感じたことがあります。
 それは私が中年の頃に今まで全く知られていなかった、北海道の国鉄ローカル線の切符が1,300万枚も売れたのです。それは大赤字で廃線寸前と云う当時の国鉄「広尾線」の「愛国駅」から「幸福駅」までの切符でした。
 当時の中高年には軍国主義的なイメージしか浮かんで来なかった「愛国」と云う言葉も、若い世代には「愛国」は「愛の国」であり、この駅から「幸福」駅にへ…ほんとに「倖せいっぱい…愛の終着駅」と云う風に感じられたようです。
 勿論、実在した駅ですが丁度その頃に北海道へ行った私は、その頃はまだ子供だった娘の将来の為にこの区間の切符で作られたキーホルダーを買って帰った筈でしたが、どこへ仕舞い忘れたか…長年のうちに行方不明になって、肝心の娘の結婚には全然間に合いませんでした。
 そして国鉄「広尾線」も健闘空しくブームが去ってから、廃線になったそうで中年時代の思い出が一つ減りました。
 
 「愛国」と云う言葉から変な方向に脱線してしまいましたが、古い「歌」や「言葉」からいろいろの思いが去来するものなんですね。


 
 



(雑記帳) 「定年後11年目突入!」

2006-09-24 00:03:51 | 雑記帖
 現役の頃…いずれ退職して暇が出来たら余って来る時間をどのように過ごすか…が私の最大の関心事でした。 それは家庭で居場所がなくなって粗大ゴミ…と云うマイナーなイメージが私の頭に定着していたからです。
 私としては「晴耕雨読」が理想みたいに思えましたが、なにか「余暇対策を」を考えて置かなくちゃ…などと、漠然と思っていた頃がありました。
 
 そして、いよいよ…会社からは「定年退職」の、辞令が出たのは十年程昔のことです。が、直ちに現職のまま「再採用」であっと云う間に五年…それからまた五年…合計十年…
 いよいよ今度こそは危ないな?…と思いながら、会社から音沙汰ないのを幸いに「頬被り」してまた一年…そして遂に十一年目に突入!

 流石にけじめがつかないので「午前中出勤」と云う事で再々延長になったのですが…貰った書類では期限は特に定めなし…と云うことは「無期」と云うこと…???
 実務面での仕事はすでに若い世代に引き継いで仕舞ったので、あまり出しゃばることもありません。
 しかし管理面の仕事での私の後任者が、一向に任命される様子がない…じゃあ今まで通りの仕事を続けよか…とデンと居直ることに決めました。
 と云う訳で変ったのは勤務時間が短くなったのと、〇〇〇が少し軽くなっただけ…外は何も変らずです。
 
 帰宅してからはたっぷりと「昼寝」と云う名の「充電」や、ブログの「点検と反省?」をしてしているうちに陽が西に傾いてきます。
 少し日陰が出来た頃に少しばかり菜園の世話をして…そうこうしている内に今日も一日が平凡にに過ぎて行く…と云う仕掛けです。
 でも季節も変わってそろそろ「昼寝」も、うすら寒くなって来るし…どうも今は中途半端…なにか落ち着かない日々であります。