塔の島から中の島に渡ると「宇治川先陣の碑」と刻み込んだ大岩がありました。
この故事は「血わき肉踊る」シーンとして昔から有名です。
よく知られている話しですが寿永3年(1184)、後白河上皇より朝日将軍・木曽義仲(義経には従兄弟にあたる)追討の命を受けた源九郎判官義経は、宇治川を挟んで義仲軍と対峙しました。
激流を挟んだ両軍の決戦は義経軍の梶原源太景季と、佐々木四郎高綱の先陣争いで開幕します。
最初は梶原源太が先陣と思われたのに、四郎高綱は『梶原殿、腹帯が緩んでいる!』と声をかけ、梶原が気を取られた隙を縫って先陣争いに勝ちました。
このとき四郎高綱25歳、源太景季22歳。いずれも堂々とした若武者振りであったと云われます。
などと、しばらくは歴史の勉強です。
この故事は「血わき肉踊る」シーンとして昔から有名です。
よく知られている話しですが寿永3年(1184)、後白河上皇より朝日将軍・木曽義仲(義経には従兄弟にあたる)追討の命を受けた源九郎判官義経は、宇治川を挟んで義仲軍と対峙しました。
激流を挟んだ両軍の決戦は義経軍の梶原源太景季と、佐々木四郎高綱の先陣争いで開幕します。
最初は梶原源太が先陣と思われたのに、四郎高綱は『梶原殿、腹帯が緩んでいる!』と声をかけ、梶原が気を取られた隙を縫って先陣争いに勝ちました。
このとき四郎高綱25歳、源太景季22歳。いずれも堂々とした若武者振りであったと云われます。
などと、しばらくは歴史の勉強です。