或る、統合失調症患者の独り言

Version 23,31. Jeder findet Liebe im Ende. - 宇多田ヒカル(私的ドイツ語訳)

摩訶不可思議なお話

2011-12-30 22:31:44 | 日記
先日、道を歩いていると、少し先の方に、猫が座っていました。

人間よりも聴覚が発達しているはずなので、ちょっと遊んでみました。

猫の鳴きまねをしてみたのです。

すると、「遠くから大きな変な猫が鳴いているな」、とでも言った具合に、

こちらを振り向きました。

私は楽しくなって、近づいて、何度か鳴いてみました。

そのたびに、「変な猫やなぁ」、という風に、こちらを振り向きます。

私も用事があったので、それほど近くまでは行かずに、離れていきました。


さて、ここからが摩訶不可思議なのですが、

本当に先ほど、猫というよりは、熊、と言った方がふさわしい男性が、

えらく下手な猫の鳴きまねをしていました。

女性連れでしたが、私は大きな国道の反対側にいたのです。

そこまで聞こえてくるような、下手な鳴きまね。

果たしてそばに猫がいたんでしょうか?

女性とのお遊びでしょうか?

女性と、話の流れ上、そういう事をしたのでしょうか?


摩訶不可思議です。

どうしても追述しておきたかったので、一つだけ

2011-12-26 23:59:36 | 日記
以前書いた、

「環境ファシズム」、「自然保護ファシズム団体」、

について、どうしても追述したくなった。


これの度を超したものが既にあるんだな。

そういったものは、

「環境テロ」、「自然保護テロリスト団体」、

と言うべきだな。


有名どころは、

「SS」。

ネットニュースなんかではこういう風に略して書かれているけれど、

多分、「自然保護ファシズム」に関するところと言えば、誰にでもわかるだろう。

「SS」の人たちは、

「自然保護テロリスト」、

と断言できる。

略称がナチスの親衛隊、「SS」と同じなのも、

また、ファシズム、ナチズムを想起させて、

ふさわしい。

ナチスを当時支えた人たちと同じように、

「自然保護テロリスト」を支えている人たちがいるんだな。

そういった人々には、

「テロリスト」、

とか、

「テロリスト支援」をしている、

といったことは言われないのが不思議なぐらい。


何でもかんでも、

「テロ」、

と言ってる人たちの中にも、

いるんじゃないかな?

「自然保護テロリスト」支援者および団体が。

一方的な「大義名分」を錦の御旗にして、

「テロ」を容認しているんだから、

自覚が無いというか、自己正当化をしているというか。

「SS」をはじめとする、

「自然保護テロリスト団体」、

への支援はやめましょう。

勝手に正義面していても、

あきらかに、

「テロ支援」、

なんだから。

盛者必衰

2011-12-23 14:54:53 | 日記
ナチスの政権掌握、第二次大戦降伏、占領、によって、

亡命や脱出、渡航などで、

多くの優秀なドイツ人科学者(ドイツに住んでいた人々)を迎え入れることができたアメリカ・ソ連が、

その後、世界に君臨し、冷戦に入っていくことになる。

特にアメリカにとって大戦は「対岸の火事」で、丸儲けであった。

「宗教はアヘン」と言った本に触発された国々は、結局独裁になり、崩壊していった。

生き残ったいくつかの国々も、同じように、主義を貫く事が出来ずに、

アメリカ一国によるパクス・アメリカーナということになる。

しかしそれもつかの間、新興国やイスラム圏などの脅威を抱くことになる。

西洋と違って、東洋は人口が多い国が多い。

もはやパクス・アメリカーナは崩れようとしている。

だが、いつまでもトップたらんともがいているアメリカが、今、ある。

風前のともしび。

さて、アメリカが凋落するのはいつの日か。

日本は本当に「無資源国」か?

2011-12-23 14:40:52 | 日記
日本には資源が無い。

果たしてそうであろうか?

昔、日本は金の産出量が多かった。

ただ、現代に至る前にほとんどが掘り尽くされてしまったために、今の状態。

続いて銀、となったが、これもまた掘り尽くしてしまった。

結果「無資源国」と言われるようになってしまったが、

単に使い果たしただけで、本当の「無資源国」ではない。

で、今、新しい資源が注目されている。

それは海底に眠る「メタンハイドレート」である。

まだ効率的な取り出し方、エネルギー化、が研究中なので、

ほったらかしになってしまっているが。

これが実用化されれば、「無資源国」ではなくなる。

まぁ、いつの日になるのかはわからないが。

アメリカのイラク侵略~ユダヤの力~、とテロについて

2011-12-23 14:31:31 | 日記
アメリカは他の国に本土を侵略されたことが無い。だから「9.11」に衝撃を受けた。

確かに多数の非戦闘員が被害に遭った。でも第二次大戦中の日本と比べるとどうか。

2機の飛行機にビルが突っ込まれただけであの騒ぎ。

日本なんか全土が空襲で桁違いの非戦闘員が殺された。

この事実を考慮するアメリカ人は少数だろう。

ではアメリカ人がそれだけですべて悪い、かというと、そうとは言えないところもある。

よく知られているとは思うが、メディアによるところが大きい。なぜか。

それは有力なユダヤ系アメリカ人が多数いることによる。

大富豪だけでなく、メディアへの影響力はかなりなものがある。

ナチスドイツによる迫害が発端となり、ドイツおよび侵略地にいたユダヤ人は世界中へと散っていった。

アメリカにやってきたユダヤ人が多かったかどうか、私は知らないが、

多分そうではないか、と思う。

そしてメディアに操作された多数のアメリカ人が、その後のアメリカの国政にも影響を与えるように洗脳された。

まさに「メディアの罪」であるし「ユダヤ人の罪」であると言える。

また、ナチスだけが「悪」とは言えない。

当時および以前より、欧州全土でユダヤ人は差別を受けていた。

それがナチスに全て責任をなすりつけ、象徴として掲げた。

まさに、ヨーロッパ人は「俺らは何も知らん」という罪逃れをしたに過ぎない。

まぁユダヤ人は、そのナチスに強い嫌悪感を抱いているが、実際には他の欧州諸国に対しても、

「お前らも同類」、という考えを持っているのではないだろうか。


米国軍はイラクから撤収した。

「アメリカの若者が犠牲になった」とトップに持ってくるが、続いて、

「桁違いのイラク国民が死亡した」と日本では報道されている。

やはり日本でもアメリカ人の犠牲のほうに重きを置いているのであろうが、

多分アメリカでは前者を大々的に伝え、国民は自国民の事しか考えないように洗脳しているのであろう。

明らかにブッシュJr.の無能ぶりというか、馬鹿さ加減かというか、

そういったものが露呈しているのであるが。

大義名分の「大量破壊兵器」は結局見つからず、一体何のために多くの血が流れたのか。

ベトナムの轍を踏んでしまった、愚かさを見出すことのできる戦争であった。


「対テロ」についてもやはり、ユダヤ人の力により、「イスラム憎し」が国民に流布されてしまって、

何でもかんでも「テロ」と言い出す始末。

さかのぼるが、伊藤博文暗殺を「テロ」だと言えるメディアが日本にいるだろうか。

韓国・北朝鮮からどれだけの批難が来るかしれないが。

「暗殺」も現在では「テロ」とされてしまっているから、そういう図式が成り立つ。

しかし、「非戦闘員を殺害すること」が「テロ」だとするとそうなるが、

「戦犯、戦争指導者、対戦国指導者、元首」は「非戦闘員」であろうか。

アメリカ大統領は、軍の最高司令官であるはずだが、

本土でのうのうと過ごしていれば、「非戦闘員」なんだろうか。

「軍人以外」ならそうなのだろうか。

では極東軍事裁判は「軍人」しか裁かなかったか?


とにかく、いきなり何でもかんでも「テロ」とメディアが言い出してしまって、

世の中が無茶苦茶になった。歴史をさかのぼって過去の事まで対象としてしまっている。

まさに五濁悪世か。

欧米vsアジア

2011-12-23 13:47:37 | 日記
「愛の宗教」と呼ばれるキリスト教徒が多く、

裁判の宣誓でも聖書の上に手を置くアメリカが、

なぜ、イスラム圏を敵視するのか。

「汝の敵を愛せよ」が大是であるはず。

ある方も言っていたのだが、基本的にヨーロッパも同じ。

歴史的に、代表とされるものに、「十字軍」、がある。

でも、それだけではない。

「ヨーロッパvsアジア」という構図は、

(少なくともヨーロッパに於いては)長らく存在する。

今でも変わらないかもしれない。

アレキサンダー大王のマケドニアも、アジアへと攻め込んだ。大昔である。

単に今は、「資源」のため、つまりは、「自利」、のためだけに、アジア諸国と連携しているに過ぎない。

だから特に、「資源」というものが無い「シリア」の内紛には何も手を貸さない。

「米化政策」をとらせても、何の得にもならない、という自分本位の考え方に根差している、

と言われても否定はできまい。

また「アジア」といっても、基本、昔の言い方であって、実際には「中東」と言っていいかもしれない。

「資源」が豊富なのが「中東」だから、ともいえるし、

極小世界観の大昔で、「アジア」と言われた地域が、「中東」を指したものであったから、とも言える。

結局は「大国のエゴ」に過ぎないわけだな。

「生臭キリスト教徒」と言っていいかもしれない。

天皇屁以下の誕生日

2011-12-23 13:30:02 | 日記
私は別に天皇を崇敬しているわけではないので、

敬称は書かないできた。

でもまぁ一度ぐらいいいかな、と。

ただ直接書くのもなんやから、

「仮名読み敬称」にしてみた。

どうでしょ?


というわけで、「これ」を思いついたから、

中断中やけど、書いてみたわけ。

ついでに4つの話を思いついたので、

それだけ書いたら、

また更新中断に入る。

今日書いてしまってるから、

大晦日や元日に書く事はないでしょうな。

無予告更新中断→更新中断宣言

2011-12-15 05:09:46 | 日記
ある方とのお話が、また私への示唆となりました。

「不言実行」、

まさに、

「沈黙は金、饒舌は銀」、

と言われるものですが、そのことから、私はこのブログを、

「無予告更新中断」、

にしようと思いました。

世にあふれる、「勝ち負け」至上主義、といった人たちにとっては、

私の更新が途絶えることで、

「あいつ負けよった、俺らが勝った!」、

と思うのだろうな、との予測はつきました。

私にとっては、

「そういう人たちは、そこまでの人」、

という考えですので、そのまま放っておいてもいいのですが、

やはり、そうではない、一般的な読者の方にとっては、

何らかの「宣言」が必要なのではないか、とも思えました。

それで、このエントリを書く事にしました。


私の立場も考えも、特に変わりはありません。

ここ数日でも、充分新しいエントリはつくれました。

ただ、また考えが変わったところと言えば、


「浄土真宗本願寺派にとっては、信心とは、

「する」、ものではなく、

「賜る」、ものである」、


というところでしょうか。

私は、「阿弥陀様から信心を賜った」、と信じております。

そういった観点からも、あまりに俗っぽいエントリは書くべきではない、

と思います。


では、最後に一つだけ、まだまだこだわりが抜けない事、を書いて、

「更新中断」、に入りたいと思います。


「またか」、とお思いでしょうが、「オフレコ」、についてです。

TBS系列のテレビ番組、「今夜はヒストリー」忠臣蔵、に於いて、

どうしても、「討ち入り決行だ」、との言葉がもらえないアナウンサーが、

実況生中継、という形式の上でのコメント取りで、

「オフレコでもいいですから」、

と食い下がりました。

これは、件(くだん)の「国会王子」の解説からすると、

「名前は出さないが、報道する可能性がある」、

という事の、「自虐的な」パロディになっています。

「実況生中継」という建前でやっているわけで、

名前も顔も思いっきり出ていて、

完全に、「オンレコ」、です。

テレビの前で私は、苦笑するしかありませんでした。


このことから、「メディア人」から、

「オフレコでいいですから」、

と言われた場合、

「これ、みんなには内緒やで」、

と言って打ち明けたのに、あっという間に全員が知っている、

という事と同じで、

「オフレコ」、という言葉を信用してはいけません。

全て報道される覚悟の上で、しゃべりましょう。


さて、勿論まだまだ書きたいこともあるわけなのですが、

このあたりで、「更新中断」、を宣言しましょう。


「知りたくなった時に、学べ」、というお言葉がありました。

今、私は浄土真宗本願寺派について、知りたくてたまりません。

だから、学びます。

ゆっくりでも、書籍やご法座から、色々と学んでいきたいと思います。


では、読んで下さった方々、どうもありがとうございました。

ただ、「中断」ですので、「再開」の可能性を残しつつ、

であることはお分かりでしょう。

しかし、よほどのことが無い限り、「再開」はないでしょう。

門徒として、色々と知っていく、という事が、今の私にとっては、重要なのです。

カトリックではありませんが、信仰告白

2011-12-12 01:07:44 | 日記
今の段階で、「信仰告白」、などというものを書くのは早すぎるかもしれませんが、

「現時点においての信仰告白」、というものを自分の生活史の中から書いていきたいと思います。


私の家の宗教は、自己紹介欄にもあるように、浄土真宗本願寺派、です。

しかし私は、その他の宗教や哲学などを、少しずつではありますが、かじってきました。

そして結局、落ち着いたのは、家の宗教である、浄土真宗本願寺派、です。

私の今までの生活において、ほとんど、浄土真宗本願寺派に関わったことはありませんでした。

月忌には所属寺のご住職に来ていただいてはいましたが、その当時には、あまり関心を寄せませんでした。

ただ単に、「ご先祖様への供養」、という理解をしていました。

しかし、実際に浄土真宗本願寺派に関わっていくようになって、

「今までの考えは、明らかに間違っていた」、という事に気付きました。

両親がお念仏を唱えているような光景は、少なくとも私の記憶の中にはありません。

亡母は生前、足しげく、真言律宗のお寺にお参りをしていました。

そのお寺が「真言律宗」だと知ったのは最近なのですが、

なかなか子供ができないことで、現世利益を頼み、ようやく私が生まれたことで、

お礼参りをしていたのではないのだろうか、と思うのです。

「縁」、ということからすると、全く無意味であったのではないかと、

今この世に人身を受けている私が言うのもなんですが、そう思えます。

父は、基本的に宗教というものに対して、「一般的な日本人」、としての関わり方しかしていないように思えます。

そういう環境でしたから、私は浄土真宗本願寺派に属してはいるものの、

ほとんど何も知識が無く、また、信心もなかった、と言えるでしょう。

ですから、この歳になって、ようやく縁あって、浄土真宗本願寺派に対して、

信心や、知識、といったものを受け入れている最中なのです。

だから、「入門者」、なのです。

家にまします阿弥陀様への報恩感謝としてのおつとめや、先述しましたが、

様々な知識を入れ、信心をより強固なものへとしようとしている最中なのです。

おつとめのために、「勤行集」を入手して、初めて、「正信偈」、にも出会いました。

本当ならば、子供のころから接しているはずの事が、今になって、ようやく、といった感じです。

根本聖典である、「浄土三部経」をまず、読みました。

原典や、読み下し文では内容が理解できないであろうと思ったので、

現代語版からスタートしました。

その次には、「教行信証」、と行きたいところですが、現代語版でも、かなりの厚みがあります。

そこで、「レッツ!正信偈」、を読むことにしました。

おつとめで読んでいる原典では、内容はなかなか理解できません。

しかし、「レッツ!正信偈」、では原典、読み下し文、現代語、解説、と詳しく書かれています。

あまり物覚えの良い方ではないので、ちゃんと理解できたか、と言えば、

否、というしかないかもしれませんが、読了しました。

このブログと並行して読んでいたので、ちょっと五濁悪世にまみれている箇所がかなりあるとは思いますが、

以前に比べれば、少しはマシになったのではないか、と勝手にではありますが、思っています。

「正信偈」が終わりましたので、次こそは「教行信証」、と思っていますが、

出先で読むにはちょっと大部すぎるような気もします。

そこで今回は、聖典とご法話集を並行して読んでいこう、と思っています。

今年発刊された、ご門主の法話集が、2冊あります。

やはり時系列に従った方が良いのではないか、と思い、次は、

「すくいとよろこび」、を読むつもりです。

というか、既に一つ目のご法話を読みました。

「聴聞」の大切さなど、色々と考え直させられる内容です。

一つ目でこうなのですから、全て読み終わったころには、

大分、私の思考回路も変わっているのではないか、と思わされます。

「教行信証」と並行して読んでいく2冊目は、「願いの力」です。

念仏者として、浄土真宗本願寺派門徒として、そして、人間として、

多分、考え方も変わってくるでしょう。

「現世祈祷」といわれる一般的な「現世利益」ではなく、命終えたときにお浄土へ往生させていただけるということ、

そして、その信心から、実りある生を送ること、という浄土真宗の「現世利益」をありがたく思いながら、

これからの生を全うしていきたいと思っています。


南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)。

余計なことかもしれませんが

2011-12-10 01:01:17 | 日記
ある記事にて、

「警察は権威を持っている」、

とありましたが、明らかに間違いだと思います。

警察は、単に、

「権力の実力行使機関」、

に過ぎません。

「権威」とは、そんな「警察国家」=市民の「相互監視社会」を作り上げているような方々には有りません。

「権威」は、「天皇」にしかありません。

敗戦を決定したと言われる「昭和天皇」の御前会議にて、唯一と言っていいほど、

初めて「天皇」が「権力」を用いました。

イギリスでは、「君臨すれども、統治せず」、という国王観がありますが、

基本的に、日本でも同じことです。

大日本帝国憲法下での「天皇」も、「輔弼」という形で事実上、内閣が「権力」を持っていました。

ただ、「権威」しか「天皇」にはありませんでしたので、「権力機関」である軍部の独走を止めることはできませんでしたし、

「天皇」の「権威」をかさに着て、「統帥権」という名のもとに、あのような行動をとったのだ、と思われます。

「権威」と「権力」は全く別のものであって、日本国憲法下では、完全に分離されています。

暴力団の次は、ネットが警察のターゲットのようですが、

これは、「権威」によるものではなく、「警察の独走」つまりは「権力」をかさに着ていた、

旧日本国軍と何の変りもありません。

「言論の自由」という事も叫ばれていますが、「警察」にはそんなものはお構いなしでしょう。

自分たちの「権力」ではなく、行政の一機関に過ぎない、ただの「実力行使機関」なのですから。

多分、ネット社会も様変わりするでしょう。

「警察の独走」を止めるような人がいないのですから。

でもあと一つだけ

2011-12-09 22:04:57 | 日記
また煩悩、それも三毒のうちの一つ、

瞋恚、

を積み重ねてしまうかもしれませんが、

あと一つ、

「オフレコ」、

というものについて、私が至った解釈に対して、

説明することをお許し下さい。


重複しますが、


「取材対象者」にとって、「メディア」は、「ただの道具」にすぎない。

「メディア」にとって、「取材対象者」は、「ただの飯の種」にすぎない。


ということだと思ったのですが、そこへと至った根本は、

TBS系列のテレビ番組、「サンデージャポン」で、

「国会王子」、

と呼ばれている方がなさった、解説にあります。

その方は、取材に於いては、

「オンレコ」、「オフレコ」、「完オフ」、

の3種がある、とおっしゃいました。

今回社会的に問題になった、また、私が執着してしまった、

「オフレコ」というもののあり方、

を私は解釈したのです。

その方は、


「取材対象者」が市井の言葉を知るために、

匿名を条件に公開してもよい、

「オフレコ」、

という形で、

「メディア」、

に情報提供をする、


という事で、

「メディア」にある程度、市井の意見が集まることを利用する、

ことから、私は、

「ただの道具」、

と解釈しました。


続いてこうもおっしゃいました。


「取材対象者」からの「オンレコ」だけでは、記事が書けない、尺が足らない。

「オフレコ」という形で、

匿名での公開を黙認された情報を使って、

紙面が埋められる、報道としての時間が埋められる、


という事で、

「メディア」というものはほぼ、

「オフレコ」、

という形での情報を使わなければ、

自らを維持できない、

結果、「メディア」に属する人たちの生活自体ができなくなる、

ことから、私は、

「ただの飯の種」、

と解釈しました。


とにかく私は、上述の解釈に至った経緯、

といったものを書かずに終わること自体が、


「書き逃げ」、


になってしまうのではないか、と思い、

今回こうして、煩悩に根差しているでしょうが、

この文章を書いておきたかったのです。


南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)。

書かずにはいられない

2011-12-07 20:32:11 | 日記
「時間が無い」と、勝手に言い訳をつくって、

ご本山のご法話を聴くことを、長らくしていませんでした。

しかし、今日久しぶりにご法話に接すると、

慚愧の念に堪えない自分が、ようやく、と言っていいほどに深く出現しました。

このVersionにしてからも、結局は前のVersionと変わりの無い事に気付かされました。

時々は浄土真宗本願寺派について書きながらも、

ほとんど、悔いていない、という事に気付きました。

本当に、煩悩具足の凡夫です。

往生した時、生まれ変わってお浄土で過ごすのではなく、

今までの自分、というものは背負いこんだままで、お浄土へと往生する、

という大事なことを、忘れていました。

はっきりいって、このままの内容を続けていけば、ただの煩悩の塊で、

往生しても、後悔がより強くなっていくばかりなのです。

煩悩はなくせないが、できるだけ少なくしていく努力、というものはできるはずです。

また、本当はそうするべきなのです。

今までの言動に対して、慚愧の念を抱き、これからは煩悩をほんの少しでも少なくして、

お浄土へと往生させていただけるというご利益にあずかる事を約束され、

それによってこの世での生というものを充実させていくこと、

それが今の私にできる唯一の事だと思います。

内柴氏について その2

2011-12-07 07:33:59 | 日記
内柴氏、逮捕されちゃいましたねぇ。

どうやら酩酊状態にある人に対する性行為は、

同意のあるなしに関わらず、準強姦、になるそうですな。

同意のあるなしを問題にしている内柴氏にとっては、

刑事裁判上では、何の意味もない、ということになってしまいますな。

ただ、一つだけ救いの道はありますな。

酩酊状態下に無い時点より、同意があった、ということなにれば、セーフ、なはず。

でもそれはそれで、また問題が出てきますな。

「浮気」「不倫」、というこれまた女性週刊誌の大好きなことであった、ということになりますな。

いずれにせよ、「ヒーローの凋落」、にかわりはないですな。

フカヒレおよび捕鯨

2011-12-05 22:51:24 | 日記
今後、フカヒレが食べられない日が来るかもしれない、とのこと。

サメの乱獲で、ある種のサメが激減しているそうだ。

それで、サメの捕獲をやめよう、という動きがあるらしい。

でも、これもまた、欧米主導の反捕鯨に似ていると思う。

サメのヒレだけ切って、そのまま海に投げ込んでしまうようなことがある、とのこと。

これって、鯨油目当てだけの捕鯨を続けてきた、反捕鯨国の頭の固さやエゴと同じ。

日本では、基本的に食用であるため、今まで欧米諸国がやってきた、

エゴイスティックな捕鯨とは違う。

ちゃんと、「ありがたく、鯨の命をいただく」という気持ちがあった。

で、反捕鯨国は自己正当化するために、

「鯨のような賢い動物を殺すのはいかがなものか」、

といった主張を展開する。

自分たちが単に油が欲しかっただけの乱獲を行ってきたことへの反省もなしに。

で、石油が主となって、鯨油が必要なくなったから、そんなことを言い出すのである。

そして、環境ファシズムに走る団体が有象無象と出現してくるのである。

愚かなり、反捕鯨国。

愚かなり、自然保護ファシズム団体。


「鯨」、「マグロ」、ときて、今度は、「サメ」、か。

ホンマに、愚か、ですな。

女っぽい男子

2011-12-05 07:41:02 | 日記
またまた「めざましテレビ」からですが。

「ココ調」で「女っぽい男子」というものが取り上げられていたけど、

単なる逆差別なんじゃねーの?

「女っぽい男子」を嫌う女性がいる、と言うが、

「女っぽい」とは何か。そして「男っぽい」とは何か。

ま、「生態調査」というより、「バラエティ」の範疇に入るコーナーではあるけれども。

昔の、「男は男らしく、女は女らしく」、という勝手な社会通念を、

今になって女性の側から是認していることになる。

田嶋陽子氏が見たら何というだろうか?