私が生徒に身につけさせたいのは知識よりも思考力である。
「わからない」と言ってくる生徒にはまず「考えろ」と答える。
10月からは「考える学習をすすめる会」のメンバーにもなった。
ところでこの「考える」とはいったいどういうことだろう?
気軽に使うわりに、具体的に説明しようとすると難しい。
「思う」との違いはどこにあるのか?
英語では両方ともthinkだし、「思考」という言葉もあるし.....。
それこそ、考えれば考えるほど「考える」がわからない。
とりあえずgooの辞書を引いてみると、実にたくさんの意味が載っていた。→「かんが・える」
教育や学習の場面では、
(1)物事について、論理的に筋道を追って答えを出そうとする。思考する。
(2)さまざまなことを材料として結論・判断・評価などを導き出そうとする。
あたりが妥当な解釈だろうか.....。
教科学習を通して「考える力」を養うのが一般的な方法だが、私はそれ以外に「考え方」を学ぶ教材を作りたいと思っている。
従って「考える」についても私なりの定義を確立したいと、ずっと模索しているのである。
イメージすること、図化すること、計画すること、推理すること、仮定&検証、抽象化&具体化、特殊化&一般化.....どれも「考える」ことと言えるが、その一面でしかない。
今のところ私の中では、「考える」とは「ものごとを分析して関連づけ、まとめたり分類したりして整理すること」であるという意識が強い。
新しい知識や情報を得たら、自分が今持っているそれらとどう関係するのか、しないのか判断する。
これはあれと同じこと、これとこれは逆のこと、これがあれの原因などと頭の中を整理することこそ、「考える」ということなのではないか。
その過程で、イメージしたり仮定したり抽象化したりという作業が必要になるのだと思う。
もう一つ、先日絵本作家の五味太郎氏が「考える」を一言で表している言葉に出会った。→編集長の直球コラム
いわく「それはよく見るってことだな。それもいろんな角度から見る」。
分析する段階の「考える」として、ぜひこれも採用したい。
もちろんこれだけで「考える」を定義することは無謀であろう。
これは一つのたたき台である。
ぜひみなさんの考える「考える」をお聞きしたいと思っている。
ご意見をお待ちしています!
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「わからない」と言ってくる生徒にはまず「考えろ」と答える。
10月からは「考える学習をすすめる会」のメンバーにもなった。
ところでこの「考える」とはいったいどういうことだろう?
気軽に使うわりに、具体的に説明しようとすると難しい。
「思う」との違いはどこにあるのか?
英語では両方ともthinkだし、「思考」という言葉もあるし.....。
それこそ、考えれば考えるほど「考える」がわからない。
とりあえずgooの辞書を引いてみると、実にたくさんの意味が載っていた。→「かんが・える」
教育や学習の場面では、
(1)物事について、論理的に筋道を追って答えを出そうとする。思考する。
(2)さまざまなことを材料として結論・判断・評価などを導き出そうとする。
あたりが妥当な解釈だろうか.....。
教科学習を通して「考える力」を養うのが一般的な方法だが、私はそれ以外に「考え方」を学ぶ教材を作りたいと思っている。
従って「考える」についても私なりの定義を確立したいと、ずっと模索しているのである。
イメージすること、図化すること、計画すること、推理すること、仮定&検証、抽象化&具体化、特殊化&一般化.....どれも「考える」ことと言えるが、その一面でしかない。
今のところ私の中では、「考える」とは「ものごとを分析して関連づけ、まとめたり分類したりして整理すること」であるという意識が強い。
新しい知識や情報を得たら、自分が今持っているそれらとどう関係するのか、しないのか判断する。
これはあれと同じこと、これとこれは逆のこと、これがあれの原因などと頭の中を整理することこそ、「考える」ということなのではないか。
その過程で、イメージしたり仮定したり抽象化したりという作業が必要になるのだと思う。
もう一つ、先日絵本作家の五味太郎氏が「考える」を一言で表している言葉に出会った。→編集長の直球コラム
いわく「それはよく見るってことだな。それもいろんな角度から見る」。
分析する段階の「考える」として、ぜひこれも採用したい。
もちろんこれだけで「考える」を定義することは無謀であろう。
これは一つのたたき台である。
ぜひみなさんの考える「考える」をお聞きしたいと思っている。
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『情報処理能力』というのが、
『考える力』なのではないかと思います。
色々なところから、情報を仕入れ、
それを、自分の脳みそで処理していく。
一般的に賢い人というのは、
この能力が長けていると思います。
算数の文章題一つとってみてもそうです。
○何を求めるのか。
○どのようなことが分かっているのか。
○何をどおしたら、自分が欲しいものが手に入るのか。
このようなことを、一つ一つやっていけば、
自ずと答えは得られます。
『考える力』というのを、
パソコン風に、『情報処理能力』としてみました。
やはり、人が欲しがるのは、
情報処理能力に長けたパソコンですよね。
申し訳ない、
どおしたら⇒どうしたら
ですね。
最近タイピングへたくそになったきました(+_+)
英文をうつときも、eとiが違ったり、
aとsが逆になったりします・・・
練習しなおさなければです・・・
この跳ぶ能力には生まれついての差があるようですが、もちろん訓練によって高くすることも可能なのでしょう。
差はあっても跳ぶ楽しみを忘れたくないですね。
色々な壁にぶち当たったとき、普通、その壁を越えろという人が多い気がしてます。しかし私は、その壁をぶちこわして進めという表現をします。それを壊すために、種々なツールもヨシとします。横の別道を見つけることも大切かもしれませんが、まずは壁の中身を見てみよう、それが「考える」かなあっと。
ところで、答え11個じゃないですか?あくまでも、現物を実行できてませんが。
なるほど「情報処理能力」は「考える」のかなりの部分をカバーしている言葉ですね。ただ私的にはこの言葉、どうしても「作業」のイメージが付きまといます。パソコンは「考えている」んでしょうか?
「情報処理能力」と「問題解決能力」を併せ持ったイメージの言葉を考案しましょうか。
「考えてわかる」ためには「跳ぶ」必要がある、そうかも知れません。でも、結果的に跳べなくても、ただひたすら「考える」こと自体にも価値があるような気がします。その中から「跳ぶ」きっかけが生まれて来るという考えは甘いのでしょうか?
壁をぶちこわす例え、いいですね。鉄筋が少なくて壊しやすい壁が増えているので好都合ですね。
1円玉、11個で正解ですが、並べ方はどのように?
そうですね。
パソコンは考えてはいないですね。
検索かけても、
これは全然関係ないやん!!
ってのも出てきますしね。
ただ、考える以前にそのものに対する興味関心、あるいは考えなくちゃならない必然性がまず必要かも。
「思う」というよりもう少し能動的な感じがします。「想像する」のも「考える」ですね。いろいろと考えるには、いろんな見方も必要ですし、見えないものを見ようとする(ま、これが想像ですが)ことも大切です。だから、「思いやる」というのも「考える」に入れておきたい気がします。