明日を夢見て~神様と筋ジストロフィーと共に生きる~

クリスチャン。デュシェンヌ型筋ジストロフィー患者で電動車椅子と人工呼吸器を使っている。

20歳と喜びと希望

2011年03月17日 01時17分43秒 | エッセイ
昨日は20歳の誕生日だった。お祝いのメッセージを送ってくださって、ありがとうございます!!

今は日本中が悲惨なことになっているから、誕生日で浮かれている場合ではないんですけど。
でも自分が元気じゃないと周りの人々を勇気づけることはできないですから、誕生日でエネルギーを補給させてもらいました。

20歳になった僕の目標。それはどんなに苦しいときであっても、陽気さとポジティブさを忘れないこと。そのためにいつも笑顔で生きていきたい。

思えば僕の好きなONE PIECEのキャラクターって、危険な目に直面していても、いつも笑っているんだよね。苦しいときだからこそ、陽気さとポジティブさが必要になるんだ!!

今までの僕は禁欲主義になっていた。どんどん身体が不自由になっていくから、できないことが次第に多くなる。だから「人間的な楽しみを求めても意味がない。いずれ寝たきりになって、遊びも食事もできない身体になるのだから。現代の医学では30代前半までしか生きられないしね。だったらあらゆる楽しみを求めるのは辞めよう」といつしか思うようになっていた。

でもこれでは生きる苦しみしか見えなくなるから、だんだん生きる気力がなくなるんだよね。いつも欲望や苦しみを乗り越えていこう!と頑張っていても、その気力は長くは続かない。なぜなら人生の喜びがないから。喜びがなければ、早く死にたいと思ってしまうのが人間だ。

でも今の僕でも人生を楽しむことはできるんだよね。いずれ何もできない身体になるのなら、今だからこそできることを楽しんでいきたい。まだできることがあるじゃないか!

人生の喜びを感じながら生きているからこそ、本当の明るい人間になることができるんだ。

たとえ何もできない身体になったとしても、クリスチャンには祈りの賜物と神様や隣人を愛する喜びがあるから、きっと大丈夫だよ。

果たして祈りを通して神様に委ねることは無力な行為だろうか。僕はそう思わない。

人間は苦しくなるといつもこの世界に神などいない!と叫びたくなる。

でも祈りの力は偉大なんだよ。生きる力、神様や隣人を愛する気持ち、心の平安などたくさんのものが与えられるからね。

また人から「あなたのことをお祈りしていますよ」と言われると、僕はいつも幸せになれるんだよね。

喜びや幸せがあるからこそ最後まで生き抜いていける。

また人間は自分にできることを見つけたとき、幸せになることができる。

身体が不自由な僕でも、たとえこのまま病気が進行して寝たきりになったとしても、地球のために祈ることはできる。

今回の大災害で被災された方々からすると、今はポジティブになることはできないかもしれない。でも希望は失くさないでほしい。

僕も去年の冬、死に直面した経験をした。病気が急激に悪化しても地元の病院では何一つ分からなかったから、数ヶ月ほど死にかけた状態で生きていたけれど、希望だけは失くしたくなかった。

被災された方々からすれば、僕の死にかけた経験なんて、本当にちっぽけなものだと思うけどね。。。

まだ生きている、今も生かされている。生きているだけでも可能性は残されていると僕は思うよ☆

5 コメント

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Unknown (野の花)
2011-03-17 19:36:21
人の喜び楽しみを祝う事も大切と私は思います

私も大学病院で一生寝たっきりと医者に宣言されたことがあります。

忍さんの気持ちは痛いほど分かります

難病や身障者は我慢と忍耐が付きまとい自分を殺して生きています、互いに理解を。。。
私は生活をいつも、気持ちは畳一枚で生活出来る暮らし心がけています。
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おめでとうございます (giraffe)
2011-03-23 19:25:52
初めてコメントさせてもらいます。

先日の子どもホスピスフォーラムに参加させてもらった者です。
ブログをされていると仰っていたので
密かに…拝見させてもらっていました。
最後までいることができなかったので
直接お話できなかったのですが
みなさんの前でお話された様子もすごくよかったし
(温かそうな人柄が伝わってきて…)
ブログもすごく思いが伝わってきます…。
自分よりうーんと若い保田さんの書いた文章に
なだめられたり慰められたりしています…。

すごく遅くなってしまいましたが
お誕生日おめでとうございます。
保田さんが楽しく、喜びと幸せに
満ち溢れた20代を過ごせるように
心からお祈りしています。
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野の花さんへ ()
2011-03-27 14:07:39
医学にも限界はあるので、余命宣告に関しては参考程度に止めています。神様はそれぞれに寿命を決めておられますからね。

難病や障害があると、健康な人よりできることが極端なか少なくなってしまいますよね。それでもクリスチャンには誰にでも、神様を信じて愛する喜びは永遠に与えられているので、平安な人生を送っていけるのだと思います。

誰でも老人になればできることが極端に少なくなるけど、僕は10代からそれを味わっているんですよね。でも天国での生をその分待ち望むことができます。辛いですけど、信仰・希望・愛を感じているから幸せです。
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giraffeさんへ ()
2011-03-27 14:30:55
はじめまして。
コメントありがとうございます!

こどもホスピスフォーラムに参加されたんですね。人前で発言する機会に恵まれないので、先日のフォーラムは有意義な経験になりました。

そう言ってくださると嬉しいです。でも僕はまだ愛の足りない人間ですし、ブログの内容も口だけのところがあるので、もっともっと成長していきたいと思っています。まだ20歳ですからね。

一時は禁欲主義になりましたが、今しかできないことを今感じるままにやっていきたいですね!喜んで生きている人間に、人は共感するのだと信じています。
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夕べあなたを知った (ゆう子)
2011-05-22 15:37:55
……ので、これを書いてる今はもう5月の下旬。“Happy Birthday!!”の言葉も無効ですね。

私は12月25日にはクリスマスをお祝いし、一週間もたたない1月1日には神社へ行って二拍一礼してくるような人間ですが、夕べは“保田さんがぐっすり眠れていますように”って、祈り(拝み!?)ましたよ!

効果あったかな???
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