プロ野球などでよく耳にする「勝利の方程式」という言葉がありますね。
わが阪神タイガースで言えば、先発投手からJFKのリリーフに繋ぐ必勝リレーのことです(最近はあやしいですが...)。
当たり前のように使われていますが、よく考えるとおかしくないですか?
先発が誰でも、最後はこの3人に繋げば勝利という答が出る。
ということは方程式じゃなくて、「勝利の恒等式」だと思うんですが...。
ずっと前からそんな疑問を持っていたのですが、今検索したら同じことを考えている人がチラホラいらっしゃいました。→「勝利の恒等式」
ところで方程式と言えば、中1で習う1元1次方程式で、よくこんな問題があります。
「兄は家から駅まで分速60mで歩いている。忘れ物に気づいた弟が、兄が家を出てから6分後に分速150mで追いかけ始めた。弟は家を出てから何分後に兄に追いつくか。」
弟が家を出てからx分後に追いつくとして方程式を立てれば、150x=60(x+6)(弟の進んだ距離=兄の進んだ距離)でx=4という答えが出ます。
生徒がこうやって「正しい解き方」で答を出したあと、私は言います。
「方程式使わずに解いてみて。」
いわゆる「旅人算」という問題ですね。
方程式を使わずとも、算数の範囲で十分解けます。
中学入試の題材としてもお馴染みですね(もちろんこんなに易しくはないですが...)。
弟が家を出るまでに、兄は360m(60×6)先に進んでいます。弟と兄の分速の違いは90mですから、1分に90mずつ2人の距離が縮まります。従って、360mの差がゼロになるには360÷90で4分かかることになります。
ところが、ほとんどの中学生はxを使わないと解けません。
「えーっ?」と言ったまま固まってしまいます。
問題の本質がわかっていれば、図や表で少し考えれば難しくないと思うのですが...。
「方程式」って、中学の数学の象徴という感じがしませんか?
「算数」じゃなくて「数学」なんだぞ!という権威を示しているような...。
難しいことをしている、頭を使っているというイメージがあるように思います。
でも、方程式自体は実に機械的な作業なんですね。
初めに移項などのテクニックを覚えれば、あとは単純な計算だけです。
たし算の筆算と変わりません。
文章題では何をxとするか、どう式を組み立てるかなどについて、もちろん頭を使いますが、似たような問題を何問か解くうちにパターン化されてくる気がします。
少なくとも、算数で解くよりは考えていないように思うのです。
「AとB合わせて19mで、Aの方がBより3m長い。A、Bはそれぞれ何mか。」
この問題を見たとたん方程式を立てる人より、線分図を描いて(19-3)÷2でBの長さを出す人の方が、より多角的なものの見方、柔軟な発想ができると思います。
そういう人は、もちろん方程式を使っても解けるということです。
何も、方程式が無用だという暴論を展開しているわけではありません。
方程式はきちんと学ぶ必要があります。
方程式を使わないと解けない問題もたくさんありますから...。
でも逆に、方程式では解けない算数の問題もあるのです。
少なくとも中学までの段階では、xに頼らないで解く練習ももっと増やすべきではないでしょうか。
1つの文章題を方程式と算数式、両方で解いてみる...そんな試みを多く実践して、子どもたちの考え方の幅を広げたいと思っています。
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わが阪神タイガースで言えば、先発投手からJFKのリリーフに繋ぐ必勝リレーのことです(最近はあやしいですが...)。
当たり前のように使われていますが、よく考えるとおかしくないですか?
先発が誰でも、最後はこの3人に繋げば勝利という答が出る。
ということは方程式じゃなくて、「勝利の恒等式」だと思うんですが...。
ずっと前からそんな疑問を持っていたのですが、今検索したら同じことを考えている人がチラホラいらっしゃいました。→「勝利の恒等式」
ところで方程式と言えば、中1で習う1元1次方程式で、よくこんな問題があります。
「兄は家から駅まで分速60mで歩いている。忘れ物に気づいた弟が、兄が家を出てから6分後に分速150mで追いかけ始めた。弟は家を出てから何分後に兄に追いつくか。」
弟が家を出てからx分後に追いつくとして方程式を立てれば、150x=60(x+6)(弟の進んだ距離=兄の進んだ距離)でx=4という答えが出ます。
生徒がこうやって「正しい解き方」で答を出したあと、私は言います。
「方程式使わずに解いてみて。」
いわゆる「旅人算」という問題ですね。
方程式を使わずとも、算数の範囲で十分解けます。
中学入試の題材としてもお馴染みですね(もちろんこんなに易しくはないですが...)。
弟が家を出るまでに、兄は360m(60×6)先に進んでいます。弟と兄の分速の違いは90mですから、1分に90mずつ2人の距離が縮まります。従って、360mの差がゼロになるには360÷90で4分かかることになります。
ところが、ほとんどの中学生はxを使わないと解けません。
「えーっ?」と言ったまま固まってしまいます。
問題の本質がわかっていれば、図や表で少し考えれば難しくないと思うのですが...。
「方程式」って、中学の数学の象徴という感じがしませんか?
「算数」じゃなくて「数学」なんだぞ!という権威を示しているような...。
難しいことをしている、頭を使っているというイメージがあるように思います。
でも、方程式自体は実に機械的な作業なんですね。
初めに移項などのテクニックを覚えれば、あとは単純な計算だけです。
たし算の筆算と変わりません。
文章題では何をxとするか、どう式を組み立てるかなどについて、もちろん頭を使いますが、似たような問題を何問か解くうちにパターン化されてくる気がします。
少なくとも、算数で解くよりは考えていないように思うのです。
「AとB合わせて19mで、Aの方がBより3m長い。A、Bはそれぞれ何mか。」
この問題を見たとたん方程式を立てる人より、線分図を描いて(19-3)÷2でBの長さを出す人の方が、より多角的なものの見方、柔軟な発想ができると思います。
そういう人は、もちろん方程式を使っても解けるということです。
何も、方程式が無用だという暴論を展開しているわけではありません。
方程式はきちんと学ぶ必要があります。
方程式を使わないと解けない問題もたくさんありますから...。
でも逆に、方程式では解けない算数の問題もあるのです。
少なくとも中学までの段階では、xに頼らないで解く練習ももっと増やすべきではないでしょうか。
1つの文章題を方程式と算数式、両方で解いてみる...そんな試みを多く実践して、子どもたちの考え方の幅を広げたいと思っています。
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時間=距離÷速さ
懐かしいですね。
ちょっとしたイメージだけなんですが、すごく大切な基礎を持っているかいないかかな。
余談ですが、JFKは忘れてください。
今年は逆の方程式ですから....。
舐めすぎたらあかんいうたのにね!減俸確実!
時間と距離と速さの関係って、ホント苦手な子が多いんです。学校に遅刻しそうになれば自然に速度を上げるのに、それが算数になるとわからなくなってしまう...。もしかしたら遅刻しそうな経験もないのかも...。
Jはいつ復帰するのでしょうか?...福原は?
高速道路を気分よく飛ばしていた私、「目的地まであと100キロ」の表示を見つけ、メーターをチラチラ見ていた時、アッと思った。
時速100キロいうことは、このまま走れば1時間後に100キロ先の地点に着くんだ!!
かる~く脳震盪を起こしましたね。なんで気づかなかったんだろう、今まで。その後、どのように運転して行ったのか覚えていません。
点取り学習&パターン学習の恐ろしさ、身をもって体験いたしました。あーあ、中学生くらいに戻って、べんきょうし直したいよ。。。
『方程式を使わずに解いてみな!』って言うの大好きです!!
よく、大学の友人にもやってみます。
理系の大学生でも半分ができないんですよね・・・
さらにイジワルで、『マイナスもつかっちゃだめだよ。』って言ったりもします。
最近は小学生も算数のパターン学習で中学受験をしてるのでさらに恐いですが・・・
田舎に住んでいると、「速さ」を実感できるのはやはり車ですね。ついでに、時速72kmで走行中に窓から顔を出すと(運転者は×。周りに注意!)、台風なみの風速20mを体感できますよ。
やっぱりSHINさんも同じこと言ってるんですね。そう、マイナスを使うのも算数レベルを超えてしまうので御法度です。
最近、トップクラス高校を狙っている生徒たちに、頭を柔らかくする目的で中学入試の問題を解かせています。さらに、答に至る過程を文章で説明させると、結構苦労していますよ。
方程式を使わないで解くということは、パターン学習に染まっているかどうかのリトマス試験紙的な役割も果たしますね。こういった試みは直接に学校のテストの得点には結びつきませんが、将来学校で習っていないような難問に遭遇したときの底力や知恵を与えてくれていると思います。
本当にそうですね!実社会では方程式通り行かないことがたくさんあるはず...。そんなとき、ワンパターンの解法に頼るのではなく、いろいろな方面から考えて問題を解決していける逞しさを身につけてほしいです。解き方も答も複数あるはずですもんね!