映画と音楽そして旅

主に懐かしい映画や音楽について…
時には新しい映画も…

(宇治・南山城散策)「塔の島」①

2006-09-23 00:01:31 | 旅 おでかけ
 今まで何度も近くを通っているのに、恥ずかしながらこの「塔の島」を訪れるのは初めてで、いわば北方領土へ渡るような感じでした。
 この朱色も鮮やかな橋を渡る時には、なにか未踏の地に足を踏み入れるような気分で、年甲斐もなく仄かなときめきを感じましたよ(大げさ…)

  

(宇治・南山城散策)「塔の島」②

2006-09-23 00:01:03 | 旅 おでかけ
 以前からこのあたりを通るたびに気になっていたのが、この島の名前の由来になっている石塔でした。
 この石塔の由来を宇治市のHPで調べてみると…

 弘安7年(1284年)に宇治川の殺生禁断令の発布で、漁業は全面的に禁じられ魚霊を供養し水流の安泰を仏に祈願するために宇治川に小島を築き、高さ15メートル余の「浮島十三重石塔」(重要文化財)を建てたのが起原だそうです。
 現存するのは日本最古の石塔ですが塔の下には、漁具や漁舟などを埋めて法要を営んだといわれます。
 その後は現在に至るまでこの石塔は、数回にわたって倒壊したそうですが、その都度建て直されています。



(宇治・南山城散策)「塔の島」③

2006-09-23 00:00:39 | 旅 おでかけ
 この「十三重の塔」は高さ15.2mのわが国最大の古い石塔で、前ページでも触れたように洪水や地震で倒壊・傾損を繰り返す度に再建されました。
 しかし1756年の洪水による倒壊の際の復旧は難工事のため断念され、それ以後は150年もの間、川中に埋没していました。
 その後、明治41年(1908年)に九重目の笠石と相輪を補い再興され、昭和28年(1953年)には国の重要文化財に指定されました。

 と云うことでホーム・ページの引用ばかりで申し訳ありません。
 橋の上から下流の方を眺めて見ましたが、さっきのダムサイトはこの流れのもう少し上手でそう遠くではありません。
 風流な屋形船が多数浮かんでいるのが見えますが、陽が西に傾いた夕刻から河面を吹き抜ける涼風を友に大勢の美女達をそばに侍らせて、優雅な宇治川周遊を楽しんだ平安貴族の夢の跡でしょうか。

(今日のCD) 「秋桜(こすもす)&ケ・セラ・セラ」

2006-09-22 00:02:36 | 音楽
 陽射しも真夏に比べるとやや柔らかくなって、高い青空と赤いコスモスの花が目に沁みます。
   こんな小春日和の穏やかな日は
   もう少しあなたの
   子供でいさせてください
 明日…嫁ぎ行く女の子の心情をしみじみと歌いあげた、さだまさしの懐かしい歌の一節が脳裏を掠めました。
 、そういえば我が家の娘たちが結婚して早くも十年の歳月が流れましたが、二人の娘たちはどんな気持で嫁いで行ったのかな…などと、今まで全然考えたこともなかったことが俄かに気になって来ました。

 人生すべて「ケ・セラ・セラ」と我が尊敬するドリス・デイ大先輩の教えに従って、今まで過ごしてきた我が人生…大きな悔いもないしそれなりに納得しているのですが、少しばかり暇が出来ると…つまらないことばかり考えるものなんですね。
 
 合わせて三人の孫たちは年長児でもまだ小学生…年少児はまだやっと今年から保育園…男の子ばかりですが、順調に成長して逞しくなって行くのは心強いことであります。
 外孫とは云え将来は誰かを我が家の「世継ぎ」に…と云うのは、我が家を出て他家へ嫁いだ娘達との暗黙の了解でした。
 
 でも、こればかりは神様かコウノトリ任せでしたが、幸運にも…だから安心してればいいようなものですが、大人だけの身勝手な約束を何も知らずに、無心に遊んでいる孫たちを見ているとやっぱり少しは心配になります。
 
 「お世継ぎ有力候補?」の第三の男の子…いや「第三の孫」は私が孫達を我が家へ、誘引するために用意した「目玉」の「模型機関車&電車」が大変なお気に入りで、来るたびに部屋一杯に線路や列車をぶっちゃけまくってて帰ります。
 作戦は見事に大当たり…ですから後始末は勿論、私のお役目ですが…なんと云っても「孫に嫌われちゃーお終いよ」ですので…と云って「大甘」もどうかな?…まぁいいか…のびのびと育ってくれればそれでええやないか…などと悩み多きこの頃であります。
 無責任な言い草ですが…
 「ケ・セラセラ なるようになるさ 先のことなど判らない…♪」
と云う数十年も昔のドリスお姉さんの教えをよく守って、これから先もなるべくお気楽ムードで生きて行くしかしょうがないようです。


 
  
 

(宇治・南山城)「天ケ瀬ダム」 ①

2006-09-22 00:01:38 | 旅 おでかけ
 家から近い…と云うことはいつでも行ける…と云う安心感があるのか、前を通っていても立ち寄ったこともない観光地があります。その一つが「宇治平等院」ですがここは家から、30分ぐらいの距離のところで、一度訪れてみようか…と云う気分になりました。
 国道307号線を30分余り走ると、琵琶湖を源流とする瀬田河の下流…宇治川の畔に出ます。やがて巨大なコンクリートの塊…天ケ瀬ダムが現れてきました。
 私がバイクの免許をもらった頃は急に行動半径がが広がったような気がして、あちこちを走り回りましたがその頃に、ちょうどこのダムが工事中だったのを記憶しています。
 
 

(宇治・南山城)「天ケ瀬ダム」 ②

2006-09-22 00:01:11 | 旅 おでかけ
 このダムが出来るきっかけは昭和28年(1953年)の夏と秋の二度にわたり、私たちの地域や京都府南部を襲った大洪水で私もよく覚えています。
 この水害は宇治市とその周辺に大きな爪あとを残しましたが、この災害の体験から宇治川を本流とする淀川水系の安定化が立案されました。
 そして出来上がったのが高さ73メートルのアーチ式多目的ダムで、昭和39年(1964年)に完成しました。
 もう二十代も後期でしたが物珍しさに周辺を、ウロチョロと走り回っていた時期と重なるようです。
 右側に少しだけ見えている宇治川沿いの道は、片側は絶壁…もう片方はダムサイトのスリル満点のコースでしたが、拡幅の余地がないので狭い九十九折は今でも昔と全く同じで少しも変わっていません。
 センター・ラインには突起が埋め込まれていて、センターをはみ出して走ると物凄い振動に、我慢できなくなってスピードを緩めて温和しく走る仕掛けになっています。


(宇治・南山城)「天ケ瀬ダム」 ③

2006-09-22 00:00:38 | 旅 おでかけ
、少し下流には発電所などもありますが、古風な赤レンガつくりで少しレトロ気分も感じられます。
 日本アルプス山系のダム群に比べれば比較にならない小さい規模ですが、京都や大阪の大都市の中心部から至近距離に、このような大型のダムがあるところは稀で珍しいと云われます。
 観光案内には
 「満々と湛えられた水の広がりは鳳凰湖と命名され、春は花、夏は納涼、秋は紅葉と四季それぞれに美しい」
と紹介されていますが実際には前ページの写真のように、いつ通っても水不足なのか…満々と水を湛えていることはあまりありません。
 このダムも上流からの土砂の堆積で浅くなり有効貯水量は、年々減っています。 上流のあちこちでダが計画されていましたが、最近のダム見直し論議の中で凍結や再検討が相次いでいるようです。

(映画音楽)「ひまわり」

2006-09-21 00:05:19 | 映画音楽
 我が家の庭は遅まきながら「ひまわり」が満開です。
 映画「ひまわり」のようにロシアの広大な大地に咲いていた、ひまわりに比べればささやかなものですが…
 この映画は私にとってある意味を持っています。私が初めて見たイタリア映画は「自転車泥棒」でした。
 貧困に苦しむ戦後のイタリアの親子の出来事は、私の胸を締め付けましたがストリー自体は敗戦直後の日本では、別に珍しいことではありませんでした。
 NHKの放送劇や映画にもなった「鐘の鳴る丘」のように、父母を戦災で失った戦災孤児の問題など、深刻な問題は別にイタリアだけではなかったからです。
 
 それよりも戦勝国アメリカの華やかなミュージカルの方が、夢や憧れがあったし現実逃避が出来たし楽しく感じられました。
 結局あの映画以来数十年間にわたりイタリア映画と云うものは、一本も見ないで近年まで過ごして来ました。その癖にイタリア各地を舞台とした「旅愁」「旅情」「ローマの休日」などの映画はしっかりと見ていたと云う内部矛盾には全く気づかずにいました。
 これらのメロドラマや現在風のおとぎ話には、厳しい現実描写はなかったし当時の私には、なによりも甘ったるい夢やロマンの方が必要だったのでしょう。
 
 突然に気が変ったのはやはり映画「ひまわり」のせいでしょうか。主演のソフイア・ローレンは1950年代に「河の女」などで、すでに映画に出ていたし私も名前ぐらいは知っていましたがあまり関心はありませんでした。
 この映画はH・マンシーニの音楽に惹かれて見たのですが、いつの間にか映画の世界に惹き込まれていく自分に気づきました。
 そして今頃になってあの頃に見損なった、古い映画の幻を未だに追い求めています

 夏の象徴とも言えるこの陽気な花が、彼岸花などと秋の花といっしょに咲いているのを見ると、なにか季節を忘れそうになりました。 
 もうすでに彼岸に入ったようで、秋は少しづつ確かに近づいているようです。

(ふるさと再訪)「テニス・コート」

2006-09-21 00:04:52 | 旅 おでかけ
 大浜公園には市の体育施設が多数設けられていてますが、ここはテニス・コートのようです。私の二十歳過ぎにはテニスが大ブームになりました。
 それはよく知られたお話しですが天皇さまが皇太子の頃に、現在の皇后さまと知り合いにならたきっかけが、軽井沢でのテニスを通じてだったからです。

(ふるさと再訪)「公園あちこち」

2006-09-21 00:04:19 | 旅 おでかけ
 そのほかに体育館やプールあるいはレクレーション広場などがあります。
 ところで私が確かめたかったことがもう一つありました。
 それは私が記憶している路面電車ですが一本は阪堺線として、現在も市内を走っていることは確認できました。
 しかし市内から大浜公園の方向に走っていた電車が、あったはずでしたがこれは全然見当たりませんでした。
 これが少し心残りでしたが私の幼い頃に、僅かなひとときでしたが戻ることが出来たのは幸せなことだったと思います。