明日を夢見て~神様と筋ジストロフィーと共に生きる~

クリスチャン。デュシェンヌ型筋ジストロフィー患者で電動車椅子と人工呼吸器を使っている。

十字架を人生の楽しみに

2015年03月20日 18時53分06秒 | キリスト教
1月からずっと両足の痛みがとても辛くて、両手は指2本しか動かせなくなってきた。
人工呼吸器を外して入浴するお風呂は、手動の呼吸器(蘇生バック)を使っていても、
少し呼吸が苦しくなってきた。確実に病は進行していると感じる。

病の痛みの中にいると、体も心も傷付いてしまう。
だから、この2ヶ月、僕は病の現実から、現実逃避していた。
でも、生き辛さと虚しさが募るばかりだった。悔い改めました。

10年間、病の癒しを毎日お祈りしてきたけど、病は進行していく一方だし、
証しの奉仕が与えられるようになってから、
難病の人生を通して、キリストの愛を伝えていくことが僕の使命だと神様から示されて、
信仰で受け止めたこの確信は祈る度に深まっている。

僕は病の進行で、少しずつ寝たきりの体になっていき、若く死ぬ現実を恐れているけど、
それは命と体こそ自分の一番の所有物だ!と当たり前に思っているから、
いつまでも自分を神様に明け渡すことができないのだと思う。

自分の体も命も、神様が与えてくださったものだから、
動かせなくなった体の部分は神様にお返ししたと思えば良い。
寝たきりの体になっていき、若く死ぬ現実を、信仰で受け入れよう。


僕は何も自分のものにしない清貧の生き方が必要だ。
たとえ何もできない体になっても、裸で十字架につけられたキリストに、裸で付き従って生きよう。

キリストの十字架が心の中に根ざしているなら、十字架が人生の楽しみになる。
そうなれば、この世が忌み嫌う病の苦しみさえも喜びに変わる。


若く死のうが、大往生で死のうが、死の恐怖は変わらないと思うけど、
キリストが僕を罪と死から救い出してくださったと信じているし、
死は復活して神の国で生きる永遠の命の始まりなのだから、
難病で若く死ぬ現実を喜んで受け入れていきたい。

そして、キリストの十字架を心の中に根ざしたいし、苦しみさえも喜びとしたいから、
次の祈りと言葉を自ら進んで祈ることができるようになりたい。

【アッシジのフランチェスコ】

イエス・キリストよ。私がこの世を去る前に、二つの恵みをいただくため祈っています。

その一つは、愛するイエス様、私が生きているうちに、
あなたが最もひどい責め苦を受けられた折、耐えしのばれたあの苦痛を、
できる限り私のたましいと体で感じることです。

ああ、神の子よ、もう一つは、あなたが私ども罪びとのため、
あのような苦しみを喜んで耐えしのばれるほどに、
燃えたたせられたあの至上の愛をできる限り私の心の中に感じることです。


【マザー・テレサ】

「苦しみは、苦しみそれ自体では虚しいもの。
しかし、キリストの受難を分かち合う苦しみは素晴らしい神様からの贈物です。
人の捧げる最も美しい贈物は、キリストと苦しみを分かつことができること。

そうです。それこそ、キリストの愛の贈物であり、愛のしるしです。
なぜなら、御父は、御独り子を私たちのために死に渡されることによって、
世を愛しておられることを証されたからです。


アーメン。


【D・A・カーソン】

「天国は弟子として生きるための代価よりもはるかに価値があります。
また、宝のありかを知っている者は、必ずや他のすべてを喜んで放棄します。」

【新共同訳聖書 第一ペトロの手紙 4章12~16節】

愛する人たち、あなたがたを試みるために身にふりかかる火のような試練を、
何か思いがけないことが生じたかのように、驚き怪しんではなりません。

むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど喜びなさい。
それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びに満ちあふれるためです。

あなたがたはキリストの名のために非難されるなら、幸いです。
栄光の霊、すなわち神の霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。

あなたがたのうちだれも、人殺し、泥棒、悪者、あるいは、他人に干渉する者として、
苦しみを受けることがないようにしなさい。

しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、決して恥じてはなりません。
むしろ、キリスト者の名で呼ばれることで、神をあがめなさい。


♪賛美「あなたをたたえ」♪




あなたをたたえ
あなたの御名かかげ

どんなときも
感謝するため

あなたを愛し
そのみもとで拝し
従うため 造られた


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2 コメント

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十字架の十はプラスの十 (nori)
2015-03-23 15:16:38
「キリスト」という言葉は「救世主」という意味だと何かの本で読んだ覚えがあります。
キリスト教徒の広輝さんは、差し詰め「救世民」になるのかな?

私は人を頼るのが苦手です。
自分の苦しみを人に伝えるのが不得意です。
きっと見栄っ張りで自尊心が高いからなんでしょうね。
広輝さんは、そんな私の出来ない事をやっています。
記事を読むと、代弁してくれているようで、私も少し楽になります。
だから、これからも私のような人の心の声を代弁してもらえたら嬉しいです。

指、お辛いでしょうから、コメントの返事は要りません。
その代わり、更新を楽しみに待っています(^^)/
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noriさんへ (広輝)
2015-03-31 18:22:12
コメントありがとうございます。
「救世民」って素敵な言葉ですね。
教会ではそういう言い方をしないので、とても新鮮な言葉です。

人に頼るって難しいですよね。
苦しみを人に伝えても、傷付くことを言われたり、裏切られたり。
ブログでの僕の日記は、人に打ち明けているというより、神様に向かって打ち明けている祈りのようなものです。
僕は神様を、救世主キリストを絶対的に信頼しているので。

代弁してくれている、と言ってもらえて嬉しいです。
苦しみはひとりひとり違うけど、分かち合うことはできますよね。
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