私の名前は保田広輝です。いま24歳です。
デュシェンヌ型筋ジストロフィーという難病を抱えています。
この病気は生まれつきのもので、遺伝子の異常により、
次第に全身の筋肉が動かなくなってゆく進行性の難病です。
やがて寝たきりになります。未だに治療法がありません。
今の身体の状態は、電動車椅子に乗っていて、
24時間ずっと人工呼吸器を使わなければ生きられません。
動かせるのは手の指だけです。
4歳で病名を診断され、当時は20歳までの命と言われました。
私は難病であることを知らずに育ちました。
幼い頃は、走ったり跳んだりできず、階段も手すりがないと上ることができなかったけど、
他の子よりも運動神経がないとしか思っていなかったんですね。
大人になって、なぜ難病を告げてくれなかったのか?と両親に尋ねたところ、
「20歳で死ぬということはとても伝えられなかった…」と答えてくれました。
自分は他の人とは違うと感じ始めたのは、7歳からでした。
難病の進行で、よく転倒したり、ひとりで起き上がれないようになっていたんですね。
足が悪いという理由だけで、イジメを受けるようになりました。
足が悪くなければいじめられることはなかったのに、と子供ながらに苦しみました。
「この足にした神様が悪いんだ!」と泣き叫ぶこともあり、葛藤する日々が続いたんです。
そして、9歳で車椅子生活となりました。
ちなみに、両親はクリスチャンだったので、私は生まれた時から教会に通っています。
生後2か月で幼児洗礼を受けて、教会の牧師先生の勧めもあり、
13歳で神様を信じる決心(信仰告白)をしたんですね。
難病の現実を思い知らされたのは大学の受験勉強に励んでいた18歳の3月からでした。
自分も当時の主治医も、病気が悪化していることがまったく分からず、
1年間で5回も入院したんですね。
一日中、嘔吐が止まらなかったり、
ゼェゼェとものすごい息苦しさと、痛みがガンガン鳴り響くような激しい頭痛のせいで、
ほとんど眠れないので、毎日のように意識がもうろうとして、
本当に死ぬかと思う毎日が続いたんですね。
その間も苦しい現実から逃げるように受験勉強に夢中で打ち込んでいました。
でも、息苦しさと頭痛のせいで、必死に勉強しても次から次に忘れていき、
試験の点数はどんどん下がっていくので、努力が無駄になっていくのは辛かったです。
それでも神様に助けてください、と必死に祈り続けたんですね。
1年が経ったあと、神様のお導きと母の努力のおかげで、
名医がいる四国の病院のことを知って、
その病院でいま使っている人工呼吸器を導入してもらってから、
苦しい症状は改善されました。
ただ、人工呼吸器を使うには医者の管理が必要だから、
そのために地元の福岡の専門病院で検査入院したときに、
医者から「やがて寝たきりになり、30歳で気管切開になって、35歳で亡くなるでしょう。」
と余命宣告を受けました。
心が引き裂かれるような宣告でした。
その時に難病の現実をとことん思い知ったんですね。
その後、合格した大学には入学したけど、体調不良により半年で中退しました。
それからは自分を見つめ直す日々でした。
人工呼吸器を使うまでの身体になったこと、余命宣告を受けたこと、
難病による体の痛みが激しいので、ベッドで過ごす生活になったこと、
などが大きなストレスとなり、浮き沈みの激しい時期が長く続いたんですね。
祈りの中で、これほどの苦しみの中に置いた神様にいらだちをぶつけ続けました。
なぜ35歳で死ぬ難病を与えたのですか?、若くして死にたくないです!、
難病の進行が止まらないのは嫌だから、どうか癒やしてください、
こんな苦しい状態で生きていても意味がないと思います、
このまま死を待つだけの何もない人生なんでしょうか?、と祈り続けたんですね。
この時は生きている意味が分かりませんでした。人生に絶望していました。
こういう気持ちになったのは、
どうして私は健康になれないのか、という思いが強かったからです。
なぜなら、この世の人間の生きる価値は、健康に生きて、
仕事をして社会で役立つことで決まるけど、
難病の私には無理だからです。
私には別の生きる価値が必要だったんですね。
でも、神様に祈り続けていても、ずっと分からなかったので、苦しかったです。
それでも、いつも聖書を読んで祈ること、日曜日は教会へ行くことはやめなかったけど、
神様の沈黙を感じる日々だったので、辛かったです。
でも、余命宣告から10ヶ月が経ってから、次の聖書の御言葉が心に響いたんですね。
【新共同訳聖書 エゼキエル書2章8節】
「人の子よ、わたしがあなたに語ることを聞きなさい。
あなたは反逆の家のように背いてはならない。
口を開いて、わたしが与えるものを食べなさい。」
この御言葉を通して、神様の言葉である聖書を読んで、
神様にお祈りを続けていれば、
神様は私の心に語りかけてくださるんだ、
私の心を変えてくださるんだ、
と信じられるようになりました。
それからは、ただ聖書を読んで祈るだけではなくて、
その日に読んだ御言葉を何度も朗読していきました。
そのようにして、神様の語りかけを待ち続けたんですね。
そして、余命宣告から1年半が経ったとき、
次の御言葉を通して、ガラリと心が変えられたんですね。
【新改訳聖書 ヨハネの福音書15章16節】
「あなたがたがわたしを選んだのではありません。
わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。」
【新共同訳聖書 テモテへの手紙 第一 4章4~5節】
「神がお造りになったものはすべて良いものであり、
感謝して受けるならば、何一つ捨てるものはないからです。
神の言葉と祈りとによって聖なるものとされるのです。」
私は自分の意志で生まれ、望んで難病になって生まれて来た訳ではありません。
ということは、私は神様からの任命を受けて、
生まれつきの難病の体に選ばれた、と感じたんですね。
神様がいつも共にいてくださって、難病の人生を生きていきなさい、
と神様が任命して下さったからこそ、難病の人生にチャレンジしているんです。
だから、難病の私も神様から愛されているんだ、難病の私も神様の作品なんだ、
難病の私は神様の失敗作ではないんだ、と思えるようになりました。
それからは、いつも神様から愛されている喜びを感じられるようになったんですね。
また、難病は神様から与えられた良いものです。
なぜなら、私はこの難病で生まれて来たからこそ、
今の自分の性格や人生になれたし、今まで築き上げて来た人間関係があるからです。
ひとりの命は自分に関わっている人たちに何かしらの影響を与えていますし、
もし難病になって生まれて来なかったら、
今まで自分に関わってくれた人たちの性格や人生が何かしら変わってしまうと思うんです。
神様はひとりひとりの人間を用いて働かれますから、
神様と人との関係から考えたら、私にとって難病は良いものなのです。
そして、難病の私は、神様のために何もできない、生きている意味もないと思っていました。
神様にいらだちをぶつけながら、生きることに耐える日々を送っていました。
でも、気付かされたんですね。
私も神様の愛によって生まれて、大切な命が与えられている。
そして、命だけじゃない。
神様から私たちに与えられている最高のプレゼントは、イエス様の愛ですよね。
十字架で命を犠牲にしてまで、
私たちを罪と死から救ってくださったイエス様の愛が最高のプレゼントですよね。
神様の御子である主イエス・キリストが、
私たち人間の罪のために十字架にかけられて死んでくださり、
墓に葬られて、3日目に死人の中から復活なさった、と信じる人たちは、
罪と死から救われます。死んだ後に滅びない体に復活して永遠の命が与えられます。
聖霊様が心に住んでくださいます。神様の子どもとされます。
天におられる神様と永遠の交わりが与えられます。
このイエス様の愛は、能力や行いに応じてではなく、
イエス様を信じる人に無条件に与えられています。
神様に祈りました。
「私には何もありません。神様におささげできるものが何もありません。
この命しかありません。私の人生を神様におささげします」
難病の私は、神様のために何もできない、生きている意味もないと思っていました。
でも、イエス様の愛が無条件に与えられているのだから、
自分が神様のために生きるのも、神様に人生をささげるのも、
無条件なのだと気付かされたんですね。
自分には何もない、神様のために何もできないと思っても、
神様は人生をささげる決心を喜んでくださり、
その人にしかできない使命と全ての必要なものを与えてくださるのだと思います。
神様に人生をささげる決心をしてから、
「難病を通して神様を伝えていきなさい、
難病の人生で育まれる信仰と希望を伝えていきなさい」
という使命が与えられていると感じるようになったんですね。
それからは、難病を受け入れることができました。
自分では不思議なくらい、神様のために前向きに生きていけるように変えられました。
教会や講演会で神様の証しをする機会も与えられるようになりました。
人間が生きる価値は、自分や他人が決めるのではなく、
自分を存在させている神様が決めてくださいます。
難病の私であっても、神様から生きる使命を与えられているからこそ、
私は生きる価値があるんですね。生きる喜びがあるんですね。
また、私は難病の進行で、
寝たきりの体になっていくことや、若く死ぬ現実を恐れていました。
命と体こそ自分のものだ!と当たり前に思っていたから、
若く死ぬ現実を恐れていたし、
いつまでも自分を神様に明け渡すことができなかったんですね。
でも、神様の御言葉によって生き方が変えられてから、
自分の体も命も、神様が与えてくださったものだから、
動かせなくなった体も命も、神様に喜んでお返ししようと思えるようになりました。
私には何も自分のものにしない生き方が必要なんですね。
たとえ何もできない体になっても、
裸で十字架につけられたイエス様に、裸で従って生きていきたいです。
イエス様の十字架が心の中に根ざしているなら、
十字架が人生の楽しみになります。
そうなれば、難病の苦しみさえも喜びに変わるんですよね。
【新改訳聖書 コリント人への手紙 第一 15章32節】には、こんな御言葉があります。
『もし、死者の復活がないのなら、
「あすは死ぬのだ。さあ、飲み食いしようではないか」ということになるのです。』
難病が進行していけば、私は寝たきりになります。
何も動かせない体になります。食事もできなくなります。
気管切開したら、話すことすらできなくなります。
だから、どうせ短い命なんだから、死ぬまでに、あれをしよう、これを食べよう、
と自分を満足させる生き方は、私にとって虚しいだけなんですね。
私はイエス様の十字架を人生の楽しみにしています。
「私は嫌々ながら難病の苦しみの中に置かれたけど、
イエス様は自分から進んで、私たち罪人を救うために、
十字架の大きな苦しみを背負ってくださったんだ!
本当に私たちは愛されているんだなぁ、
本当にイエス様は十字架の大きな苦しみを背負われたほどに、
私たちを愛しておられるんだなぁ!」、
ということを思うと、イエス様ありがとうございます!と喜びがあふれるんですね。
イエス様の十字架と比べたら、私の難病の苦しみはとても小さなものだけど、
イエス様が味わった苦しみを少し共有することができるんだ!と喜びがあります。
イエス様が通られた十字架の苦しみを、私も少しだけ経験させていただいている。
イエス様の弟子にさせていただいている。
そして、難病の十字架を背負うことで、イエス様に似た者へと変えられようとしている。
このことは本当に大きな喜びです。
だから、私は次の御言葉を慰めにしています。
【新共同訳聖書 第一ペトロの手紙 4章12節~16節】
「愛する人たち、あなたがたを試みるために身にふりかかる火のような試練を、
何か思いがけないことが生じたかのように、驚き怪しんではなりません。
むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど喜びなさい。
それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びに満ちあふれるためです。
あなたがたはキリストの名のために非難されるなら、幸いです。
栄光の霊、すなわち神の霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。
あなたがたのうちだれも、人殺し、泥棒、悪者、
あるいは、他人に干渉する者として、苦しみを受けることがないようにしなさい。
しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、決して恥じてはなりません。
むしろ、キリスト者の名で呼ばれることで、神をあがめなさい。」
そして、聖書の登場人物たち・歴史の中で迫害されたクリスチャンたちは、
壮絶な苦難の人生を送りました。
でも、それは「神様の救いの言葉」を語るがゆえの苦しみであったのです。
苦しみを体験したからこそ、苦しみの中にいるからこそ、
神様の救いの言葉を大胆に伝えることができるのです。
イエス様ご自身が十字架の苦しみの人生を歩むことで、
神様の愛をあらわしてくださいました。
福音を伝える人は、福音に生きる人ですから、
私も「神様の救いの言葉」を伝えるために、難病の身体で苦しんでいるのです。
そうして、私の命に神様の愛が染み込んでいくのですから。
クリスチャン作家の【ジョージ・マクドナルド】という人の言葉に、こんな言葉があります。
「神の子キリストが苦しみの果てにあのような死を遂げられたのは、
人間が苦しまないためではなく、人間の苦しみもまた、キリストの苦しみに似るためであった」
難病の私は、イエス様のような生き方、
つまり、人と苦しみを分かち合う生き方に、生きる希望を見出したいです。
もちろん私自身が苦しみの中にある人間だから、
人の苦しみに寄り添うことは限界がありますし、
体験したことが無くて分からない苦しみもたくさんあります。
でも、イエス様の生き方に少しでも倣えたら・・・と思います。
隣人愛を実践できる人は、
泣いている相手と同じくらい泣いた人、苦しんでいる相手と同じくらい苦しんだ人ですよね。
ここに難病の私が生きる希望があります。
また、私は難病でクリスチャンです。
自分は不幸だ、病にした神様がすべて悪い、と思っていれば、
全ての病の人たちが不幸な人間だと思われてしまいます。
神はいないと思われてしまいます。
でも、神様から与えられる希望を失くさないで、喜んで生きていれば、
神はいない、病の人は不幸だと思う人は少なくなると思うんです。
私の前向きな生き方を通して、神様の存在を証明することにもなると信じています。
私の諦めない生き様が、日本におられる病の方々を守ることにつながる、と信じています。
私の喜びは、神様を信じて、神様を礼拝して、生きることだから、
どんな時も喜んで生きていけます。
こうして、私は難病の人生でも、生きる意味を見出すことができました。
でも、生きる意味を見出すことができたのは、
イエス様が与えてくださる復活の希望があったからなんです。
【新共同訳聖書 ヨハネによる福音書11章25~26節】
イエスは言われた。
「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。
生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。
このことを信じるか。」
私は生きる意味が分からずに、絶望の日々を過ごしていました。
でも、聖書を読んで祈りながら過ごしていくことで、神様は私を復活させてくださいました。
イエス様が与えてくださる復活を信じている人は、
どんなに人生に絶望しても、必ず復活させてもらえるから、
絶望する勇気さえ持つことができるんですよね。
絶望しても大丈夫!神様が必ず復活させてくださるから。
たとえ、私は若く死んだとしても、
死んだ後に滅びない栄光の体に復活して、
神の国で、神様と共に永遠に生きることができるから良いんですよね。
神様との永遠の交わりが、人間にとって最高の幸せなのですから。
そして、この世にいながらも、すでに神の国を感じられるんですよね。
教会で礼拝するとき、聖書を読んで祈るとき、賛美するときに、
天におられる神様とのつながりを感じることができるのですから。
どんな試練があっても、イエス様を信じた日から、
もう復活の栄光は始まっているんだ、と思います。
日毎に難病の体は衰えているけど、
私は永遠の命へと復活し始めているんです。
神様の赤ちゃんとして、
オギャ~と永遠の命に生まれていくところなんです。
私はこれからも自分の体験を通して、
神様を信じることの素晴らしさを伝えていきたいです。
どんどん衰えていく余命11年の短い命で、
どれだけのことができるか分からないですが、
悔いのないよう神様に仕え、天に召される日まで、
神様のご用に用いていただけるように祈っています。
神様のために死ぬために生きたいです!
最後に、※水野源三さんの【苦しまなかったら】という詩をお読みします。
もしも私が苦しまなかったら
神様の愛を知らなかった
もしも多くの兄弟姉妹が苦しまなかったら
神様の愛は伝えられなかった
もしも主なるイエス様が苦しまなかったら
神様の愛はあらわれなかった
※ 水野源三さんは1946年(昭和21年)9歳の時、
赤痢のための高熱が原因で脳性小児麻痺になられ、
手足を自由に動かすことも話すこともできなくなられました。
見ることと聞くことは出来ましたが、
意思表示の手段は瞬きをすることだけでした。
偶然訪問された牧師の置いていかれた聖書を読むようになり、
ラジオのキリスト教放送を聴かれ、また通信教育も受けられて
イエス様を信じるようになられました。
47歳で召天されるまで、
心からあふれ出る言葉をたくさんの詩や短歌、俳句などに表わされましたが、
最初はお母さんが「あいうえお」の表を指差し、その言葉に来た時に、
源三さんが目で合図するという方法で、
一つ一つの作品を作られました。
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デュシェンヌ型筋ジストロフィーという難病を抱えています。
この病気は生まれつきのもので、遺伝子の異常により、
次第に全身の筋肉が動かなくなってゆく進行性の難病です。
やがて寝たきりになります。未だに治療法がありません。
今の身体の状態は、電動車椅子に乗っていて、
24時間ずっと人工呼吸器を使わなければ生きられません。
動かせるのは手の指だけです。
4歳で病名を診断され、当時は20歳までの命と言われました。
私は難病であることを知らずに育ちました。
幼い頃は、走ったり跳んだりできず、階段も手すりがないと上ることができなかったけど、
他の子よりも運動神経がないとしか思っていなかったんですね。
大人になって、なぜ難病を告げてくれなかったのか?と両親に尋ねたところ、
「20歳で死ぬということはとても伝えられなかった…」と答えてくれました。
自分は他の人とは違うと感じ始めたのは、7歳からでした。
難病の進行で、よく転倒したり、ひとりで起き上がれないようになっていたんですね。
足が悪いという理由だけで、イジメを受けるようになりました。
足が悪くなければいじめられることはなかったのに、と子供ながらに苦しみました。
「この足にした神様が悪いんだ!」と泣き叫ぶこともあり、葛藤する日々が続いたんです。
そして、9歳で車椅子生活となりました。
ちなみに、両親はクリスチャンだったので、私は生まれた時から教会に通っています。
生後2か月で幼児洗礼を受けて、教会の牧師先生の勧めもあり、
13歳で神様を信じる決心(信仰告白)をしたんですね。
難病の現実を思い知らされたのは大学の受験勉強に励んでいた18歳の3月からでした。
自分も当時の主治医も、病気が悪化していることがまったく分からず、
1年間で5回も入院したんですね。
一日中、嘔吐が止まらなかったり、
ゼェゼェとものすごい息苦しさと、痛みがガンガン鳴り響くような激しい頭痛のせいで、
ほとんど眠れないので、毎日のように意識がもうろうとして、
本当に死ぬかと思う毎日が続いたんですね。
その間も苦しい現実から逃げるように受験勉強に夢中で打ち込んでいました。
でも、息苦しさと頭痛のせいで、必死に勉強しても次から次に忘れていき、
試験の点数はどんどん下がっていくので、努力が無駄になっていくのは辛かったです。
それでも神様に助けてください、と必死に祈り続けたんですね。
1年が経ったあと、神様のお導きと母の努力のおかげで、
名医がいる四国の病院のことを知って、
その病院でいま使っている人工呼吸器を導入してもらってから、
苦しい症状は改善されました。
ただ、人工呼吸器を使うには医者の管理が必要だから、
そのために地元の福岡の専門病院で検査入院したときに、
医者から「やがて寝たきりになり、30歳で気管切開になって、35歳で亡くなるでしょう。」
と余命宣告を受けました。
心が引き裂かれるような宣告でした。
その時に難病の現実をとことん思い知ったんですね。
その後、合格した大学には入学したけど、体調不良により半年で中退しました。
それからは自分を見つめ直す日々でした。
人工呼吸器を使うまでの身体になったこと、余命宣告を受けたこと、
難病による体の痛みが激しいので、ベッドで過ごす生活になったこと、
などが大きなストレスとなり、浮き沈みの激しい時期が長く続いたんですね。
祈りの中で、これほどの苦しみの中に置いた神様にいらだちをぶつけ続けました。
なぜ35歳で死ぬ難病を与えたのですか?、若くして死にたくないです!、
難病の進行が止まらないのは嫌だから、どうか癒やしてください、
こんな苦しい状態で生きていても意味がないと思います、
このまま死を待つだけの何もない人生なんでしょうか?、と祈り続けたんですね。
この時は生きている意味が分かりませんでした。人生に絶望していました。
こういう気持ちになったのは、
どうして私は健康になれないのか、という思いが強かったからです。
なぜなら、この世の人間の生きる価値は、健康に生きて、
仕事をして社会で役立つことで決まるけど、
難病の私には無理だからです。
私には別の生きる価値が必要だったんですね。
でも、神様に祈り続けていても、ずっと分からなかったので、苦しかったです。
それでも、いつも聖書を読んで祈ること、日曜日は教会へ行くことはやめなかったけど、
神様の沈黙を感じる日々だったので、辛かったです。
でも、余命宣告から10ヶ月が経ってから、次の聖書の御言葉が心に響いたんですね。
【新共同訳聖書 エゼキエル書2章8節】
「人の子よ、わたしがあなたに語ることを聞きなさい。
あなたは反逆の家のように背いてはならない。
口を開いて、わたしが与えるものを食べなさい。」
この御言葉を通して、神様の言葉である聖書を読んで、
神様にお祈りを続けていれば、
神様は私の心に語りかけてくださるんだ、
私の心を変えてくださるんだ、
と信じられるようになりました。
それからは、ただ聖書を読んで祈るだけではなくて、
その日に読んだ御言葉を何度も朗読していきました。
そのようにして、神様の語りかけを待ち続けたんですね。
そして、余命宣告から1年半が経ったとき、
次の御言葉を通して、ガラリと心が変えられたんですね。
【新改訳聖書 ヨハネの福音書15章16節】
「あなたがたがわたしを選んだのではありません。
わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。」
【新共同訳聖書 テモテへの手紙 第一 4章4~5節】
「神がお造りになったものはすべて良いものであり、
感謝して受けるならば、何一つ捨てるものはないからです。
神の言葉と祈りとによって聖なるものとされるのです。」
私は自分の意志で生まれ、望んで難病になって生まれて来た訳ではありません。
ということは、私は神様からの任命を受けて、
生まれつきの難病の体に選ばれた、と感じたんですね。
神様がいつも共にいてくださって、難病の人生を生きていきなさい、
と神様が任命して下さったからこそ、難病の人生にチャレンジしているんです。
だから、難病の私も神様から愛されているんだ、難病の私も神様の作品なんだ、
難病の私は神様の失敗作ではないんだ、と思えるようになりました。
それからは、いつも神様から愛されている喜びを感じられるようになったんですね。
また、難病は神様から与えられた良いものです。
なぜなら、私はこの難病で生まれて来たからこそ、
今の自分の性格や人生になれたし、今まで築き上げて来た人間関係があるからです。
ひとりの命は自分に関わっている人たちに何かしらの影響を与えていますし、
もし難病になって生まれて来なかったら、
今まで自分に関わってくれた人たちの性格や人生が何かしら変わってしまうと思うんです。
神様はひとりひとりの人間を用いて働かれますから、
神様と人との関係から考えたら、私にとって難病は良いものなのです。
そして、難病の私は、神様のために何もできない、生きている意味もないと思っていました。
神様にいらだちをぶつけながら、生きることに耐える日々を送っていました。
でも、気付かされたんですね。
私も神様の愛によって生まれて、大切な命が与えられている。
そして、命だけじゃない。
神様から私たちに与えられている最高のプレゼントは、イエス様の愛ですよね。
十字架で命を犠牲にしてまで、
私たちを罪と死から救ってくださったイエス様の愛が最高のプレゼントですよね。
神様の御子である主イエス・キリストが、
私たち人間の罪のために十字架にかけられて死んでくださり、
墓に葬られて、3日目に死人の中から復活なさった、と信じる人たちは、
罪と死から救われます。死んだ後に滅びない体に復活して永遠の命が与えられます。
聖霊様が心に住んでくださいます。神様の子どもとされます。
天におられる神様と永遠の交わりが与えられます。
このイエス様の愛は、能力や行いに応じてではなく、
イエス様を信じる人に無条件に与えられています。
神様に祈りました。
「私には何もありません。神様におささげできるものが何もありません。
この命しかありません。私の人生を神様におささげします」
難病の私は、神様のために何もできない、生きている意味もないと思っていました。
でも、イエス様の愛が無条件に与えられているのだから、
自分が神様のために生きるのも、神様に人生をささげるのも、
無条件なのだと気付かされたんですね。
自分には何もない、神様のために何もできないと思っても、
神様は人生をささげる決心を喜んでくださり、
その人にしかできない使命と全ての必要なものを与えてくださるのだと思います。
神様に人生をささげる決心をしてから、
「難病を通して神様を伝えていきなさい、
難病の人生で育まれる信仰と希望を伝えていきなさい」
という使命が与えられていると感じるようになったんですね。
それからは、難病を受け入れることができました。
自分では不思議なくらい、神様のために前向きに生きていけるように変えられました。
教会や講演会で神様の証しをする機会も与えられるようになりました。
人間が生きる価値は、自分や他人が決めるのではなく、
自分を存在させている神様が決めてくださいます。
難病の私であっても、神様から生きる使命を与えられているからこそ、
私は生きる価値があるんですね。生きる喜びがあるんですね。
また、私は難病の進行で、
寝たきりの体になっていくことや、若く死ぬ現実を恐れていました。
命と体こそ自分のものだ!と当たり前に思っていたから、
若く死ぬ現実を恐れていたし、
いつまでも自分を神様に明け渡すことができなかったんですね。
でも、神様の御言葉によって生き方が変えられてから、
自分の体も命も、神様が与えてくださったものだから、
動かせなくなった体も命も、神様に喜んでお返ししようと思えるようになりました。
私には何も自分のものにしない生き方が必要なんですね。
たとえ何もできない体になっても、
裸で十字架につけられたイエス様に、裸で従って生きていきたいです。
イエス様の十字架が心の中に根ざしているなら、
十字架が人生の楽しみになります。
そうなれば、難病の苦しみさえも喜びに変わるんですよね。
【新改訳聖書 コリント人への手紙 第一 15章32節】には、こんな御言葉があります。
『もし、死者の復活がないのなら、
「あすは死ぬのだ。さあ、飲み食いしようではないか」ということになるのです。』
難病が進行していけば、私は寝たきりになります。
何も動かせない体になります。食事もできなくなります。
気管切開したら、話すことすらできなくなります。
だから、どうせ短い命なんだから、死ぬまでに、あれをしよう、これを食べよう、
と自分を満足させる生き方は、私にとって虚しいだけなんですね。
私はイエス様の十字架を人生の楽しみにしています。
「私は嫌々ながら難病の苦しみの中に置かれたけど、
イエス様は自分から進んで、私たち罪人を救うために、
十字架の大きな苦しみを背負ってくださったんだ!
本当に私たちは愛されているんだなぁ、
本当にイエス様は十字架の大きな苦しみを背負われたほどに、
私たちを愛しておられるんだなぁ!」、
ということを思うと、イエス様ありがとうございます!と喜びがあふれるんですね。
イエス様の十字架と比べたら、私の難病の苦しみはとても小さなものだけど、
イエス様が味わった苦しみを少し共有することができるんだ!と喜びがあります。
イエス様が通られた十字架の苦しみを、私も少しだけ経験させていただいている。
イエス様の弟子にさせていただいている。
そして、難病の十字架を背負うことで、イエス様に似た者へと変えられようとしている。
このことは本当に大きな喜びです。
だから、私は次の御言葉を慰めにしています。
【新共同訳聖書 第一ペトロの手紙 4章12節~16節】
「愛する人たち、あなたがたを試みるために身にふりかかる火のような試練を、
何か思いがけないことが生じたかのように、驚き怪しんではなりません。
むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど喜びなさい。
それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びに満ちあふれるためです。
あなたがたはキリストの名のために非難されるなら、幸いです。
栄光の霊、すなわち神の霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。
あなたがたのうちだれも、人殺し、泥棒、悪者、
あるいは、他人に干渉する者として、苦しみを受けることがないようにしなさい。
しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、決して恥じてはなりません。
むしろ、キリスト者の名で呼ばれることで、神をあがめなさい。」
そして、聖書の登場人物たち・歴史の中で迫害されたクリスチャンたちは、
壮絶な苦難の人生を送りました。
でも、それは「神様の救いの言葉」を語るがゆえの苦しみであったのです。
苦しみを体験したからこそ、苦しみの中にいるからこそ、
神様の救いの言葉を大胆に伝えることができるのです。
イエス様ご自身が十字架の苦しみの人生を歩むことで、
神様の愛をあらわしてくださいました。
福音を伝える人は、福音に生きる人ですから、
私も「神様の救いの言葉」を伝えるために、難病の身体で苦しんでいるのです。
そうして、私の命に神様の愛が染み込んでいくのですから。
クリスチャン作家の【ジョージ・マクドナルド】という人の言葉に、こんな言葉があります。
「神の子キリストが苦しみの果てにあのような死を遂げられたのは、
人間が苦しまないためではなく、人間の苦しみもまた、キリストの苦しみに似るためであった」
難病の私は、イエス様のような生き方、
つまり、人と苦しみを分かち合う生き方に、生きる希望を見出したいです。
もちろん私自身が苦しみの中にある人間だから、
人の苦しみに寄り添うことは限界がありますし、
体験したことが無くて分からない苦しみもたくさんあります。
でも、イエス様の生き方に少しでも倣えたら・・・と思います。
隣人愛を実践できる人は、
泣いている相手と同じくらい泣いた人、苦しんでいる相手と同じくらい苦しんだ人ですよね。
ここに難病の私が生きる希望があります。
また、私は難病でクリスチャンです。
自分は不幸だ、病にした神様がすべて悪い、と思っていれば、
全ての病の人たちが不幸な人間だと思われてしまいます。
神はいないと思われてしまいます。
でも、神様から与えられる希望を失くさないで、喜んで生きていれば、
神はいない、病の人は不幸だと思う人は少なくなると思うんです。
私の前向きな生き方を通して、神様の存在を証明することにもなると信じています。
私の諦めない生き様が、日本におられる病の方々を守ることにつながる、と信じています。
私の喜びは、神様を信じて、神様を礼拝して、生きることだから、
どんな時も喜んで生きていけます。
こうして、私は難病の人生でも、生きる意味を見出すことができました。
でも、生きる意味を見出すことができたのは、
イエス様が与えてくださる復活の希望があったからなんです。
【新共同訳聖書 ヨハネによる福音書11章25~26節】
イエスは言われた。
「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。
生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。
このことを信じるか。」
私は生きる意味が分からずに、絶望の日々を過ごしていました。
でも、聖書を読んで祈りながら過ごしていくことで、神様は私を復活させてくださいました。
イエス様が与えてくださる復活を信じている人は、
どんなに人生に絶望しても、必ず復活させてもらえるから、
絶望する勇気さえ持つことができるんですよね。
絶望しても大丈夫!神様が必ず復活させてくださるから。
たとえ、私は若く死んだとしても、
死んだ後に滅びない栄光の体に復活して、
神の国で、神様と共に永遠に生きることができるから良いんですよね。
神様との永遠の交わりが、人間にとって最高の幸せなのですから。
そして、この世にいながらも、すでに神の国を感じられるんですよね。
教会で礼拝するとき、聖書を読んで祈るとき、賛美するときに、
天におられる神様とのつながりを感じることができるのですから。
どんな試練があっても、イエス様を信じた日から、
もう復活の栄光は始まっているんだ、と思います。
日毎に難病の体は衰えているけど、
私は永遠の命へと復活し始めているんです。
神様の赤ちゃんとして、
オギャ~と永遠の命に生まれていくところなんです。
私はこれからも自分の体験を通して、
神様を信じることの素晴らしさを伝えていきたいです。
どんどん衰えていく余命11年の短い命で、
どれだけのことができるか分からないですが、
悔いのないよう神様に仕え、天に召される日まで、
神様のご用に用いていただけるように祈っています。
神様のために死ぬために生きたいです!
最後に、※水野源三さんの【苦しまなかったら】という詩をお読みします。
もしも私が苦しまなかったら
神様の愛を知らなかった
もしも多くの兄弟姉妹が苦しまなかったら
神様の愛は伝えられなかった
もしも主なるイエス様が苦しまなかったら
神様の愛はあらわれなかった
※ 水野源三さんは1946年(昭和21年)9歳の時、
赤痢のための高熱が原因で脳性小児麻痺になられ、
手足を自由に動かすことも話すこともできなくなられました。
見ることと聞くことは出来ましたが、
意思表示の手段は瞬きをすることだけでした。
偶然訪問された牧師の置いていかれた聖書を読むようになり、
ラジオのキリスト教放送を聴かれ、また通信教育も受けられて
イエス様を信じるようになられました。
47歳で召天されるまで、
心からあふれ出る言葉をたくさんの詩や短歌、俳句などに表わされましたが、
最初はお母さんが「あいうえお」の表を指差し、その言葉に来た時に、
源三さんが目で合図するという方法で、
一つ一つの作品を作られました。
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