或る、統合失調症患者の独り言

Version 23,31. Jeder findet Liebe im Ende. - 宇多田ヒカル(私的ドイツ語訳)

「一般的」な「一般論」

2013-05-30 16:15:29 | 日記
日常生活で、「一般論」「一般的に」、と言った場合、

それはただの、「市民感情」なだけの場合が多いように思える。

そして、それを「是」として、市民の声を吸い上げるのは、

悪い意味での、「ポピュリズム」ではないだろうか。

つまりは、「大衆迎合」というわけだが。

本当に、それでいいのだろうか?

私には少し疑問符が付くように思えて仕方がない。

中日球団側が悪い

2013-05-28 05:56:12 | 日記
 【中日】テスト生コロメは不採用

 日刊スポーツ 5月27日(月)18時36分配信


を読んで。


これは明らかに、中日の球団側が、

「最初っから採用するつもりなどなかった」に過ぎない、

不当な行為だと言える。


監督は、「1、2イニングなら抑えてくれそう」、

と、どちらかといえば、好感触のコメントをしていた。

それを、編成担当者が、「総合的な判断」で、

「不採用」との判断を下した。


この背景には、昨年、コロメが、メキシコのリーグで、

禁止薬物を使い、出場停止処分を受けていたことが、

大いに関係しているのだという。

しかし、「それはちょっとおかしくはないか?」、

と思わないだろうか。

つまり、「禁止薬物を使用」し、「出場停止」になったことは、

テスト生として入る前からわかっていたはず。

監督の評価も無視し、過去の事をほじくり返して、

一応はテスト生として受け入れ、「入団できるかもしれませんよ」、

という態度をとっておきながら、腹の中では、

「まぁ形だけはそうしといてやるか」、とでも思っていたのだろう。

まさに、悪い形での、「日本的」な態度である。


実際には、覚醒剤などの違法薬物検査もしており、

丁度当日に、「問題なし」との結果が届いたという。


ホンマに、悪い例としての、「日本的」な人たちであり、行動パターンだな。

こうして書いてもらうことが目的?

2013-05-18 18:23:51 | 日記
キンチョーのCM、「コバエ」を退治するシリーズ。

「うっとうしいコバエ」、をカブトムシやクワガタが一喝する。


キンチョーのサイトでは、「みどころ」として、

「コバエさん達の見事なシャカシャカ具合を是非御覧ください。
 自分たちのうっとうしさを気付かされたコバエさんたち、これからはどうするんでしょうね?
 そういえば自分のうっとうしさに気づいてない人、みなさんの周りにもいませんか?」、

とある。

まぁ多分私なんかは「うっとうしい」だろうねぇ。少なくともウェブ上では。


確かに面白い。色々と工夫を凝らしたサイトでもある。

でも、「うっとうしいコバエ」を引き寄せた原因は?

現実世界に戻れば、単に不潔にしていたり、コバエの好きそうなものを、

ほったらかしにしていたからではないのか?

結局、購買者の自己責任ではないのか?

それを、全てコバエのせいにして、

「うっとうしい」、やらなんやら言ったところで、

何の説得力もない。


私が「うっとうしい」と断じられたとしても、

「じゃあ、あなた方に何の落ち度もありませんか?」、

と答えるだろう。


どうだ!、「うっとうしい」だろう!!!


(補足)

実は上述した文章だけでは、片手落ちなのである。

「科学的」、とまでは言えなくとも、これでは、

「一方的な視点」、でしか書かれていないからである。

本当は、「他の視点」、というものも必要である。

例えば、「全く逆の視点」。

つまり、私が、「うっとうしい」と思う側で、

周りが、「コバエ」、という視点である。

元々、その視点でのエントリも書こうと思っていたのだが、

客観的に「暇」に見えるだろう私も、

そうは思えなくても、実際には忙しいのである。

だから、「補足」、として付け加えておくだけにとどめる。

「どんな文章が書かれるはずだったのか」、

というのを、読む側の人が考えるのもまた、

一興だと思う。

今回の橋下氏の発言について

2013-05-18 09:20:55 | 日記
まず、私の情報源が、全て、テレビとウェブであることを断っておく。


今までの私の書き込みを読んだことがある人ならば、

「お、これは真っ先に、あいつが書きよるな」、

と思ったであろう。

しかし、ここまでちょっと静観しておいた。

この態度は変わらない。

ただ、そこからの持論展開、というものをしておこう、

というきっかけが、畑違いの、

昨日の「ミュージックステーション」内での発言にあったので、

こうして書いている。


今までにも書いてきたように、善悪二元論、勧善懲悪、といったものは、

わかりやすいから、悪用されやすい。あるいは、意図的に使われやすい。

そういう性質のものなので、子供への教育にも、よく考えず、安易に使われる。

しかし、本当にその感覚のまま大人になっては、ちょっと不都合なのではないか、

ということが、「Mステ」でのある子供の発言から、感じられた。


それは、昔の音楽を子供たちに聴かせて、感想を聞く、というものなのだが、

確かに子供は多感であり、発想力も大人より上ではないか、と思わされることがある。

しかし、昨日は、「悪」という言葉を使った子供がいた。

明らかに上述のような教育によって、大人にコントロールされてしまっているともいえる。

そのような子供たちや、善悪二元論や勧善懲悪を柱にした人格形成がなされ、

未だに抜けきれずに大人になってしまった人たちにとって、

今回の、「橋本発言」はどう響いたであろうか? また、橋下氏へのイメージ、理解はどうなったであろうか?


色々あったが、今までは、橋下氏と言えば、

「改革者」、

というイメージだったのではないだろうか。そしてそれは、単純に、

イコール、「善」、

とされてきたのではないだろうか。

そこにきて、今回の発言。ここでいきなり逆転してしまったのではないだろうか。

「あんな発言をする奴は、『悪』だ!」、

と。

善悪二元論に立てば、「善と悪」しかないから、いままで「善」と捉えていたものが、

「そうではなかった」となれば、当然、

「悪」、

となるだろう。そして、勧善懲悪の論理に従い、

「橋下氏は懲らしめるべき対象」、

として理解されたのではないだろうか。


今回は、橋下氏への個人攻撃というものを(私としては珍しく)、しないでおくが、

やはり、善悪二元論、勧善懲悪、といったものは、ただの方便、であって、

現在のアメリカによるイスラム諸国理解のように、

ただの政治利用のためだけに、国際社会に「自らが善」と主張したいがためだけに、

使用されるような、どちらかと言えば、「レベルが低い」、「安易に使用できる割に共感を得やすい」、

単なる「大人の勝手な手段」、に過ぎないことを、証明したのではないだろうか。

「大阪市交通局民営化」についてもう少し

2013-05-10 07:29:35 | 日記
橋下大阪市長は、交通局民営化をよく、国鉄民営化に重ねたがる。

しかし、本当に「同質」のものとしての論拠となり得るのか?


確かに、国鉄は赤字路線を抱え、あえいでいた。

ここは同じように映る。

しかし、国鉄の場合は、赤字「鉄道」路線であって、

市交通局の場合は、赤字「バス」路線が問題となっているのである。

そして、既にバス路線は、見直しや廃線が進められている。

これに対して、もう、「市民サービスの低下」が語られてもいる。


橋下大阪市長は、最初からそうだったのか、よくする「修正」を行ったのか、

地下鉄とバスは、切り離して考える、という立場に立っている。

そこにもまた問題がある。


国鉄の民営化に於いては、赤字「鉄道」路線の廃線、「バス」路線への転換、

「第三セクター」化、などを行って、もちろん、「民営企業」としての、

企業努力などもあったが、JR、として復活した。


もし大阪市交通局が、「地下鉄企業」と「バス企業」に分けられた場合、

赤字「地下鉄」路線の、「バス」路線化、というものがしにくくなる。

また、「地下鉄」を廃線にした場合、そのまま放っておくのか、

ありえないだろうが、埋め直してしまうのか、ということにもなってくる。

赤字「バス」路線は、廃線されてしまえば、もう何もなくなってしまう。

「民営企業になったのだから、市民サービスの低下には当たらない」、

との「言い訳」、を用意しているのだろうか?


地下鉄事業は、御堂筋線などの採算路線によって、

バス事業の、赤字の穴埋めをしている。

それなのに橋下大阪市長は、「儲けが出ているところは民営化」、

などと言う訳のわからない事を言っている。

市交通局は、「地下鉄」と「バス」を一体として存在している。

相補関係にある、と言える。

多くのバス路線が重複していたところに地下鉄を走らせ、

バス路線を減らしたり、無くしたりして、今までやってきた。

「地下鉄」、「バス」と、分けて考えること自体が間違っているのである。

実際、JRは、「鉄道」路線だけではなく、「バス」路線も持っている。

だから、代替交通機関を準備できたし、民営化の成功があった、とも言える。

基本的にJRは「地上」鉄道であって、廃線された場合も、

そののちは、別途利用するか、バス路線用の道路として利用することが、可能であった。

地下鉄にそんなことができるか? まず廃線などは考えていないだろうが。


まだまだ問題点は浮かんでくるが、とりあえずこのあたりで、

橋下大阪市長の「出発点自体が間違っていた」ことを指摘して、

終えておくことにする。

「イエスマン交通局長」を擁護する橋下大阪市長

2013-05-09 19:34:52 | 日記
橋下「日本維新の会共同代表」、としては、多分全国的に、

「大阪都構想実現第一」、として映るだろう。

しかし、橋下「大阪市長」、としては、大阪市民には、

「大阪市交通局の民営化第一」、としても認識されている、

と言えるだろう。

そこで、また問題が持ち上がった。


件の、「市職員刺青調査」は、物議を醸した。

それに反発をした市交通局のバス運転手がいた。

彼は処分を受けた。

それに対して、市交通局局長を裁判に訴えた。

すると局長が、「取引」と言えるようなことをしようとした。

「上司を訴える部下、そんなものがあっていいのか。

 考え直して、訴えを取り下げろ」、と言い、

バス運転手が従わない旨、言い返すと、

「それなら、ちょっと頭を冷やして、本局で仕事しろ」、と言った。

バス運転手は、「私は運転手です。本局に仕事がありますか?」、と問い返すと、

「考える」、と言った。

その後、バス運転手は、本局で、パソコン操作やコピー作業以外、

自分に与えられた机に座っているだけ、だという。

そして、この事をまた、彼は裁判に訴えたのである。

「バスの運転業務に戻してほしい」、と。


どう考えても、運転手のほうが、正しいとしか思えない。

これに対して、局長は、「心の乱れた人に運転をさせて、もし、事故でも起きれば、

市民から責任を問われる。『なぜ運転をさせたのか』、と」、というように答えている。

また、橋下大阪市長は、この局長の行為に対して、

「運転手の訴訟は妨げられないが、配置転換は、人事権の行使の範囲内だ」、と答えている。

本気か?

バスの運転手、という技術職の人を、簡単な事務だけ与えるという、

いわゆる、「窓際族」化させることが、本当に、「正当な人事権の行使」か?

明らかに、「報復人事」としか思えないではないか。


なぜ橋下大阪市長は、市交通局局長を擁護するのか。

それは、冒頭で述べたように、「大阪市交通局の民営化」が、大阪市に於いては、

肝煎り、だからである。これが実現できないと、また何か言われないかとおびえているのではないか?

さらに、この市交通局局長は、橋下大阪市長が直々に引っ張ってきた、

私鉄である京福電鉄の副社長なのである。

つまりは、「この人事自体が失敗」だと指摘されたくないのである。


この「報復人事」が正当なら、確かに、このような人物を、「市交通局局長」に引っ張ってきた、

「橋下大阪市長の人事」、も正当だろう。つまりは、自己正当化をしたいだけなのである。


「民主主義にのっとって、安倍氏を首相指名する」と言っていた独裁者が、

暴走老人によって、一夜にして、「私の認識が間違っていた」と訂正した、

という「前科」もある。


さて、今回はこのままで終わるのだろうか? また、「私の認識が間違っていた」というのだろうか?

橋下大阪市長よ、どこへ行く?

ある意味、統計の面白さ、かもしれない

2013-05-07 13:26:33 | 日記
これまた批判のようで、あまり書きたくはないのだが、

一般視聴者から見ても、明らかに、

「おかしい」、

と思えるような、統計的手法が使われたので、

ちょっと書いておく。


その番組は、社会的弱者の社会参画、として、

就労状況などをベースに、皆平等に就労できるような社会でなければならない、

ということを訴えているものである。

確かにそれは正しいと思う。

しかし、ちょっとおかしい手法でデータを出してきたので、

日本にはまだまだ男女差別がある、

というテーマが、かすんでしまうのではないか、

というおそれがあった。


まず、各国の女性の雇用比率が、パーセントを単位として棒グラフで出た。

基本的に、パーセント、が単位の場合、円グラフか折れ線グラフで出すのが普通である。

でもまあそこまでは、まだ許容範囲、と言えるかもしれない。

問題は、その後にあった。

今度は、その各国の女性の雇用比率にくっつけて、

女性の管理職比率を出してきた。

もちろん感覚的に、雇用比率より、管理職比率の方が下回るだろう、

ということは、想像に難くない。

しかし、いくつかの国の棒グラフは、

最初に出た雇用比率よりも、管理職比率のほうが、高くなっていた。

これは一体どういうことだ?

雇われている比率より、管理職に就いている比率の方が高いなんて。

私の方が間違っているのか?

などと思った。

しかしすぐに対処できた。

ほとんど「○○しながら」、で見ていたので、実際は違うのかもしれないが、

これは、単純に、母数が違うのではないか、と。

雇用比率は、多分労働人口を母数としているだろう。

そして、管理職比率は、「被雇用者」を母数にしているのではないか、と。

もしそうなら、同じグラフで、しかも一般的ではないパーセント棒グラフで、

母数が違うものをくっつけて示す、という誤解を招きやすい、というか、

誤解させて、危機感をあおる、日本の後進性を示す、というミスリードをしていることになる。

番組内容やその方向性は立派なのに、裏付けるデータが、故意にせよただのミスにせよ、

自分たちに都合の良い形で出されたことは、

非常に残念である。

夜中に叫んでいるやつ

2013-05-07 00:43:03 | 日記
まず前提として、私を取り巻く環境から類推すれば、

私の個人情報は、かなり知れ渡っていると考えられる。

そして、本当のガキ、思春期の奴ら、大人になりきれていない奴ら、

ガキのための物語として、わかりやすくするための、

善悪二元論、勧善懲悪、を未だに信奉している奴ら、

「アウトサイダー」と言えばかっこいいと思うかもしれないが、

既に子供の頃に「落ちこぼれ」「落伍者」となってしまい、

そういう奴らが屯し、仲間内で、「おぉ、おまえやるやん」、

と他人から自己を承認をされたい、ただの淋しがりや、

といった輩たちが起こす、馬鹿げた言動、

というものが、私の周囲ではよく起こる。

さっきも、夜中だというのに、

「クズー、クズー、どクズー」、と叫んでいる奴がいた。

こういう手合いは、基本的に、こういう風に取り上げてもらって、

それで自己満してしまう、精神的に未発達な奴であると言える。

そして、仲間内で、「成功」などと思い、言い合うのである。

基本的に、こういう奴らには、「リアクションをしないこと」、

で収まることがある。

ただ、昔からの問題である、「いじめ」、といったものに参画する奴たちの病理として、

リアクションをしなければ、「こいつには何をしても大丈夫」、と考え、

どんどんとエスカレートしていくことが多い。

逆に、何らかのリアクションを起こせば、それを面白がって、

繰り返したり、エスカレートしていく。

じゃあ結局解決策はないのか?と言われれば、

「私は、そんなつまらん奴らの相手をする必要性は、全くない」、

との考えから、基本的に、リアクションを起こさない。

そうすると、エスカレートの可能性が出てくるが、

それさえも、何の反応も示さなければ良いだけの話。

最終的には、そういう奴たちが、暴行、傷害、名誉毀損、侮辱、殺人などといった、

刑事罰を受ける事件を起こすだけの話。

「少年院帰りがかっこいい」、とか、「俺には前科があるんや」、とか、

一般生活を送る人たちから見れば、「そんなことで威張ってどうする」、

「逆にみっともない」、といった印象を受けるだけ。

最近の刑事罰の傾向を見ていると、「矯正的」なものから、

見せしめや、被害者及び関係者の感情的なものを汲み取った、

「とにかく重罰を」、というものに変わってきているように感じる。

まぁ私に何らかの危害を加えようとするのならば、

「逆にお前たちが『勧善懲悪』の、『悪』として裁かれる」、

ということを、覚悟しておいてもらおう。

上述のように、仲間内では賞賛されても、一般社会に於いては、

「みっともない」とか、「ちゃんと矯正されたのか?」とか、

「こいつは何をやるかわからん」とか、単純に、怖がられたり、

結局、再犯や、その手のプロへと進む道しかなかったりする。

まぁ未熟か馬鹿ですわ。そういう奴らは。

5月は、「ひねくれ」ている?

2013-05-05 08:01:38 | 日記
まぁこういうエントリを書いていると、

「結局何もかわっとらんがな」、

と言われそうだけど、日本人的な、

「判官びいき」精神の発露だと思って、

「少しは」変わったかもね、

と思ってくださいな。


テレビの気象情報に於いて、

今年の5月(とは言ってもまだ5日やけど)が、

あまり温度が上がってこない、

ということに対して、

解説をしたはった。


要は、「偏西風の蛇行」で、

寒気が日本上空に流れ込みやすくなる、

というだけの話なんやけど、

それについて、

この50年間の温度変化のグラフと、

最近10年間の温度変化のグラフを見比べて、

最近10年の方は、50年間の方に対して、

上げ下げがあって、蛇行している、

と指し示したわけやね。

そこで、答えとして、

「5月はひねくれてる」、

という表現が出たわけ。


擬人法での5月批判という、

それ自体、「人間が自然にいちゃもんつけてるだけちゃうん?」、

という印象を受けたんやけど、

それだけではなくて、

その手法自体が、元々、

「恣意的」、

と言われても仕方がないと思えるんよね。


大体、50年間のデータをまとめれば、かなり直線的な、

上げ調子のグラフになるのは、わからんことはない。

それに対して、最近10年間のデータのグラフを対象とする、

というのは、5分の1のデータで、同じ土俵の上での比較をしようとしているわけやね。

ちょっと意図的、でしょ?

それで、

「5月はひねくれてる」、

といわれちゃあ、5月がかわいそうやん。

5月は5月なりに一所懸命やってると思うよ。

あ、もちろんこちらも擬人法で話してますよ。

「5月」、なんて人間的存在があるわけではないから。


まぁ統計的に、この手法は有意なものか、無意味かは、

それほど詳しく統計を学んだわけではないので、

何ともいえないけど、ちょっと自分に有利なデータとグラフを持ってきて解説した、

としか取れんわけよね。

SAORIちゃんのブログ

2013-05-02 18:10:36 | 日記
セカオワのSAORIちゃんのブログ、いいです。

私は新参者ではありますが、特に今日書かれたエントリ、

「RPG」は、よいです。


色々なメディアで言われていますが、新曲「RPG」のサビを書いたのが、

SAORIちゃん、ということです。

その際の状況というものが、エントリ「RPG」に書かれています。

「これがセカオワ」と言えるでしょう。


そしてもちろん、そのサビ、

「空は青く澄み渡り海を目指して歩く
 怖いものなんてない 僕らはもう一人じゃない

 空は青く澄み渡り海を目指して歩く
 怖くても大丈夫 僕らはもう一人じゃない」は、

個別的だけでなく、普遍的にも、

心を打つものがあると思います。


やっぱりなんか、私も少しは変われるのかな、なんて思ったり。

「セカオワ」、イチオシです。