学校で習ったことを使う問題だと多少難しくても解いてしまうのに、初めて目にするタイプの問題に接すると途端に「わかりませーん」を連発する子がいます。
考え方を説明すればするほどパニックになり「わからない」の繰り返し...。
中学では連立方程式で解く文章題を代数を使わずに考えるので、「仮定」の概念が小学生には難しいのかも知れません。
そのうち、例題の解き方だけをそっくりまねて、数値だけを置き換えて正解を出してきました。
意味をわかって解いているわけではないので、当然条件が少しでも変わると間違えます。
それでも足し算の部分を引き算に変えたりしてなんとか答を導き出しました。
でもね...できればいいというものではないのです。
と言うか、この問題、できるかどうかより考える過程の方が大切なのです。
本人にもそう話しましたが、今一納得していないようでした。
たぶん、彼女にとっては「できる」ことが最も価値のあることなのだと思います。
難しい問題を前にし、こうでもないああでもないとひたすら考える。
何日も考えて考えて、考え抜いて、ある日突然解き方がひらめく。
アルキメデスの例を出すまでもなく、立派な業績を残した人のエピソードにはそういう話が多いですね。
そこまで行かなくても、勉強でも仕事でも、似たような経験がある人は大勢いると思います。
私は特に図形問題にその類が多いですね...。
そういう考え抜く体験を、私は小学生のうちからもっと積んでほしいと思うのです。
習っていないから教えてもらう、少し考えてわからないとすぐ訊く...ではなく、自分の考え方を信じて、粘って粘って考えてほしい...。
それでもできなかったらそれでもいいんです。
初めから解き方を教えてもらって正解を出すよりずっと大切なものを、苦しんで考えている間に身につけているはずです。
別に勉強に限らず、クイズでもパズルでもなんでもいいから、とにかく考え抜く練習をしてほしい...。
テレビゲームやるのもいいけど、どうせなら「攻略本」に頼らず、できるだけ自力で試行錯誤してほしいものだと思っています。
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考え方を説明すればするほどパニックになり「わからない」の繰り返し...。
中学では連立方程式で解く文章題を代数を使わずに考えるので、「仮定」の概念が小学生には難しいのかも知れません。
そのうち、例題の解き方だけをそっくりまねて、数値だけを置き換えて正解を出してきました。
意味をわかって解いているわけではないので、当然条件が少しでも変わると間違えます。
それでも足し算の部分を引き算に変えたりしてなんとか答を導き出しました。
でもね...できればいいというものではないのです。
と言うか、この問題、できるかどうかより考える過程の方が大切なのです。
本人にもそう話しましたが、今一納得していないようでした。
たぶん、彼女にとっては「できる」ことが最も価値のあることなのだと思います。
難しい問題を前にし、こうでもないああでもないとひたすら考える。
何日も考えて考えて、考え抜いて、ある日突然解き方がひらめく。
アルキメデスの例を出すまでもなく、立派な業績を残した人のエピソードにはそういう話が多いですね。
そこまで行かなくても、勉強でも仕事でも、似たような経験がある人は大勢いると思います。
私は特に図形問題にその類が多いですね...。
そういう考え抜く体験を、私は小学生のうちからもっと積んでほしいと思うのです。
習っていないから教えてもらう、少し考えてわからないとすぐ訊く...ではなく、自分の考え方を信じて、粘って粘って考えてほしい...。
それでもできなかったらそれでもいいんです。
初めから解き方を教えてもらって正解を出すよりずっと大切なものを、苦しんで考えている間に身につけているはずです。
別に勉強に限らず、クイズでもパズルでもなんでもいいから、とにかく考え抜く練習をしてほしい...。
テレビゲームやるのもいいけど、どうせなら「攻略本」に頼らず、できるだけ自力で試行錯誤してほしいものだと思っています。
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小生が小学生の頃は、粘りすぎて先生にあきれかえられました(恥)。あまりやりすぎると、考え抜かず、考え止まりで、お恥ずかしい自分がいました。
しかし、それでも今は多分、まともな人間?と思います。
わかりました!?これは頑固という言葉を使うのが適正ですね。
色々なところであう、諸先生方は素晴らしい!
そうなんです。考え抜こうとしないんですよ。いつも生徒に言ってるのですが、僕の言葉は全然効力を発揮できていないようです。
今目の前の問題を、「考える」=「じっとよく見る」になってしまっているんです。でも、それじゃダメなんです。後に生きてこないと思うんです。
テツさんのコメントに、
>考え抜かず、考え止まり
ってありましたけど、全然恥じることではないと思います。考えようとしないことに比べると一千万倍くらい価値と思うんです。考えても考えても答えが出ない問題は世の中に多く存在しますが、だからといって考えなくてもいいというわけではありませんから。
桐さん、テツさん、ありがとうございました。
そもそも学校で考える練習をしていないのが気になります。いきなり問題の解き方を教えるから、解き方を教えてもらわなければ、子どもたちは解けないのが当たり前と思ってしまうのですね。考え方を習っていない子どもたちもかわいそうです。やはり小学校の教育からが、ポイントになると思います。
「頑固」がどんどん貴重な世の中になってきました。変に物わかりがよくなるより、「頑固じじい」になりたいものです。テツさん、その最右翼ですね!期待してます。
今日の記事を読ませて頂いて、自分自身の小学校時代を思い出しました。
算数の時間に、もし「考える過程が大事なんだよ。」って教えてくれる先生がいたら・・・。
私の人生少しは変わってたかもしれない!笑
遠い記憶なのですが、算数は最後の数字さえ合えばいいんだってずっと思っていたような。
で、お陰様で数学の楽しみを知らず未だに数字嫌いのままです。
あ~、損した気分。○十年前に桐先生に会っていれば!(シミジミ。)
「じっとよく見る」→「見て考える」ならいいのですが、たぶん「眺めている」状態だと思います。そういう子にいくら「考えろ」と言っても考えられないんですよね...。
ここを何とかしたいのですが...。
ついでに「女王の読み方」にも1票投じていってください!
そうですよね。やっぱり学校の影響が大きいですよね。実は「考える練習」については、この前からちょっと考えて(笑)いたんです。ここの部分を系統的な教材にできないか。既存の自作教材を少し改訂しようと思い、リスニング(国語)やパズルも組み込んだものを構想していたので、そこに「考える練習」「考え方入門」的なものも入れ込めないか模索中です。
あ、「女王の読み方」にもぜひ清き1票を!
結果が合っているかどうかばかりが注目されるために、間違うことを悪だと思って極端に怖れている子がいます。せっかくいい考え方してるのに自信が持てないんですよね。大学入試まで含めて、根本的に評価の仕方を変えることが第一だと思っています。
よろしければ「女王の読み方アンケート」にもご協力を!
私は趣味と実益を兼ねてパズルを作っているのですが、パズル(あるいは数学の問題)にも面白い問題とそうでない問題があります。問題を解くこと自体は何の役にも立たないのですが、それでもついつい答えを求めたくなるのが良い問題だとおもいますし、そういうものは時代を超えて語り継がれていますね。
でも子供が「何でこれをかんがえなくちゃならないの?」と疑問に思っても、それはそれでやはり素直な疑問だと思います。