この映画は私が二十歳ぐらいの頃一度は見た映画ですが、それから半世紀も立ってから再度見ました。映画自体よりジェローム・カーンが作曲した主題歌の、美しいメロディに惹かれて見たような気がします。
第二次大戦が終わって歓びの声に沸き立つパリの街角で、米軍将校のチャールズ(ヴァン・ジョンソン)は突然、見知らぬ若くて美しい女性からkissされます。
旧友に紹介されて知り合ったマリオン(ドナ・リード)にパーティに招かれて訪問した彼女の家で、彼にkissした女性ヘレン(エリザベス・テイラー)と出会い二人の間に恋の炎が燃え上がり二人は結婚します。
彼女はいつもなにかに「追われている」感じで「いつこの世が終末を迎えても悔いを残さぬように」せい一杯「楽しんで」暮らすことを信条として生きています。
「私は高くつく女よ…それでもいいの?」と云う彼女に彼は頷きます。「恋は盲目…」とは本当に核心を衝いた言葉です。
通信社に勤めながらせっせと小説を書いても原稿が全く売れない彼、相変わらず派手な衣裳で遊び廻る彼女…娘を抱えて、生活は苦しく給料の前借りばかり…
いよいよ生活は破綻…と云うところで、突然に幸運が舞い込んで…
よくもまぁこれだけ派手に遊べるな…と感心するぐらい次から次へと派手なフアッションで、プレイ・ボーイ達と遊びまくるのには目を見張りました。
思わぬ幸運にチャールズは売れない作家生活に、おさらば…と愛用のタイプライターも処分して…今度は彼が酒浸りの毎日…彼のあまりの変貌ぶりに今度はヘレンの心の中に変化が起きていくのですが事態はは急速な破局へ…
彼がモンテカルロ・ラリーに出るシーンがありましたが、この映画を見たときにはあまり感じなかったけど今見ると凄いスリルなんですね。
結末はタイトルに示されている通りで判り切っていたし、私の関心はとにかくヘレンの派手な遊びっぷりとフアッションだけに、集中して仕舞ったのは残念なことでした。
でも数十年立って見直した今…その頃全くと云っていい程、気がつかなかったことがありました。それは彼女の友人マリオン役のドナ・リードと一人娘ピッキーの存在でした。
彼女は「地上より永遠に」の演技で知られていますが、この作品では地味な存在で目立ちませんでしたが今見直して見ると、ラストの場面をきちんと締めくくってくれたように感じました。
ヘレンの死後に彼は娘ピッキーをマリオン夫妻に残したまま、アメリカへ帰ってしまいます。
数年後再びパリを訪れた彼はピッキーと再会して、マリオンに「娘を返してくれ…」と云います。ヘレンの死の原因が彼にあったことを知っていて、友人を死なせた彼をを許していなかったマリオンは、身勝手な申し入れに激怒します。
助演のドナ・リードを最初にこの映画を観たときは、なにか終始冷たーい感じの女優…ぐらいで、あまり印象に残っていなかったし、ラスト部分の子供の親権がどうの…とか云うストリーは、完全に私のメモリーから脱落していました。
ピッキーの存在は物語の本質にかかわる重大な要素だったのに、私の記憶ではこの映画はヘレンの死をもって終っていたのです。
「子供」の問題は別の映画「愚かなり我が心」でも出てきますが、こんな重大な事柄を覚えていない…って云うことは…あの頃は子供や結婚などはまだまだ遠いこととして、全く関心がなかったからだったのでしょうか??
今頃になって数十年前の自分の気持を、あれやこれやと詮索したり反省するのでした。
ジェローム・カーンについて私はジャズ曲「煙が目にしみる」しか知りませんが、この映画の主題曲が気に入ったのは「想い出のパリ」と云う邦題名で、シャンソンとして譜面が掲載されていたからです。
花香るパリ雨もたのし 赤い灯の酒場さんざめく声
空碧きパリ鳥は歌い マロニエの木蔭行く恋人
(M, by Jerome Kern)
タイトルが映画と同じ「The Last time I Saw Paris」と英語で、歌詞はフランス語のルビ付きが載っていて、映画では冒頭にメロディだけが流れていました。
この映画は評論家の評価では今ひとつで、大して話題にもならずに終わりましたが、主題歌だけは私でもメロディを覚えるくらい耳にした名曲だったと思います。
昔に観た映画を改めて見直すとあの頃に見えなかったものが、見えてくるものなんですね…などと今になって痛感しました。
これからも頑張って古い映画を見ましょうか。
フランシス・スコット・フィッツジェラルド原作の短編小説「バビロン再訪」
出演: エリザベス・テイラー, ヴァン・ジョンソン ドナ・リード
監督: リチャード・ブルックス 115分
第二次大戦が終わって歓びの声に沸き立つパリの街角で、米軍将校のチャールズ(ヴァン・ジョンソン)は突然、見知らぬ若くて美しい女性からkissされます。
旧友に紹介されて知り合ったマリオン(ドナ・リード)にパーティに招かれて訪問した彼女の家で、彼にkissした女性ヘレン(エリザベス・テイラー)と出会い二人の間に恋の炎が燃え上がり二人は結婚します。
彼女はいつもなにかに「追われている」感じで「いつこの世が終末を迎えても悔いを残さぬように」せい一杯「楽しんで」暮らすことを信条として生きています。
「私は高くつく女よ…それでもいいの?」と云う彼女に彼は頷きます。「恋は盲目…」とは本当に核心を衝いた言葉です。
通信社に勤めながらせっせと小説を書いても原稿が全く売れない彼、相変わらず派手な衣裳で遊び廻る彼女…娘を抱えて、生活は苦しく給料の前借りばかり…
いよいよ生活は破綻…と云うところで、突然に幸運が舞い込んで…
よくもまぁこれだけ派手に遊べるな…と感心するぐらい次から次へと派手なフアッションで、プレイ・ボーイ達と遊びまくるのには目を見張りました。
思わぬ幸運にチャールズは売れない作家生活に、おさらば…と愛用のタイプライターも処分して…今度は彼が酒浸りの毎日…彼のあまりの変貌ぶりに今度はヘレンの心の中に変化が起きていくのですが事態はは急速な破局へ…
彼がモンテカルロ・ラリーに出るシーンがありましたが、この映画を見たときにはあまり感じなかったけど今見ると凄いスリルなんですね。
結末はタイトルに示されている通りで判り切っていたし、私の関心はとにかくヘレンの派手な遊びっぷりとフアッションだけに、集中して仕舞ったのは残念なことでした。
でも数十年立って見直した今…その頃全くと云っていい程、気がつかなかったことがありました。それは彼女の友人マリオン役のドナ・リードと一人娘ピッキーの存在でした。
彼女は「地上より永遠に」の演技で知られていますが、この作品では地味な存在で目立ちませんでしたが今見直して見ると、ラストの場面をきちんと締めくくってくれたように感じました。
ヘレンの死後に彼は娘ピッキーをマリオン夫妻に残したまま、アメリカへ帰ってしまいます。
数年後再びパリを訪れた彼はピッキーと再会して、マリオンに「娘を返してくれ…」と云います。ヘレンの死の原因が彼にあったことを知っていて、友人を死なせた彼をを許していなかったマリオンは、身勝手な申し入れに激怒します。
助演のドナ・リードを最初にこの映画を観たときは、なにか終始冷たーい感じの女優…ぐらいで、あまり印象に残っていなかったし、ラスト部分の子供の親権がどうの…とか云うストリーは、完全に私のメモリーから脱落していました。
ピッキーの存在は物語の本質にかかわる重大な要素だったのに、私の記憶ではこの映画はヘレンの死をもって終っていたのです。
「子供」の問題は別の映画「愚かなり我が心」でも出てきますが、こんな重大な事柄を覚えていない…って云うことは…あの頃は子供や結婚などはまだまだ遠いこととして、全く関心がなかったからだったのでしょうか??
今頃になって数十年前の自分の気持を、あれやこれやと詮索したり反省するのでした。
ジェローム・カーンについて私はジャズ曲「煙が目にしみる」しか知りませんが、この映画の主題曲が気に入ったのは「想い出のパリ」と云う邦題名で、シャンソンとして譜面が掲載されていたからです。
花香るパリ雨もたのし 赤い灯の酒場さんざめく声
空碧きパリ鳥は歌い マロニエの木蔭行く恋人
(M, by Jerome Kern)
タイトルが映画と同じ「The Last time I Saw Paris」と英語で、歌詞はフランス語のルビ付きが載っていて、映画では冒頭にメロディだけが流れていました。
この映画は評論家の評価では今ひとつで、大して話題にもならずに終わりましたが、主題歌だけは私でもメロディを覚えるくらい耳にした名曲だったと思います。
昔に観た映画を改めて見直すとあの頃に見えなかったものが、見えてくるものなんですね…などと今になって痛感しました。
これからも頑張って古い映画を見ましょうか。
フランシス・スコット・フィッツジェラルド原作の短編小説「バビロン再訪」
出演: エリザベス・テイラー, ヴァン・ジョンソン ドナ・リード
監督: リチャード・ブルックス 115分