明日を夢見て~神様と筋ジストロフィーと共に生きる~

クリスチャン。デュシェンヌ型筋ジストロフィー患者で電動車椅子と人工呼吸器を使っている。

天に宝をたくわえる歩み

2011年11月24日 20時16分46秒 | キリスト教
『天に宝をたくわえる歩み』

Podcast(音声)はこちら

【新改訳聖書 マタイの福音書 6章19~21節】

「自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。

自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。

あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。」


人生は旅だよ。
なぜなら帰る場所があるから。
喜びと平安で満たされた天国という自分を造って下さった神様の国に帰ることができるからこそ、人生を喜んで生きていけるんだ。

だから、一日一日生きていくことが天に宝をたくわえることにつながっていくと思う。
神様が定めた寿命の最後まで命を使うことは人間に与えられた使命だし、人生の歩みは天国までつづいているから。
まずは今日を生きることから始まるんだ。


でも、人間は生きていく日々の中で、人の目や世間体を気にして人と比べて疲れたり、「いつまで生きればいいのだろう」と思う自分の弱さに落胆してしまう。

また、地上で得た宝や人の評価はいつ失われるか分からない。
だから、どこまでも求めて増やそうとし、その結果、いつも人の目や世間体を気にして人と比べてしまう生き方が続いてしまう。

ここで大事なことは、人の目や世間体を気にしなくてもよい生き方があるんだという理由を見出すことだよ。

自分の心が人の目や世間体ではなく、神様に向けられていることが大切なんだよね。


天に宝をたくわえるとは、神様が喜ばれることは何なのか、神様の御心は何なのか祈り、神様を見上げながら生きていくこと。
大小はあっても、誰にでも神様から与えられた賜物や役割があるのだから、それを用いて、生かしていくこと。

神様が一番喜ばれることは「心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なる私たちの神を愛すること、また自分を愛するように私たちの隣人を愛すること」だから、賜物や役割も神様や隣人のためにつながっていくために与えられていると思う。

また、人と比べなくていいんだ。

社会は、小学校→中学校→高校→大学・短大・専門学校→就職~や10代→20代→30代→40代~という暗黙のレールがあるわけだけど、人間の成長過程や賜物や役割はひとりひとり違うのだから、「10代はこうでなくちゃいけない」「40代はこうでなくちゃいけない」と一括りにすることなんて無理なんだよね。

大切なことは、人と比べて「この年齢なのにあれこれもできない、あれもこれもない。」と思うのではなく、自分に与えられたものや自分が成し遂げたひとつひとつのことを喜んで、感謝していくことじゃないかな。

何もできない、何もない人なんていないと思う。
誰の生命も誰かの生命を輝かせるための光なんだから。

目には見えないけど、 人間を罪から救うために、イエス様を遣わして下さった神様を覚えて生き出す時に、世間体や人の目を気にする生き方から少しずつ解放されて、平安や希望を感じていけるんだろうなぁ。

そう思うと、自分は罪人だということを自覚し、「神様なしでは生きていくことはできません。僕を憐れんでください」と祈り、神様を見上げること自体が天に宝をたくわえることになるんだよね。


生きていく一日一日を神様の憐れみの中に踏み込んでいくような歩みをすることで平安と喜びを感じることができるのだと思う。

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