或る、統合失調症患者の独り言

Version 23,31. Jeder findet Liebe im Ende. - 宇多田ヒカル(私的ドイツ語訳)

若(バカ)者たち

2013-11-03 23:39:50 | 日記
私にはまだまだ執着があり、なかなか我執からは抜け出せないようである。

こうしてブログに書くのも、煩悩の表れであるとは分かっているが、

「受想行識」が思うようにはいかず、いわゆる、「苦」の状態にある。

だが、若(バカ)者たちは、もっと深刻な、気付きもしない、

指摘もされない、「精神的な病」という「苦」を抱えたまま、

その場限りに、享楽的に、自堕落に過ごしているようである。


第六章読了に於いて、少しは、そういった相手への、

「憐み」、

を抱くようにはなったが。

彼らが歳を重ねたときに気付くのか、死ぬまで今のままなのかはわからないが。


いつものように、騒いでいるものたちがいたが、やはり、

「私への攻撃」、

が、

「的外れ」、

であることにも気づいていないのであろう。


このブログも始めて何年か経つが、流石に全てを読んでいる人は少ないであろう。

だからこその、

「的外れ」、

な言葉となって、私に、彼らへの、

「憐み」、

を感じさせているのだろう。


とりあえず、「はっきり聞こえていないし、聞こえた言葉にも、大して影響は受けていない」、

のではあるが、一応、以前に書いたことの繰り返しになるが、

若(バカ)者たちへ、「最新のことにしか飛びつかない」、という特性に対して、

ここに記しておこう、と思う。


「エイリアン」という言葉を発していた。

以前書いたように、アメリカでは昔、外国人入管者の場所に、

「Alien(エイリアン)」、

と書かれていた。

これは、原語では、法律用語など、かたい使い方では、

「外国の」とか、「外国人」を表すのである。

そこからの派生として、

「地球外の」とか、「宇宙人」という意味に、

一般的には使われるようになった。

それによって、アメリカの入管でも、「Alien」という語は使わなくなった、

と聞く。

このような基礎知識もないまま、日本語となってしまった、

「外来語」を使っているのである。

だから逆に、私は、若(バカ)者たちを、

「バカ?」、

と直接的に思ったり、

「憐れな者たち」、

と、少しは「慈悲」に近く感ずるようになった。


やはり日本の教育は、「レベルが低い」のであろうか。

情操教育自体がなっていないのだと思う。

こんな者たちがそのまま育てば、日本は破滅するだろう。


私が言うのもなんだが、やはり、「道徳」や「修身」と言った授業を、

「ちゃんとそういう者たちの心の中に育てさせる」、

ということが、今、必要なのだろう。


「最新のことにしか興味がない」という若(バカ)者たちは、

インド哲学、と言える「仏教」のことをほとんど知らないのだろうし、

昔のように、習いもしてないか、身に修めることすらしていないのだろう。


まぁ、このような者たちの事に執着するのも、どんどんと減っていくだろう。

「若(バカ)者」と言われたくなければ、ちゃんと自分の身を律しなさい。

「言われても構わん」というのなら、勝手にアウトローになるか、

「こころが欠けた」大人になって、あとで苦労すればよい。

既に彼らは、自分で気が付かない、「苦」を内包しているのだから。