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岡崎直司の岡目八目

歩キ目デス・ウォッチャー岡崎が、足の向くまま気の向くまま、日々のつれづれをつづります。

飾り瓦(その2)。

2006-04-14 23:59:21 | 路上観察
今回の飾り瓦は「お猿さん」。

裃(かみしも、イヤ陣羽織か?)をつけているのには訳がある。
もう一つの飾り瓦には桃から生まれたばかりの「桃太郎」が乗っている。つまり、この猿は、鬼退治の時に家来としてついていった「猿」。モチロン魔よけの意味を持たせているし、「魔がサル」という掛け言葉にもなる。

場所はやはり宇和町卯之町の民家の屋根。

「街灯の余生」

2006-04-14 23:34:06 | 路上観察
岩松商店街でのワンショット。

かつては、街灯としての華やかな時代もあったと思われるが、今となってはその役割も終え、静かな余生を過ごしている。
それでも、健気に小さな鉢植えポットの台を提供しつつ、この店の角にあって、前の通りを走る車からさりげなく建物を守る役割も果たしていそうである。錆び色の渋さといい、人生も願わくば人知れずかくありたいが、いやナカナカ。

わらぐろイロイロ。

2006-03-29 21:15:47 | 路上観察


宇和盆地の中で最も広い石城(いわき)地区の風景です。石城平野という言い方もあります。

県下最大河川である肱川の最上流部にあたり、標高は200~230mくらい。わらぐろのある風景、これが宇和盆地における文化的景観の最もポピュラーなシーンです。
ただ、この写真、手前の「わらぐろ」は、少し様子が違います。そう、本物ではありません。ナンとセメント製のわらぐろ。鉄筋が入ってるかどうか、まだ未確認ですが、コンクリートのわらぐろが出現し、流石の岡目八目もビックリです。
この場所は、4月29日には毎年「れんげ祭り」の会場になる所で、JRいよ石城駅のすぐそば、線路沿いに地元の個人の方によって設置されました。

飾り瓦

2006-03-28 19:23:47 | 路上観察


西予市宇和町下川(しとうがわ)地区を歩くと、面白い飾り瓦に出くわした。

唐獅子だと思われるが、どうしてこういう姿勢になっているのかは分からない。取りあえず「逆ウナバウアー」と名づけてみたが、どうだろう。

道後温泉のマンホール蓋

2006-02-26 13:00:21 | 路上観察


先日アップした道後メルパルクへ行った日に、久しぶりにコイツと再会。
あるべき所にあるべきモノが、そのままあるとホッとする。

知ってる人は知っている。道後温泉の四角いマンホール蓋。場所は子規記念博物館の裏手に当たる車道沿い。中央のマークは明治44年に制定された松山市の市章で、俳画家下村為山の作と云われる(選とした本もある)。


トタンの苦しみ

2006-02-16 10:32:14 | 路上観察


町歩きの面白さは、こうしたブッケンとの遭遇に際し、いかにウィットを効かすか。

とは言うものの、このバヤイ「塗炭の苦しみ」というシャレが若い年代に通じるかどうか。ウムムム・・・不安だ。
しかもトタンの方だって、トタン屋根っていう言葉自体、最近はあまり聞かなくなってるから、高校生、大学生辺りでどうだろう。

因みに辞書で調べてみる。

「塗炭」の方は、「泥にまみれ火に焼かれるほどの(非常な苦しさ)」とある。
こりゃぁ今となっては完全に死語だ。

もう一つの「トタン」は、tutanaga、へえーっポルトガル語だったんだ。知らなかった。
「鉄板に亜鉛をメッキしたもの、屋根、樋などに用いる」となっている。
この写真のボロボロ状態は、ひょっとしたら酸性雨かなんかの影響もあるかも知れない。

町歩きってどうよ、トタンに賢くなるっしょ。  終わり。

フェイス・ハンティング

2006-02-10 02:53:29 | 路上観察


路上観察のジャンルに、フェイスハンティングがあります。

ルールは至って簡単。街中から顔を探し出すのみ。ただし、ナマモノはいけません。そんな顔は至る所にあり過ぎます。
しかも、探す時に目と目が合って、相手によってはガンを飛ばされた、と勘違いされても困ります。
まずはこの写真の如く、物議を醸さないような顔をお探しください。

名づけて「ネジ目笑位置」。(ネーミング、懲りすぎか

路上観察

2006-01-25 00:41:15 | 路上観察


この写真のお題は「カラオケボック(木)ス」。

突然ですが、路上観察ブッケンです。
撮影場所は宇和島市遊子(ゆす)の某所。
小高い丘の上に墓所があり、ふと近くを見ると、墓参の時にでも使うのだろう青いポリバケツの花が咲いていた。この地区は、文化的景観とやらで、見事な石垣の残る段々畑が最近有名になってきた。地元では短くダンバタと言う。そうしたこととは関わりないかのような見晴らしの良い岡に咲く、暮らしの日常。