街中を散策中に、緑のブロック塀を発見。
「ウバメガシ(バベ)」だろうか、塀笠に見立てた枝をブロック塀に這わせてアレンジ。しかも、本来だと味気ない灰色のブロックが、豆ヅタか何かで覆われて、風情を醸している。この家のご主人の趣味に違いないが、こうした個人的なこだわりの味付けが、それとなく町の佇まいを落ち着いたものにしている。痩せても枯れても、ここ吉田は陣屋町、こうした家のさりげない存在が嬉しい。
「ウバメガシ(バベ)」だろうか、塀笠に見立てた枝をブロック塀に這わせてアレンジ。しかも、本来だと味気ない灰色のブロックが、豆ヅタか何かで覆われて、風情を醸している。この家のご主人の趣味に違いないが、こうした個人的なこだわりの味付けが、それとなく町の佇まいを落ち着いたものにしている。痩せても枯れても、ここ吉田は陣屋町、こうした家のさりげない存在が嬉しい。
町並み保存地区を歩くと、時折りこうした光景を見かけることがある。
建物の修理・修景は、現代のモータリーゼーションを考えると、工夫のしどころで、商家をセットバックして前面を駐車に取るワケにもいかず、さりとて生活上どこかに停めなければいけない。
イキオイ、こうした努力を余儀なくさせられる場面が出てくる。こうしてキチンと停められているのを見ると、毎日の手馴れた事とは言え、ハンドルさばきの見事さが想像される。ドライバー側のドアは開きそうも無いので、助手席側から乗り降りするに違いない。
車種がホンダフィットだけに、ジャストフィット?。コマーシャルに使えそう。
建物の修理・修景は、現代のモータリーゼーションを考えると、工夫のしどころで、商家をセットバックして前面を駐車に取るワケにもいかず、さりとて生活上どこかに停めなければいけない。
イキオイ、こうした努力を余儀なくさせられる場面が出てくる。こうしてキチンと停められているのを見ると、毎日の手馴れた事とは言え、ハンドルさばきの見事さが想像される。ドライバー側のドアは開きそうも無いので、助手席側から乗り降りするに違いない。
車種がホンダフィットだけに、ジャストフィット?。コマーシャルに使えそう。
長州大工の寺社建築探訪の一つ、旧東和町にある筏(いかだ)八幡神社へ立ち寄った。流石に龍やら虎やらの彫り物が圧巻だったが、岡目八目は、境内に入るなり、こちらの方に反応してしまった。
神社によくあるお稲荷さんの鳥居群だが、ナンダカちょっとヘン。近づいて見ると、やはりと言うべきか、木製ではなく、エスロンパイプを朱塗りにしている。独断と偏見だが、水道業者かナニかの寄進だろうか。これなら施工も簡単そうだ。長州配管工?、ナカナカやりますナー。
神社によくあるお稲荷さんの鳥居群だが、ナンダカちょっとヘン。近づいて見ると、やはりと言うべきか、木製ではなく、エスロンパイプを朱塗りにしている。独断と偏見だが、水道業者かナニかの寄進だろうか。これなら施工も簡単そうだ。長州配管工?、ナカナカやりますナー。
大洲藩鳥坂口留番所住友家から南へ2km余り、町と呼ばれる東多田の町並みがある。
言わば、宇和島藩の最北端の街道集落でもあり、この町家の中には、同藩の番所が大洲藩に対峙して置かれていた。
丁度、この東多田と住友家のある久保との間にある信里(のぶさと)が両藩の緩衝地帯となっていた。伊達家と加藤家とは、外様大名同士とは言え、藩という一国の境界ともなれば、こうした措置が取られていたことが、歴史的事実として興味深い。
その宇和島街道沿いに開けた集落の中ほどに、この道標がある。T字路になっていて、南北どちらから来ても、西に道を取れば、八幡浜に通じる。この昭和4年に建てられた遍路道標には、明石寺へ二里十丁、菅生山へ十八里二十丁とある。
43番札所の明石寺までは8km余り、次の44番札所大宝寺へは72km余り。ここから旧鳥坂(とさか)峠越えをして札掛さん(仏陀懸寺)の番外札所を経由して、同じく番外の十夜ヶ橋(とよがはし)に至り、内子町の大瀬小田川沿いを歩いて久万の44番へと至る。四国遍路の中でも、随分と番打ちの距離が長い区間である。
言わば、宇和島藩の最北端の街道集落でもあり、この町家の中には、同藩の番所が大洲藩に対峙して置かれていた。
丁度、この東多田と住友家のある久保との間にある信里(のぶさと)が両藩の緩衝地帯となっていた。伊達家と加藤家とは、外様大名同士とは言え、藩という一国の境界ともなれば、こうした措置が取られていたことが、歴史的事実として興味深い。
その宇和島街道沿いに開けた集落の中ほどに、この道標がある。T字路になっていて、南北どちらから来ても、西に道を取れば、八幡浜に通じる。この昭和4年に建てられた遍路道標には、明石寺へ二里十丁、菅生山へ十八里二十丁とある。
43番札所の明石寺までは8km余り、次の44番札所大宝寺へは72km余り。ここから旧鳥坂(とさか)峠越えをして札掛さん(仏陀懸寺)の番外札所を経由して、同じく番外の十夜ヶ橋(とよがはし)に至り、内子町の大瀬小田川沿いを歩いて久万の44番へと至る。四国遍路の中でも、随分と番打ちの距離が長い区間である。

ちょっと遊びます。
時期はずれとなりましたが、名づけて「花粉症」。・・・分かってチョーダイ。
連休の時(5月3日)に、郡中町並み博物館という企画があり、
伊予市の海べりを歩いててゲット。
ちょっとご案内。

松山市内の「エスパス21」で、「第4回ユーモア路上観察展」が今週末から開催されます。
毎年リピーターのある企画で、街を眺める一ひねりショットの写真展。
越智・芳野・乗松各お三方の路上観察目線が楽しい。
場所は、国道11号線沿いにあるごろびつ庵とうつぼ屋の角を入って突き当りを左折。駐車場アリ。
初めての方は、電話をしてからの方が無難かも。
松山市小坂2丁目4-37、(財)乗松巌記念館エスパス21
電話089-934-3621
5月27日~6月11日まで(火曜・休館)・入場無料
旧城辺町での採取ブッケン。
今回の愛南ウォッチングではないが、以前の際に撮影していた「ホーロー看板」。レトロな空間の地方の町には、今も時々見かける琺瑯製の看板。
これは、「蛇の目ミシン」ではあるが、「城辺ハイヤー」でもあり、しかもその電話番号と名前?まで記入してある。意図せずではあるが、二つの目的を兼ね備えている意味では、ハイブリット広告か。
いや、というよりも、期せずしてそうなったということでは、この場合さまよえる「放浪看板」が妥当かも知れない。
今回の愛南ウォッチングではないが、以前の際に撮影していた「ホーロー看板」。レトロな空間の地方の町には、今も時々見かける琺瑯製の看板。
これは、「蛇の目ミシン」ではあるが、「城辺ハイヤー」でもあり、しかもその電話番号と名前?まで記入してある。意図せずではあるが、二つの目的を兼ね備えている意味では、ハイブリット広告か。
いや、というよりも、期せずしてそうなったということでは、この場合さまよえる「放浪看板」が妥当かも知れない。
これが桃から生まれた桃太郎の飾り瓦。
まぁ何とも可愛いチンチンが・・・
男の子じゃねぇ。
もうすぐ端午の節句も近い。そろそろ鯉のぼりの季節である。
チョイ、顔がきばり過ぎではあるが、ご愛嬌。
手前の隅棟の飾りは「打ち出の小槌」。めでたし、メデタシ。
まぁ何とも可愛いチンチンが・・・

男の子じゃねぇ。
もうすぐ端午の節句も近い。そろそろ鯉のぼりの季節である。
チョイ、顔がきばり過ぎではあるが、ご愛嬌。
手前の隅棟の飾りは「打ち出の小槌」。めでたし、メデタシ。