明日を夢見て~神様と筋ジストロフィーと共に生きる~

クリスチャン。デュシェンヌ型筋ジストロフィー患者で電動車椅子と人工呼吸器を使っている。

エル・シャダイ

2013年02月02日 16時21分35秒 | キリスト教
運命とは、何かぼや~っとしたよく分からないものだから、神様は存在しないし、全ては偶然によって起こることになる。だから、運命に対しては意味を見出せずに、ただ諦めるよりほかにない。

それに対して摂理とは、「全能かつ現実の、神の力」や「前もって見る(見通し)」という意味があり、世界や人生のあらゆることは、神様がちゃんと先まで見通しておられ、神様が善きみ心をもって支配し、導いておられることを表している。だから、意味を見出せるし、生きる力が湧いてくる。

神様はエル・シャダイ(ヘブライ語で全能の神)だ。エル・シャダイは、【創世記17章1節】で「死人のようになっている者から、新しい命を生み出すことができるお方」という意味で使われている言葉だ。【口語訳聖書 ローマ人への手紙4章17節】では「死人を生かし、無から有を呼び出される神」と表現されている。

たとえ人間に希望はなくても、全能の神様にはある。僕たちがもうダメだ!と感じるときでも、神様は僕たちの人生を日々創造してくださる。いや、すでに僕たちの人生は、神様によって計画されている。全能の神様は、僕たちの人生を初めから終わりまで全てご存知だから、僕たちは信頼し続けることができるんだ。

全ては神様のみ心によって起こるのだから、どんな苦難のときも忍耐強く、順境においては感謝し、未来のことは神様によく信頼していきたい。

思い通りにならないときに忍耐することで人は謙遜にされ、神様への信頼を学ぶ。そうして、順境においては感謝する心も生まれてくる。苦難を乗り越えたときはもちろん、平凡で穏やかな日常でも感謝することで、全能の神様への信頼はいっそう深められていくんだ。

【新共同訳聖書 ローマの信徒への手紙8章31~39節】

では、これらのことについて何と言ったらよいだろうか。もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。

わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。

だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです。

だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。

だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。

「わたしたちは、あなたのために一日中死にさらされ、屠られる羊のように見られている」と書いてあるとおりです。

しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。

わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、

高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。


♪I Lift My Hands / Chris Tomlin♪

リンク先 歌詞の訳はこちら





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