映画と音楽そして旅

主に懐かしい映画や音楽について…
時には新しい映画も…

(雑記帳) PC8001と云うマシーン

2005-12-22 18:09:49 | 雑記帖
 オフイス用ではなく一般の人向きに発売されたコンピュータは、NECでは1976年に発売されたマイクロ・コンピュータ「TK-80」という機種が最初で、これは完成品でなく自分で組み立てる、いわゆるキットといわれるもので、ある程度の技術とか知識が必要だった。88,500円という定価がどうだったのか、どの程度売れたのかは不明だ。
 1979年に発売された改良機種のパーソナル・コンピュータ「PC8001」が、実用的なパソコンとして168,000円という高価格にもかかわらず好評で、その2年後に228,000で発売された「PC8801]と共にNECをパソコンのトップ・メーカーに押し上げたようだ。
 和文タイプの代替機種として期待した「PC8001」だが、マニュアルを眺めただけで私はうんざりした。
(1)用意するもの カセット・テープ・レコーダー 何に使うの…と思えば、  データの記録に使うのだそうだ。普通の音楽用テープで良いそうだ。
    ディスプレー フツーのテレビでも代用するそうだ。へぇー?
    プリンター  本体もないのにあるはずないやろ…
(2)電源を入れてみよう
   NEC N-80 BASIC Var 1.0 Copyright 1979 (C) by Microsoft…
などという英文が写り、?とか問いかけてくるそうだが、これを解読するには、BASICとか云う、機械と対話するための言語を覚える必要があるらしい。
 そうか、そうか…と早速「マイコンBASIC入門」とかいう本を買ってきた。
 この頃は「マイコン」という名称も「パソコン」と共に使われていた。
 しかしこのマシーンは何がが出来るのか。それを確かめていなかったのに気がついて調べてみた。
 1 カナ 英字 記号表記 2 四則演算 3 演算プログラム 4 ゲーム
 とにかく簡単な小学生程度の計算表作るのに、BASICとか云うものと格闘せねばならず、特に漢字が打ち出せないので、お役所への提出文書には不向きで結局は、次世代OA機器としては失格ということになった。
こうしてこのパソコン初期の資料は、再び開かれることもなく前世紀の遺物として、かといって捨てられることもなく現存しているのである。 
 

 
 
 
 

(映画音楽番外編) 「ムーラン;ルージュの歌」 (再見 映画「赤い風車」)

2005-12-21 05:38:27 | 映画音楽
 この映画主題歌は私がこのブログを始めた初期に取り上げましたが、その時は肝心の映画は観ていませんでした。しかし最近になってやっとDVDで観る事ができました。
 前にも触れましたがこの映画はパリのモンマルトルの酒場「ムーラン・ルージュ」に、毎夜現れて踊り子の姿を飽きることなく描き続けていたといわれる、画家トゥルーズ・ロートレックの生涯を描いた映画です。
 あまり女性に縁のなかったロートレック(ホセ・ファラー)の前に現れたのは、彼の絵のモデルをしながら稼いだお金を、恋人にマリー(コレット・マルシャン)という女性でした。
 しばらくは一緒に住んだ彼女が出て行った後で知り合ったのが、ミリアム(シュザンヌ・フロン)という女性でした。優しい彼の気性に彼女も次第に惹かれていくのですが…
 映画では気ままで奔放なマリーと、落ち着いた清楚な感じのミリアム、この二人の対照的な性格の女性像をくっきりと描いています。
 飲み代は只…という約束で描いた店のポスターが、それに評判を呼んでお客が増えて、それに伴いお客も高級化して行き、庶民的な雰囲気もだんだん消えていき、やがて彼の居場所もなくなってきます。
 そしてミリアムから貰った最後の手紙を、何度も飽きることなく読み返しながら、涙と酒に明け暮れる日々を送るのです。
 最終章で彼が臨終を迎えたとき、彼がこよなく愛したというこの酒場の踊り子たちが夢の中に現れて、彼女たちが見送る中を安らかに天国へ旅立っていく様子が、幻想的な雰囲気で描かれています。
 この映画の中で流れる主題曲の「ムーラン・ルージュ」の歌は、若い頃にはかなりヒットした、とても綺麗なワルツ調の曲ですが、手元のおなじみの英語歌詞のCDや、フランス語歌詞の古い譜面などが残っています。
 映画の中にも素敵な日本語歌詞がありましたが、シャンソンの和訳歌詞というのは、いつ聴いても、しみじみと身に沁みこむようで、いつまで立ってもいいものですね。
 レンタル・ショップには近年になって製作された、新版「ムーラン・ルージュ」もありましたが、私は今見たばかりの旧作の方の感触を大事に残しておきたいとも思いますので、今回はあえてレンタルしませんでしたが、いずれは観て見たいと思っています。

 冒頭で触れたように「赤い風車」は6月21日のブログで触れています。
また、7月17日のこのブログ「フレンチ・カンカン」で、この「ムーラン・ルージュ」について書いていますのでご覧ください
 

古典的PCマニュアル

2005-12-20 05:43:11 | 雑記帖
 私は貴重な歴史的資料(?)と思っていても、我が家では「ゴミ」として分別されている物の中に、NEC 「PC8001 mkⅡ」なる機種のマニュアルがある。
 発行されたのは1983年(昭和58年)で、ウインドウズがわが国に上陸するまで、一時はわが国のパソコン界で不動の地位を築いていた、NEC 98シリーズの前身ともいえる古典的な機種だ。
 別に開いて読むわけでもなく,かと云って捨てるわけでもなく、いつまでも残っているのだから我が家の「そーじ大臣」から見ると,ごみに分類されても仕方ない物件かも判らない。
 我が家にはこの種のものが、数えればキリがないほど存在する。例えば結婚して今は家にいない娘たちの持ち物、例えば縫いぐるみのタヌキが大小いろいろ十匹ほどとか、この種のものが無数にあるのだ。
 ところでこのクラシカルな機種が、わが国で初めて「Personal Computer」という名称で登場するまでは、「パソコン」という名称は存在しなかったと云われる。
 大体私が期待したのはOA機器として、今までの和文タイプに代わる強力な性能であった。私が時々使っていた和文タイプは、電子タイプだったので当時としては
割合と進化していて、特殊な技術は要らず私でもなんとか使えたのだ。
 しかし目方が重い、騒音がやかましい、テレビに電波障害が起きるなどの他に、万一にもトレイが外れて床に活字が散乱した場合は、実に悲惨な結果を招きかねないので、次期新兵器としてパソコンに期待をかけていたのだ。(つづく)
 
 

大掃除

2005-12-19 00:06:49 | 雑記帖
 年末が近づいてきたが毎年この時期になると憂鬱になる。大掃除の季節になり自分のゴミを整理してほしいと、我が家の「そーじ大臣」の家内から厳命が出るのだ。「フンフン」と生返事しながら,全く実行せずゴミはたまる一方だ。
 このままでは我が家はゴミ屋敷になるという、家内の危機感から最近はいつまでも放置出来ない状況になって来た。
 ゴミの一部には昭和50年代のパソコンのマニユアルとか、私から見るとゴミ扱いは少し気の毒な物件もあるし、年末を控えて悩みの深まる昨今だ。 

 

仕事で愛用のPC

2005-12-17 23:59:54 | 雑記帖
 こんなWin95を勤め先で仕事に使っているのは私ぐらいかと思う。
 それが案外と素直に言うことを聞いてくれるので、いつまで立っても新型が入らない。
仕事もオフイス2000で十分間に合うので,当分はこのままだろう。
 時々エラーを起こすが、直るのも早いので、何とか付き合っている。
 インター。ネットは別の機械を使う。画面に写る怪しい人影は私だよ。

(シネマ雑記帳)(50) 映画「ミュージック・オブ・ハート」

2005-12-16 20:40:58 | 映画
 前に私のブログで取り上げた「愛と哀しみの果て」は、私に大きい影響を与えたようです。先ずアフリカの雄大で豊かな大自然に惹かれて、映画「名もないアフリカの地」を観ました。
 そしてまた今度は主演のメリル・ストリーブが気になってきて、映画「ミュージック・オブ・ハート」を観ました。
 ニューヨークのイースト・ハーレムといえば、黒人の居住者が多いところですがロベルタ(メルリ・ストリーブ)は夫と別れてて後,学校の課外授業としてヴァイオリンの教習を始めます。最初は父兄はじめ周囲の無理解の中で苦労しますが、子どもたちはめきめきと力をつけ、やがてこの教室も希望者が多くなります。しかし市の方針により、この教習が廃止されそうになります。ここでロベルタは存続のために、思い切った手を打ちます。その驚くべき手とは‥‥

 この映画の見所はこのヴァイオリン教室の、支援のために駆けつけた世界の一流奏者の、演奏が聞けるとことです。不勉強のため私はアイザック・スターンぐらいしか、名前は知りませんがとにかく見落とせない場面です。
 音楽を主題にした映画だけに、随所に名曲がちりばめられています。子どもたちが最初に練習したのは、モーツアルトの「きらきら星」でした。
また日本の歌で「ちょうちょう」(蝶々)、それにオッペンバックの「天国と地獄」など、ほかにもあったかも判りませんが‥。
 
 ラスト近くで憧れのカーネギー・ホールで五十人の子どもたちが、五十挺のヴァイオリンで世界の一流アーティストと、バッハ「ヴァイオリン協奏曲ニ短調」を堂々と弾き終わったときの驚きと賞賛、子どもたちの努力と成長に惜しみない拍手が沸き起こりました。
 それは子どもたちの「成せば成る」気持ちや、無限の可能性を引き出したこの女性教師の、音楽への情熱に対する賞賛の拍手でもあったと思います。
 この映画の舞台になったニューヨークのこの町も、最初は事件が多いかなり物騒な地域だったようです。この映画が実際にあった話を基にしていることや、この教室がニューヨークで現在も立派に存続していることなどから、この音楽に対する取り組みが地域住民の意識や環境の改善に、大きい効果を果たしたように思います。
 わが国でも最近は子どもたちをめぐり、さまざまな事件が続発しています。
 この映画を観ながら日本人はまだまだ努力が足りない、もっともっと大人にならなければ‥‥としみじみと感じました。
 
 

 

  〔雑記帳) 紅葉〔黄葉)で雪見酒(?)

2005-12-15 23:09:02 | 雑記帖
 我が家の裏山にも冬が来ました。実はまだ紅葉〔黄葉)なのに雪が降りました。雪が半月ほど早かったので、どうも違和感があってピンときません。
斜面に植えられてるのはお茶の畑です。というてもウチのではありません。
ヨソ様の持ち物ですがお陰で初夏の季節には、目も覚めるようなみずみずしい新緑と、さわやかな風味と香りが戴けます。。。
 これから春先までは、風雪に耐えてじっと我慢の子ですが、また冬の眠りから覚めたら、またご案内しましょう。
  お楽しみに‥‥

(シネマ雑記帳) (49)「ザッツ・エンタティメント」PART3

2005-12-14 20:50:18 | 映画
 このPART3も先に公開されたPART1に比べて、内容的には大きな違いは感じられませんでした。
 私が最も注目したのはミッキー・ルーニーと言う男優のことでした。1950年代にはしばしば出ていたようで、私も名前ぐらいは覚えていました。近年に彼が出ていたのは「ティフアニーで朝食を)で、変な日本人役だったようです。
 ところが彼が1940年代にはジュディ・ガーランドとコンビを組んで活躍していたそうで、モノクロのフイルムが公開されました。二人ともとても可愛い感じで当時は人気コンビだったと思います。
 1950年代にあの暖かいほのぼのとした、独特の雰囲気を湛えていた女優と云えば「グレン・ミラー物語)などに出ていたジューン・アリスンでしたが、彼女も進行役として本人が登場しました。私は俳優としての彼女しかしりませんが、初期にはミュージカル・スターだったようで、珍しいフイルムが写っていました。
 ジュディ・ガーランドが「中途半端な年齢」という歌を披露しました。
      おもちゃは飽きた 人形も終わり
      結婚は早い ボーイ・フレンドもまだ早い
      大人の仲間にも入れてもらえない
      子どもにも遊んでもらえない
      大人でも子どもでもないこの悲哀
 子どもから少女へ成長するジュディの気持ちが現れているようです。
 ジーン・ケリーとシド・チャリシーのコンビで踊る「ブリガドーン」もよかったですね。百年に一度姿を現す‥という伝説の村‥とても幻想的な雰囲気の中で繰り広げられる華麗な踊り‥この作品の、クライマックスだったと思います。
 ラストになってあのレスリー・キャロンが「恋の手ほどき」でついに登場!
       昨日までの可愛い少女が
       美しい女の子に成長
       知らぬ間に美しいレディに
 このあたりを最後にMGM映画の表看板だった、ミュージカル映画は急速に衰退して行きます。これは私が映画から遠ざかって行った時期とほぼ一致します
 「もう二度と訪れることのない時代、夢は終わってもメロディはいつまでも残るのです。」という司会者の言葉を最後にこの映画は終わります。
 ほんとにその通りです。
私たちが数十年前に耳にしたあの懐かしいメロディは、決して忘れられることなく世代を超えていつまでも歌いつがれて、行かれることでしょう。   
         

(雑記帳) 古都、京都ぶらぶら散歩「南禅寺へ」(2)(最終回)

2005-12-14 04:27:43 | 雑記帖
そろそろと日暮れも近づいてきたので、帰る前にもう一度名物の「湯豆腐」を‥と思ったのですが、観光シーズンも終末を迎えて人出も多く、食事も順番待ちのようなので取り止めました。
 そしてその途中で目に付いたのが、「哲学そば」でした。山門を出てから北方向にあるのが「哲学の道」ですが、平日なら「人生とは何ぞや‥」とか、思索に耽りながら散歩するには静かな良い場所のようですが、今日は少し賑やかでそんな雰囲気でもなさそうでした。
 その「哲学そば」でも食べながら瞑想の世界にというわけでしょうか。妙な取り合わせですがそれでは一度‥というつもりで、覗いてみたのですがここも満員のようで、これもあきらめてしばらく歩くと地下鉄(京阪電車)の蹴上駅で、そろそろ足が痛くなって来たし帰途につくことにしました。

 ブログにはしていませんが今までお参りしたお寺は、洛西の嵯峨野や洛北の八瀬大原など、郊外が多く交通の関係もあってほとんどクルマ利用でした。しかし今回は京都市内ばかりだったので交通渋滞を避けて、久しぶりに電車と徒歩にしましたが、それにしてもずいぶん歩きましたね。
 それでもクルマでは通り過ぎてしまうような新発見もあり、「教えられたり教えたり」と京都らしい人情にも触れてよかったと思います。
 晩秋の頃から始めたこのシリーズも、諸般の事情によりどんどんと延びて、二十日がかりでネタ切れのためやっと終了しました。
 あれほど賑わっていた各お寺さんも、今はひっそりと来年の準備に入っていられるとことと思います。
 皆様も新春には心も新たに千年の古都、京都の「良いとこ探し」にお出かけ下さい。
 
 

(雑記帳) 古都、京都ぶらぶら散歩「南禅寺へ」(1)

2005-12-13 20:36:18 | 雑記帖
 永観堂のもみじも十分堪能したし、あまり遠くではない南禅寺に向かいました。 南禅寺は豆腐が好きな私のために、京都に住んでいる姪が近くの店で名物の湯豆腐をご馳走してくれたこともあり、も一度お参りすることにしました。
「南禅寺云々」とか云っている私たちの会話に、ふと耳を止めたらしい若いカップルの女性の方が「南禅寺ならあちら方向ですよ」と教えてくれました。そして「ちょうどお寺の前を通りますから、ご一緒しましょうか」と云われました。
 家内が「それではお願いします」という訳で、当たり障りのない会話をしながら歩いている内に山門前に着きました。このカップルは「では湯豆腐でも召し上がって、気をつけてお帰り下さい」と云いながら去って行かれました。
 お参りした時にあの親切でさわやかだった、見知らぬお二人さんの幸せを合せてお祈りしました。