岡崎直司の岡目八目

歩キ目デス・ウォッチャー岡崎が、足の向くまま気の向くまま、日々のつれづれをつづります。

西園寺公墓所よりの眺め。

2007-12-22 01:06:42 | 卯之町点描


さて、あい前後して申し訳ないが、先日12月16日にアップした卯之町点描の“西園寺公御廟(ごびょう)”。
その続きです。

こうして振り返ると、卯之町の町並みの向こうには中世山城跡である黒瀬城が眺められる。この城を本城として松葉城時代を入れると、350年間も宇和を本拠に南予の覇者であった西園寺氏には、もう少し光が当てられてもいいように思う。
この光教寺裏の岡に上り、公廣卿の墓所が真っ直ぐに黒瀬城を望むように建てられている様は、ナニゴトかを我々に訴えかけているようにさえ感じられる。

笠置峠古墳⑨

2007-12-22 00:55:51 | 地形観察


これも手前は諏訪崎の稜線だが、内海のように見える半島は伊方の女子岬(めっこみさき)。

よく晴れた日なら、この向こうには九州の国東半島が見えるハズ。何やら古代における九州との相関関係が具体的に思われる。
モチロン、空気が澄んでいれば、今や佐田岬に林立する風車群も目にすることが出来る。

笠置峠古墳⑦

2007-12-22 00:45:16 | 地形観察


後円部に立ち、そこから南の方向、宇和盆地の石城(いわき)地区を眺める。

肱川の最上流部に位置する盆地で、標高約200m、地元では“石城平野”などと呼ばれたりもする。
向こうに見えるのは、中央に溜池の山田大池。山田地区の集落が眺められる。

笠置峠古墳⑥

2007-12-22 00:39:41 | まちづくり


石槨(せっかく)の中心部に置かれた四個の台石と見られる自然石。
 
この上に棺(ひつぎ)があったものと思われる。
そして蓋(ふた)は、左上に見られる周囲の石とは明らかに違う石質の青石、これと同種の大きな石が並べられていたのではないか、とのことだった。
実際に、時代は違うが、佐田岬半島エリアの集落によく見られる石の祠(ほこら)などでは、当たり前のように平たく大きな青石(緑泥片岩)で屋根がけされているのをよく見る。

笠置峠古墳⑤

2007-12-22 00:30:11 | まちづくり


竪穴式石槨(たてあなしきせっかく)の様子。つまりは石室に相当するが、長さ4.6m、幅0.7~0.9m、深さ0.5m、東西方向に意識されているらしい。
公園整備では、古墳の現況を保全するために、この上に0.3~1mの嵩上げ(土盛り)をして、レプリカの復元石槨を置き、ガラスケースで内部が見られるようにする、とのこと。

笠置峠古墳④

2007-12-22 00:18:52 | まちづくり


後円部(前方後円墳の)に見られる葺き石の様子。

石質はチャートで、西予市エリアに一般的に見られる岩石。地層的には秩父帯に当たる。
こういうチャート系の岩石は、不規則な割れ方をするために、様々に不揃いな形の石で葺かれていることが分かる。遠くから運んだものではなく、この山のどこにでもあるもの。

整備計画では、“石一個運動”のように、一般の方々の参加意識で下から石を運び上げ、住民参加で葺き石を整える方向が提案されている。

笠置峠古墳③

2007-12-22 00:07:40 | まちづくり


時おり陽は差すものの、寒風吹きすさぶ中の見学会となったが、皆熱心に説明を聴いている。

撮影ポジションは、前方後円墳の後円部から。
このように、前方部よりも後円部が高い古墳は、古い時代(古墳前期)の古墳の特徴であるとの説明。