映画と音楽そして旅

主に懐かしい映画や音楽について…
時には新しい映画も…

(映画音楽) 再び「リリー・マルレーン」

2006-09-12 00:05:03 | 映画音楽
 名作「モロッコ」でその妖艶な姿を見せたマレーネ・ディトーリツヒについては、第二次大戦中に広く愛唱されたと云う「リリー・マルレーン」と云う歌と映画と共に、以前にもブログに書いたことがあります。
 アメリカも太平洋海域や欧州戦線で本格的な的な反攻に入っていましたが、ハリウッド・スターも続々と軍隊に入って行きました。
 ジェームス・スチュアートやクラーク・ゲーブルは空軍に、ヘンリー・フォンダは海軍に、タイロン・パワーは海兵隊にと次々に前線へ前線へ赴いていきました。 そんな中でナチスに反対して祖国ドイツからアメリカで、すでに帰化していたマレーネ・ディートリッヒも自ら進んで前線将兵の慰問に廻っていました。
 そして北アフリカ前線では彼女が歌う「リリー・マルレーン」が、敵味方の区別なく戦場の兵士の口から口へと、歌い継がれて行きました。
      夜霧深くたちこめて 灯りともる街角に
      やさしくたたずむ恋人の姿
      いとしいリリー・マルレーン いとしいリリー・マルレーン 
         (中略)
      目を閉じれば見えてくる 街灯りに君の姿
      生きて帰れたら 再び会えるね 
      いとしいリリー・マルレーン いとしい リリー・マルレーン  
                           (作詞 片桐和子)
 この歌が戦場に流れると連合軍もドイツ軍の間に、銃砲声が止んで平和と静寂な一瞬が訪れたという「伝説」があります。 
 主に連合軍兵士の間で歌っていた彼女が、祖国ドイツの兵隊の前で歌うこともありました。
 それは捕虜収容所にいるドイツ兵の慰問のためでしたが、彼女の歌にまだあどけない幼ない面影を残した若いドイツ兵の頬を、涙がとめどなく流れ落ちて行ったといわれます。
 敵味方に分れて争うする国の間で国境を越えて均しく愛された…と云う女性、マレーネ・デイトーリッヒの偉大さを今更ながらしみじみと感じます。

 冒頭で記したように「リリー・マルレーン」については、昨年の8月19日の私のブログにも掲載してありますのでご覧下さい。
 

 

(ふるさと再訪)「フエニックス通り」

2006-09-12 00:04:24 | 旅 おでかけ
 懐かしの我が家の跡を通過すると間もなく御陵一周は終了…スタート地点に戻って来ました。殆どが普通の市街地走行で御陵の森やお堀は全然見えませんでしたが、一応の目的は果たしたのでさっき通った道をもう一度通って、次の目的地「大浜公園」へ行くことにしました。
 海岸方面へ向かう大通りを西向きに走って行くと、今時珍しい「路面電車」に出会いました。南海電鉄「阪堺線」ですがこの電車も長年にわたり車社会に押されて陰が薄かったようです。しかし最近はレトロ気分に助けられ大量輸送機関としての価値が、見直されつつある中でなんとか息をつないでいるようです。
 やがて南海本線のガードの手前付近で、異様な熱帯樹の並木(?)が連なっていました…なにか南国へでも来たような雰囲気になって来ました。
 その名も「フエニックス通り」と云うのだそうで…堺市は室町から戦国時代にかけて、自由貿易の基地として東南アジア諸国との交流が多かったので、異国情緒を感じるのも当然かとも思われます。