岡崎直司の岡目八目

歩キ目デス・ウォッチャー岡崎が、足の向くまま気の向くまま、日々のつれづれをつづります。

産業遺産「石灰窯」。

2006-05-12 12:56:30 | まちづくり
この写真を見て、それがナンだか分かる人は、産業遺産マニアでもそうは居ないかも知れない。

西予市明浜町高山地区。この石垣のカタマリは、実は「石灰窯(せっかいがま)」と呼ばれる産業遺産。これが、この地区には至る所に残存している。この砲台状の台形石垣の内部には、「徳利窯(とっくりがま)」と呼ぶ徳利を逆さまにした形状の焼成窯が内蔵されていて、石灰岩をそこに入れ、焼くことで石灰(いしばい)が生産される仕掛けである。

石を焼いて灰にするから石灰岩。正確には、焼くと生の石灰(きせっかい)となり、そこに水をかけて消石灰(しょうせっかい)となったものが、アノ学校のトラックなどの線引きに使う、いわゆる「石灰(せっかい)」。
こうしてクドクドと説明するのはお節介。

この写真の石灰窯は、江戸末期に高山に石灰業をもたらせた宇都宮家の所有するもので、昭和40年代くらいまでは使用していたらしい。近くには、かろうじて当時使っていた「塩小屋」も残存している。塩は、石灰岩の焼成時に混ぜると、出来る石灰の粉が細かくなり(“こどけをする”という言い方)、製品レベルが高まるのだそうだ。

高山地区は、明治・大正・昭和と、石灰業で栄えた県内有数の鉱業の港町だった。
目下、何とかこれらの一部でも国登録有形文化財に出来ないか、西予市文化財審議委員会の方で下準備中である。

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4 コメント

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宇都宮家? (ヲタ福)
2006-05-12 16:51:32
そう言えばもう5年くらい前になるか、石灰窯の山手にある小屋(もしかしてそれが塩小屋?)の所で宇都宮さんというおじさんと話したことがあったなー。ここが「白い村」と呼ばれていた頃の話をイロイロうかがいました。色の黒い高山出身の知人と、赤潮の海で泳いだのも明浜の思い出。

でも明浜って、これだけ石灰だらけなのに鏝絵がほとんどないんですよねー。石灰はあくまでも商品であって、自分たちが使うものではなかったんでしょうか?
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鏝絵の無いエリア。 (オカザキ)
2006-05-13 13:47:15
それが宇都宮長三郎さんなら、高山石灰業の開祖につながる直系の人。そうかも知れませんネ。

確かに、鏝絵が殆ど無い地域。ただ、石灰の生産目的は、鏝絵というよりも、建設資材としての漆喰や、農業の土壌改良などに多用されたようですから。左官の多かった旧野村町渓筋地区とは、少し離れて文化圏が違ったのかも。
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なつかしいですね (utsunomiyas)
2006-05-14 12:25:15
同行して石灰窯を見たのが10年以上前になりますか。クジラの話など懐かしいです。先日、五十崎の神南山の鉱山跡に行きました。子どもの頃遠足で光る石を採取したという上さんの証言から。資料館もあったのですね。廃屋群がジブリアニメのようで。子どもは怖がっていました。

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しばらく行ってない。 (オカザキ)
2006-05-16 09:08:14
大久喜鉱山のことですネ。



廃墟ブームの昨今の社会現象?からすると、あそこもその範疇ですなぁ。ナンプロの社長が昔そこで働いておられたとかで、お話を伺った事があります。手前の少し離れた場所にある凄い急斜面の小さな社宅群も必見。
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