或る、統合失調症患者の独り言

Version 23,31. Jeder findet Liebe im Ende. - 宇多田ヒカル(私的ドイツ語訳)

映画「告白」を観て

2011-09-30 23:30:07 | 日記
まぁ有名な映画だろうから、

みなさんも既に観ているかもしれないな、

とは思うんだけれど、ようやく見た私の感想としては、

雰囲気というかなんというか、全体的にも部分的にも、

「エヴァっぽい」、

という感じがした。

もちろん、キリスト教神秘主義、みたいなものは出てきませんよ。

明らかに、現代の中学校、が舞台ですし。

初めの方は、予告なんかでやっていたような感じで、

「ふむふむ」、

と見ていたのが、

「なんかちょっと違うかな?」、

と思い始め、

クライマックスへと向かう段においては、

もう見入ってしまっていましたね。

ラストを見て、

「をぉ」、

の一言。

問題提起もありながら、何か物悲しい感じ。

最近、私は途中放棄してしまう映画もあるんやけれども、

最後まで見てよかった、

と思えた映画でした。

言ってみるもんやねぇ

2011-09-30 23:17:02 | 日記
今、別のことを書こうと思っていたのだが、

ちょっと自分のブログを確認してみた。

するとどうだろう、

こんなブログでも、一応は影響力があるようだ。

以前私のブログに表示された広告に、

「精神分裂病」、

という文言があった。

それをちょっと取り上げたのであるが、

今、その広告には、

「統合失調症」、

とあった。

最初っからそう表記していてくれれば何の問題もなかったのにねぇ。

こうして私のブログの種にならないで済んだのに。

でもまぁ、こうして差別や偏見を生む、

「精神分裂病」、

という表記を、比較的短期間のうちに、

「統合失調症」、

と、日本における正式名称に変更してもらえたことには、好感を持つ。

見に行く気はしないが、今まで、

「精神分裂病」、

という単語を使っていた、覚えていた人たちには、

多分見に行ってもらっても、大丈夫だと思う。

もちろん私見ですよ。基本的にリンクをたどるのは、

「自己責任」、

ですから。

まぁこの一件で、ちょっと精神疾患について、

「実際はどうなのか?」、

と思っている方々には、いくらかは理解が得られたのではないだろうか。

映画「わたしを離さないで」を観て

2011-09-29 21:45:37 | 日記
素晴らしい作品だと思います。

ジャンル分けするとすれば、

「社会問題を題材にしたうえでのSF」、

と言えるかもしれません。

エンディングは…、

やっぱ何も書かない方がいいですよね。

感想だけ書くとすれば、

とにかく、悲しくて、切ないです。

主人公キャシーが、meine Liebsteに重なって仕方がありません。

優しくて、かわいくて、思いやりがあって、賢くて…、

まだまだ書き足りないぐらいです。

でも、meine Liebsteには、

キャシーのような、悲しい運命、を背負ってほしくはありませんし、

また、SFであるので、そのようなことはないでしょうが。

ちょっとネタバレになってしまうかもしれませんが、

この映画のように、やはり、

Meine Liebsteには、私より長生きをしてほしいです。

「おしどり夫婦」は「おしどり夫婦」ではない?

2011-09-27 19:32:26 | 日記
さてさて、ちょっと「学者先生」にお伺いしたいんですけれども。

「おしどり夫婦」ってよく言いますよね?

仲がいい夫婦の事、ですよね?

でもその生態を調べてみると、おしどりは毎年パートナーを替えるそうじゃありませんか。

ただ単に、人間が各個体を見分けられなかったり、

つがいの様子がとても仲が良いように見えるから、そう言うようになったんでしょうけど。

つまりは、人間に例えると、毎年結婚と離婚を繰り返している、という意味になりませんか?

まぁ生態がよく分からなかった時代は仕方がありません。でももうわかってしまったのです。

このような、「慣習」と「先入観」で作られた言葉はまだまだあるはずです。

そこで、お尋ねしたいのですが、「おしどり夫婦」=「仲の良いずっと連れ添っている夫婦」、

というのは「誤用」になりませんか?もう「慣用」ですか?

そういったことを考えると、今、「誤用」などと言われている表現も、

ある程度通ずれば、「慣用」になりませんか?

それとも、やはり、「日本語は乱れて」いますか?

さて、どういった見解をお持ちなのか、「学者先生」たちにお聴きしたいところですね。

原発推進派の皆様へ

2011-09-27 04:16:09 | 日記
原発推進派の皆様へ、お聞きしたいことが一つあります。

原発建設に賛成された皆様方は、皆様の土地に出来る原発から出る、いわゆる、

「核のゴミ」、つまりは使用済み核燃料の処理に対してまでの責任をお取りになる覚悟はございますでしょうか?

「事故が起きなければよい」、といった考えでは困ります。

事故が起きなくても、発電によって放射能を出すものの、皆様方の土地での再利用ができない物質が出てくるのです。

その再利用まで責任を持って行う施設、設備、を整えてはおられるのでしょうか。

他の処理場への丸投げでは困ります。

皆様方が推進、容認、された以上、最終処理まで皆様方の土地で行われてこそ、

「責任を取った」、

ということになるのです。いいとこ取りだけされていては、他の処分場の土地の方々に、

おんぶにだっこ、していることになります。

さて、ここまでお読み頂きありがとうございます。

原発推進派の皆様、皆様の土地に原発が出来ることを容認された皆様、

お覚悟はお出来になっておられますか?

Meine Liebsteに捧ぐ

2011-09-25 12:54:37 | 日記
今まで確かに恋愛をしてこなかったわけではない。

でも、昨夜のあの心を揺り動かす、

純粋な衝動というか、情熱といったものはいったいなんなんだろう?

これこそ、「初恋」、なのではないだろうか。

中高生のころ、そこまでの想いになることはなかった。

今までの恋愛でも、そこまでにはならなかった。

昨日はもう、Tちゃんのことで、胸がいっぱいになってしまった。

心も体も、もうどうすればいいのか。

情欲ではなく、純粋恋愛感情の高まり。

だから本当に、私にとっては、Tちゃんは、「唯一の人」、なのだ。

そういう事で、以後、「Tちゃん」という表記から、

「Meine Liebste」に変更する。

以前表現に使った言葉でもあるし、まさに、私にとって「liebst」、であるので。

自己表現の是非について

2011-09-23 23:29:28 | 日記
前エントリの末尾の独文によれば、

このブログはどうなのか、

という問題がある。

ただ、Tちゃんと関わらない、関われない、と言った状況下においては、

自分を出すことに於いて、やぶさかではない。

ここもTちゃんと関連している、と言えるかもしれないが、

自分の表現を行う場、であることに変わりはない。

Tちゃんが、「このブログはやめて」、と言わない限り、このブログは今までどおりである。

これでいいのだ

2011-09-23 23:10:52 | 日記
書くのが遅くなってしまったが、私自身は既に、「YUI.net」でのチケット販売に落選したことを、

18時の時点で確認し終わっている。

これでいいのだ。

ある意味「賭け」のようなものであったのだが、これで踏ん切りがつく。

先の独文エントリを全うすることができる。

「特定の有名人の(日本語における)ファンにはならない」、ということ。

ライブには行かないし、テレビ・ラジオでも、その番組が面白い、惹かれる、

というものでなければ、見ないし、聴かない。ただ、「惰性でつけっぱなし」、という事は例外。

勿論、Tちゃんと行くことも例外。「自分からは行かない」ということ。

Alles ist mir für T-chan.

Aber ich fessele sie nicht.

Ihr Glück ist mein Glück.

ドラえもん電車

2011-09-23 06:38:01 | 日記
「みんなの経済新聞ネットワーク 9月22日(木)17時38分配信」の、

『小田急線「藤子・F・不二雄」ラッピング電車、都条例抵触で運行終了へ /東京』を読んで、

「馬鹿じゃないのか?」、と思った。

確かに条例違反かも知れないが、それぐらいは特例措置が取れそうなもんである。

まさに「お役所仕事」。

行政トップの石原都知事なら何とかできそうなものである。

しかも、「一年限り」の予定だった、ということで、

本当に、「特例」、とできそうではないか。

知事ではどうにもできないのか?都議会が認めないのか?

どっちか、あるいはどちらも、カチコチの石頭なんだな、たぶん。

改めましてごあいさつ

2011-09-22 01:14:29 | 日記
確かどこかのエントリで、「矛盾」について書いたと思うんだけど、

どこに書いたのかわからなくなってしまった。

まぁこんだけダラダラと書いて、エントリタイトルも内容を反映してなかったりするようなこのブログでは、

探すのは大変かもしれない。自分でも。

でも確か「矛盾」については書いたような気がする。

で、ちょっと一言(では済まないんだけど)。

画面左側をスクロールしていくと、「Ich schreibe nur meine Meinung. 反論無視。」とある。

つまりまぁ好き勝手やってる、ってことなんだけど。

「首尾一貫していない」というところを突いてくる人がいるだろうと思って書いているんだけど、

あたりまえやん。

「nur meine Meinung」ですよ?

書いたことがあるかもしれないけれど、私の立場は、

「旗色不鮮明」なわけです。

だから、イデオロギーでも右に寄ったり、左に寄ったり、してるわけです。

あと、このブログは、タイトル自体も、サイトとしてのバージョンも、ちょこちょこ変えております。

今は「Version 11.01」です。頭に書いてあるからわかりますよね?

首尾一貫していなくて当たり前でしょ?

だって、自分の気分次第でブログタイトルもバージョンも変わっていってるんだし、

今なんか、いわゆる、「タブーを気にしない」というのがブログタイトルの下の文でわかるでしょ?

「学者先生」たちからすれば、唾棄すべき、あるいは黙殺すべきもの、かもしれないけれど、

一応こうして生きている人間の、「その時」の思いや考えをずらずらっと書いているわけで、

「論理」に対しても、正当的であったり、自己流であったりするのも、あたりまえのこと。

「学者先生」たちにとっては、「論理的であること」というのが至上命題なのかもね。

私にゃそんなもんくそくらえなので。

ま、これからもボチボチやっていきますんで、読んでくださっている方、ありがとうございます。

なんかおかしい奴の変な文章で、気に入っていただける方もいらっしゃるんじゃないかと思いまして。

これからもよろしくお願いいたします。

もちろん、スタンスを変えるつもりは毛頭ございませんので。

大阪VS東京

2011-09-22 00:06:32 | 日記
「大阪」を前に持ってきてるところがまた、意図的でしょ?

大阪は東京に対してライバル心を持っているんやね。

「こっちは上方だ」なんて考えもあると思う(実際には京都の方がそうなんやろうけど)。

でも東京は大阪なんて眼中にないんやね。

ただ、東京一極集中の弊害は、大分前からあるよね。

大阪に本社があった企業も東京に移転していくし、

大阪の地盤沈下はかなりなもんやと思う。

この「東京至上主義」が明らかになったことがあったことは知っているかな?

国鉄民営化。JR東日本とJR西日本と分かれたわけで。

これが関西にとっては悲願の達成にもつながって行ったんよね。

国鉄時代は東京、首都圏の整備にばかり着手していた。

それがJRになった途端、関西の鉄道構想が前進していったんやね。

東西線。旧片町線と福知山線がつながって、大分便利になったんよね。

おおさか東線。今まで放射線状にしか走ってなかった路線を、環状線の外側でも同心円状に伸ばそうとする第一歩。

あと私鉄になるけれども、

阪神の旧西大阪線の延伸。これで阪神と近鉄が直結して、乗り入れることができるようになった。

大阪モノレールの大日への延伸。これも同心円状路線の一端。

京阪の中之島線開業。これで中之島が少しは交通の便が良くなった。

地下鉄の今里線開業。これも同心円状路線の一つ。

思いつくものを挙げてみただけでこんなにも関西の鉄道事情が、

東京、首都圏への偏った鉄道整備しか眼中になかったところから、大分改善された。

ただ、未だにいろんな分野で東京一極集中は続けられていて、

「首都」と確定されたことなんてないのに、「首都」面をしているんやね。

特に京都の人なんてそう思っているんではないかな。

京都で、「東京から来ました」、と言うと、

「これはまぁ田舎からようお越しくだはりました」、何てゆう人もいるしね。

今、東京に行くことを、「上京」と言うけれども、

未だ、「あずま下り」という感覚を持っている人もいるし。

確かに関東平野という日本最大の平野の上に成り立っていることだから、

大規模化するのは仕方がないかもしれないけどね。

久々に紳助はんの事をちょっと

2011-09-21 18:28:06 | 日記
「(SPA! 2011年8月24日掲載) 2011年8月26日(金)配信」の、

『引退会見直前に駆け抜けた「紳助逮捕」噂の舞台裏』、

を読んで。

どんだけ裏でマイナスがあろうが、カリスマであったことに変わりはないはず。

実際、あのヒトラーも、一度武力蜂起して、逮捕されている。

しかし、シャバに出ると、今度は「ワイマール憲法下」での「正当な権力掌握」、

という道をとった。

そして、そのカリスマ性が発揮され、全ドイツはヒトラー及びNSDAP(いわゆる「ナチ党」のこと)のものとなる。

「偉人」とは言えないかもしれないが、そのカリスマ性を否定はできないだろう。

また、いくばくかの「プラス」の部分も否定できないだろう。

ヒトラーに比べれば、紳助はんなんて、それほど悪逆非道であったわけではなく、

私としては、「紳助擁護派」から何があろうと、一歩たりとも引かない。

 (追記:ヒトラーを賛美はしていないが、日本では「ヒトラー本」がよく売れるという。この意味も考えてほしい。)