私にはまだまだ執着があり、なかなか我執からは抜け出せないようである。
こうしてブログに書くのも、煩悩の表れであるとは分かっているが、
「受想行識」が思うようにはいかず、いわゆる、「苦」の状態にある。
だが、若(バカ)者たちは、もっと深刻な、気付きもしない、
指摘もされない、「精神的な病」という「苦」を抱えたまま、
その場限りに、享楽的に、自堕落に過ごしているようである。
第六章読了に於いて、少しは、そういった相手への、
「憐み」、
を抱くようにはなったが。
彼らが歳を重ねたときに気付くのか、死ぬまで今のままなのかはわからないが。
いつものように、騒いでいるものたちがいたが、やはり、
「私への攻撃」、
が、
「的外れ」、
であることにも気づいていないのであろう。
このブログも始めて何年か経つが、流石に全てを読んでいる人は少ないであろう。
だからこその、
「的外れ」、
な言葉となって、私に、彼らへの、
「憐み」、
を感じさせているのだろう。
とりあえず、「はっきり聞こえていないし、聞こえた言葉にも、大して影響は受けていない」、
のではあるが、一応、以前に書いたことの繰り返しになるが、
若(バカ)者たちへ、「最新のことにしか飛びつかない」、という特性に対して、
ここに記しておこう、と思う。
「エイリアン」という言葉を発していた。
以前書いたように、アメリカでは昔、外国人入管者の場所に、
「Alien(エイリアン)」、
と書かれていた。
これは、原語では、法律用語など、かたい使い方では、
「外国の」とか、「外国人」を表すのである。
そこからの派生として、
「地球外の」とか、「宇宙人」という意味に、
一般的には使われるようになった。
それによって、アメリカの入管でも、「Alien」という語は使わなくなった、
と聞く。
このような基礎知識もないまま、日本語となってしまった、
「外来語」を使っているのである。
だから逆に、私は、若(バカ)者たちを、
「バカ?」、
と直接的に思ったり、
「憐れな者たち」、
と、少しは「慈悲」に近く感ずるようになった。
やはり日本の教育は、「レベルが低い」のであろうか。
情操教育自体がなっていないのだと思う。
こんな者たちがそのまま育てば、日本は破滅するだろう。
私が言うのもなんだが、やはり、「道徳」や「修身」と言った授業を、
「ちゃんとそういう者たちの心の中に育てさせる」、
ということが、今、必要なのだろう。
「最新のことにしか興味がない」という若(バカ)者たちは、
インド哲学、と言える「仏教」のことをほとんど知らないのだろうし、
昔のように、習いもしてないか、身に修めることすらしていないのだろう。
まぁ、このような者たちの事に執着するのも、どんどんと減っていくだろう。
「若(バカ)者」と言われたくなければ、ちゃんと自分の身を律しなさい。
「言われても構わん」というのなら、勝手にアウトローになるか、
「こころが欠けた」大人になって、あとで苦労すればよい。
既に彼らは、自分で気が付かない、「苦」を内包しているのだから。
こうしてブログに書くのも、煩悩の表れであるとは分かっているが、
「受想行識」が思うようにはいかず、いわゆる、「苦」の状態にある。
だが、若(バカ)者たちは、もっと深刻な、気付きもしない、
指摘もされない、「精神的な病」という「苦」を抱えたまま、
その場限りに、享楽的に、自堕落に過ごしているようである。
第六章読了に於いて、少しは、そういった相手への、
「憐み」、
を抱くようにはなったが。
彼らが歳を重ねたときに気付くのか、死ぬまで今のままなのかはわからないが。
いつものように、騒いでいるものたちがいたが、やはり、
「私への攻撃」、
が、
「的外れ」、
であることにも気づいていないのであろう。
このブログも始めて何年か経つが、流石に全てを読んでいる人は少ないであろう。
だからこその、
「的外れ」、
な言葉となって、私に、彼らへの、
「憐み」、
を感じさせているのだろう。
とりあえず、「はっきり聞こえていないし、聞こえた言葉にも、大して影響は受けていない」、
のではあるが、一応、以前に書いたことの繰り返しになるが、
若(バカ)者たちへ、「最新のことにしか飛びつかない」、という特性に対して、
ここに記しておこう、と思う。
「エイリアン」という言葉を発していた。
以前書いたように、アメリカでは昔、外国人入管者の場所に、
「Alien(エイリアン)」、
と書かれていた。
これは、原語では、法律用語など、かたい使い方では、
「外国の」とか、「外国人」を表すのである。
そこからの派生として、
「地球外の」とか、「宇宙人」という意味に、
一般的には使われるようになった。
それによって、アメリカの入管でも、「Alien」という語は使わなくなった、
と聞く。
このような基礎知識もないまま、日本語となってしまった、
「外来語」を使っているのである。
だから逆に、私は、若(バカ)者たちを、
「バカ?」、
と直接的に思ったり、
「憐れな者たち」、
と、少しは「慈悲」に近く感ずるようになった。
やはり日本の教育は、「レベルが低い」のであろうか。
情操教育自体がなっていないのだと思う。
こんな者たちがそのまま育てば、日本は破滅するだろう。
私が言うのもなんだが、やはり、「道徳」や「修身」と言った授業を、
「ちゃんとそういう者たちの心の中に育てさせる」、
ということが、今、必要なのだろう。
「最新のことにしか興味がない」という若(バカ)者たちは、
インド哲学、と言える「仏教」のことをほとんど知らないのだろうし、
昔のように、習いもしてないか、身に修めることすらしていないのだろう。
まぁ、このような者たちの事に執着するのも、どんどんと減っていくだろう。
「若(バカ)者」と言われたくなければ、ちゃんと自分の身を律しなさい。
「言われても構わん」というのなら、勝手にアウトローになるか、
「こころが欠けた」大人になって、あとで苦労すればよい。
既に彼らは、自分で気が付かない、「苦」を内包しているのだから。