古典に弱い私の古い記憶を呼び起こすための再勉強です。ご存知の方はパスして下さいね。
平安中期の女流文学者の紫式部が書いた「源氏物語」は光源氏の生涯を語る前編と、次代の薫を中心とする後編の全五十四帖で、この中のラスト部分がこの「宇治十帖」で物語の主な舞台は宇治周辺になっています。
それまでは、主人公・光源氏と彼をとりまく多くの女性達との恋物語でしたが、「宇治十帖」は光源氏の死後、彼の息子としてうまれた薫と孫の匂宮という2人の男性と、大君、中君、浮舟という3人の女性との哀しい恋物語です。
(注 薫は光源氏の妻が不倫して生まれた子供のようです。宇治は当時は藤原氏の別荘地だったようです。
江戸時代に「宇治十帖古跡」が設定され宇治川をはさんで十箇所あります。
散策してみたかったのですが、時間がないのでまたの機会に…
橋姫(はしひめ)宇治川に架かる宇治橋の女神。現在は、宇治橋西詰から100mほど行った橋姫神社にある。
椎本(しいがもと)京阪宇治橋駅東南の彼方神社にあります。
総角(あげまき)宇治上神社の北、このあたりが八の宮の邸跡と想定されます。
早蕨(さわらび)宇治神社の近く、さわらびの道
宿木(やどりぎ)宇治川の左岸、平等院から300mほど上流。
東屋(あずまや)宇治橋東北の東屋観音。
浮舟(うきふね)現在は三室戸寺境内の鐘楼脇にありますが、元は参道の所にあったようで、その前は奈良街道沿いの波戸浮舟社にあったとのこと。
蜻蛉(かげろう)宇治橋の東、三室戸寺への巡礼道沿いにあります。
手習(てならい)京阪三室戸寺駅から東へ200mほどのところ。
夢浮橋(ゆめのうきはし)宇治橋の西詰めのところ。
紫式部について
978年ごろ出生。藤原為時(文章博士)の娘。
996年、父の任地・越前(現・福井県武生市)に赴く。
999年、藤原宣孝と結婚。娘は賢子。
1001年、夫と死別。
1005~1013年、藤原道長に認められ、中宮・彰子の女官となりました。
家から近くなのにまるで遠くの見知らぬ土地へ来たような、不思議な気分になりました。
我が家にも「潤一郎訳 源氏物語」とか云う、古めかしい和綴じの本があるのですよ。姉の持ち物と思いますが…一度も開いたことがありません…
勉強が足りません…ね。
平安中期の女流文学者の紫式部が書いた「源氏物語」は光源氏の生涯を語る前編と、次代の薫を中心とする後編の全五十四帖で、この中のラスト部分がこの「宇治十帖」で物語の主な舞台は宇治周辺になっています。
それまでは、主人公・光源氏と彼をとりまく多くの女性達との恋物語でしたが、「宇治十帖」は光源氏の死後、彼の息子としてうまれた薫と孫の匂宮という2人の男性と、大君、中君、浮舟という3人の女性との哀しい恋物語です。
(注 薫は光源氏の妻が不倫して生まれた子供のようです。宇治は当時は藤原氏の別荘地だったようです。
江戸時代に「宇治十帖古跡」が設定され宇治川をはさんで十箇所あります。
散策してみたかったのですが、時間がないのでまたの機会に…
橋姫(はしひめ)宇治川に架かる宇治橋の女神。現在は、宇治橋西詰から100mほど行った橋姫神社にある。
椎本(しいがもと)京阪宇治橋駅東南の彼方神社にあります。
総角(あげまき)宇治上神社の北、このあたりが八の宮の邸跡と想定されます。
早蕨(さわらび)宇治神社の近く、さわらびの道
宿木(やどりぎ)宇治川の左岸、平等院から300mほど上流。
東屋(あずまや)宇治橋東北の東屋観音。
浮舟(うきふね)現在は三室戸寺境内の鐘楼脇にありますが、元は参道の所にあったようで、その前は奈良街道沿いの波戸浮舟社にあったとのこと。
蜻蛉(かげろう)宇治橋の東、三室戸寺への巡礼道沿いにあります。
手習(てならい)京阪三室戸寺駅から東へ200mほどのところ。
夢浮橋(ゆめのうきはし)宇治橋の西詰めのところ。
紫式部について
978年ごろ出生。藤原為時(文章博士)の娘。
996年、父の任地・越前(現・福井県武生市)に赴く。
999年、藤原宣孝と結婚。娘は賢子。
1001年、夫と死別。
1005~1013年、藤原道長に認められ、中宮・彰子の女官となりました。
家から近くなのにまるで遠くの見知らぬ土地へ来たような、不思議な気分になりました。
我が家にも「潤一郎訳 源氏物語」とか云う、古めかしい和綴じの本があるのですよ。姉の持ち物と思いますが…一度も開いたことがありません…
勉強が足りません…ね。
またブログで記事にしょうと思いますが、ちょうど私が一番弱い年代なんですよ。
何故か…今、考え中です・
ところでご紹介の「源氏…」は凄い豪華キャストですね。小暮がまだ出てますね。
あの年代も勉強必要ですね。