映画と音楽そして旅

主に懐かしい映画や音楽について…
時には新しい映画も…

(シネマ)「丹後路…映画山椒大夫」

2006-09-04 00:08:52 | 映画
 丹後路を舞台にした映画(山椒大夫」を見ました。
 私が始めてこの地を訪ねたのは二十代の頃…勤め先の先輩が丹後の人だったので誘われて訪問しました。京都から「丹後海陸」通称「丹海バス」の夜行バスで一晩かかって行きました。
 朝、目覚めた頃バスは大きな川の畔を走っていました。先輩が「これが由良川で『山椒大夫』の舞台になったとこやで…」と教えてくれました。
 森鴎外のこの有名な作品はちょうどこの頃に読んだ作品でした。
 由良川が海に近づくあたりにある由良ケ岳は、標高640mほどの山でそれ程高くはありませんが山椒大夫が根城にしたと云う山地です。
 溝口健二の映画も母玉木(田中絹代)と子の別れや、大夫の下での牢獄みたいな環境での苦難の日々や、厨子王(花柳喜章)の脱出と姉の安寿(香川京子)が入水するまでの経緯は森鴎外の原作を冷静に追っています。
 関白の推挙で丹後の国守に任じられた厨子王は、人身売買を禁じ山椒大夫に使役されていた者の解放を断行しますが、森鴎外の原作ではこれによって生産も上がり大夫の一族は益々富み栄えた…と云う風に、簡単にしかも大夫に好意的に記述されています。
 溝口映画は原作にない部分を追加して、かなり現在風に理想化して描いているように感じられます。
 母との再会のため佐渡へ渡って地元の役人に、母の行方を調べさせても全く掴めない…これはひょっとしたら神仏のお気に召さないのでは…と思った彼は、自ら足を運んで母を捜し求めやがて歌に託して、我が子の名を呼び続ける年老いた母と再会します。
 そして二人がしっかりと抱き合うラストは同じです。
 
 私のイメージは高位高官に登った厨子王と母の感動の再会…だったので、溝口作品の大胆な解釈とストリーには少し意外に思いました。
 治外法権的な「右大臣家」の荘園などの筋書きの付加で、官を辞した彼の行動は原作を離れて独立した作品と考えれば「格好いい」し、あまり違和感も感じないかも知れません。
 しかし原作が書かれた明治時代は立身出世を夢見るのが普通の時代でしから、このあたりに親子の別れやその後の苦難などの描写に重点を置いた原作と、山椒大夫の非人道的で抑圧された世界からの解放…と云う点に比重をかけた映画との違いを見たような気がします。
 日本映画が国際的な舞台に進出するには、世界中で通用する解釈が必要だと思いますが、古い時代に創られた原作を映像化する場合には、原作の持味を生かすためにも、ストリーの扱いや解釈の仕方が大切なようにも感じられました。
 
 

(ふるさと再訪)「仁徳天皇御陵」

2006-09-04 00:07:41 | 旅 おでかけ
 家原寺を後にして進路は北へ!と云っても、太平洋をを航行する船舶ならともかく、人家が立て込んだ市街地だし京都みたい南北が整然と区分されてる訳でありません。
 小さい頃に姉が友人の家を電車で訪問する時に、お供をしてことも多かったのですが、大体このあたりは郊外で田圃や原っぱばかりの、寂しいところだったのに…などと思いながら数百メートルも行くと、三叉路などもあったりして、又「方向音痴」になってしまいました。
 結局はもう大きいことは云わずに「機械仕掛け」をセットして、指図されるままにロボットみたいに数キロ走ったら、簡単に目的地に着いてしまいました。