或る、統合失調症患者の独り言

Version 23,31. Jeder findet Liebe im Ende. - 宇多田ヒカル(私的ドイツ語訳)

「黒の女教師」

2012-07-28 02:40:13 | 日記
「黒の女教師」第二回、見ました。

ブログでの発言について、辛辣なメッセージがありました。

メディアは、「第四の権力」、として、政治的なものだけではなく、

ありとあらゆる事物への影響力を持っています。

だから漸く、「審査される対象」として、扱われるようになりました。


「暴走」は食い止めなければならない。


しかしもちろん、自らの考えを発信する権利まで剥奪される必要はありません。

「この番組、この人、この制作者、はこのような考えを持ち、このような表現で、

 情報や意見を発信したい」との考えには賛同します。

偶然にも今日、中央仏教学院通信教育部の入学許可通知が届いたこともあり、

心機一転、といった感覚でいます。

このドラマには考えさせられるところがありましたが、

その時点ではすでに私は、「教訓」、として受け取る状態にありました。

一つ前のエントリで既に色々と書いているので、重複を避けるために、

詳述はしません。

少なくとも、このドラマが面白かったことは確かです。

私にとっての浄土真宗本願寺派の必要性

2012-07-28 01:58:15 | 日記
最近は不殺生戒を破ることが多い。

ゴキブリ、ハエ、などの害虫。

しかし、これは人間のエゴに過ぎない。

生きとし生けるもの、皆同じ命をもって、この世に生まれる。

益虫、害虫、などと言った分け方は、ただ単に、

人間にとって、有益か否か、

に過ぎない。雑草も同じ。

畑一杯に繁茂する雑草を見て、私は、

美しい、

と思った。

緑に埋め尽くされた、美しい畑であると。

でもその畑には花が咲く植物が植えられ、

雑草は殆ど引き抜かれていく。

私は、雑草、という呼び方が嫌なので、

抜草、という表現をした。


ところでこの度、中央仏教学院通信教育部入門課程の入学許可状を頂いた。

これまでにも、色々な浄土真宗に関する書籍を購入してきた。

ただ、私は遅読なので、読み終わる前に、また新しい書籍が登場する。

そんなことを繰り返しているうちに、

読みかけの書籍がずいぶんたまっている。

浄土真宗関連だけでなく、趣味や、他の学習の書籍にも手を出しているので、

余計に遅れる。これは一生かかっても、全てを読破することは不可能なのではないか?

浄土真宗関連の書籍を読めば、再び自分の思考回路がリセットされる。

しかし、私は忘れっぽくもある。

少し時間がたてば、また仏教や浄土真宗から外れてしまったような言動に走ってしまう。

このブログを読めば、一目瞭然。

しかし今回は、「通信教育の学生」、になるのである。

阿弥陀様が寛容であるからこそ、私はこんな風な生活を送っていくことができた。

今回の、「一信徒としての学生」、という立場に立って、

もう少し、マシな生き方、考え方、発言、行動、といったことができるのではないか、

と期待している。

9月からのスタートであるので、一か月ほどはあまり変わらないかもしれない。

学習を始めても、同じような文章を書いているかもしれない。

しかし以後は、「一信徒」「一学生」としての自覚をもって、

暮らしていきたいと思う。

この一年間で、少しはまっとうな人間に、近づきたい、と思う。

勿論現在の自分の全否定ではない。

宗教的土台を得て、そのうえでの四苦八苦、右往左往、があるであろう。

でも何とか生きていく。

そのためには、浄土真宗が私には必要なのである。

Something

2012-07-28 01:02:02 | 日記
何か顎に違和感があった。

一番に思ったのは、鼻血。

触ってみた。

無色の液体だった。

鼻水。

そこまで流れてようやく気付いた。

もう一度触ってみる。

やはり鼻水のようだ。

洗面所に行く。

もうほとんど残っていない。

洗い流す。

鼻水がこんな時に、そこまで流れるとは。

以後左の鼻は詰まったまま。


咳が止まらない。

不意に鼻水が出た。

夏風邪?

熱はなさそうだが。

病院に行くつもりはない。

ただ、こんなことも起るんだなぁ、という感想。

現状報告

2012-07-24 00:43:54 | 日記
私は一時の衝動や感情によって、行動を起こすことが多い。

そしてあとで後悔したり、冷静になって考えると何故そういう行動をとってしまったのか、

と思うことが多い。

「吐いたつばは飲み込めない」。


そういうわけで、これからもそのようなことを繰り返すではあろうが、

できれば一拍置いて、冷静に考えてから行動した方が良い、

と思う。


有名人のサイトやブログ、ツイッターなどを見て回るのも、基本的にやめる。

これまた真宗的な、「極端から極端に走ってはいけない」、ということに抵触してしまうのではあるが。


衝動と契機(きっかけ)は別物だと思う。

その見分けがつくかどうか。

一拍置くことによって、巧遅になってしまうのではないか、との思いもある。


このような、「撤退宣言」と言えるものもまた、

衝動的、感情的、と言えなくもない。

ただ、「基本的に」という条項を入れることによって、少しは回避されるのではないだろうか。


拙速すぎる。それはわかっている。

だからなっちのバースデイライブにも行かないことにした。

「Subway」を予約して買ったのも拙速と言える。


対人的な交際レベルも分類してみた。

「好き」「好ましい」「交流あり」「一般的な応対あり」「嫌い」。

もちろんこれは、「知っている人」に対するものであり、

「知らない人」というものが別個に存在する。


あまり「嫌い」な人はいないし、その前の三つがほとんどであろう。

そして、「好き」なのは、meine Liebste、だけである。

こここそ、ブレてはいけないところである。

衝動で勘違いしたまま他の人との交流をしてしまうこともあるが、

それは結局、「好ましい」にとどまるだけである。


自分の立ち位置。それをしっかりと持っていないといけない。

「わかっちゃいるけどやめられない」、

というスタンスが長きにわたって続いている。


とにかく、Ich liebe nur meine Liebste. Es ist ewig.


唯一の人に対して、永遠というのも真宗的には、教義上認められない、かもしれない。

しかし、私の中では、唯一の、一番であって、他の人とは断然距離が存在する。

そここそ土台として、ブレないように、生きていくことが肝要だと思う。

I love you. Ich liebe dich. 愛しているよmeine Liebste。

Bis Mittwoch.

猫の死

2012-07-21 17:55:40 | 日記
今コンビニに出かけて見つけたのだが、

途中の道で、猫が死んでいた。

腰のあたりの路上に血だまりがあり、

口から吐いたのか、そちらの方にも血だまりがあった。


多分雨中か、雨上がりに、車に轢かれたんだろう。

かわいそうだが、どうしようもない。

こういった場合、どこに言ったらいいのかもわからない。

こんな土曜の夕方では、大抵のところは閉まってるだろう。

私ができることはただ一つ。


南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)。

「唯我的概念」

2012-07-19 22:56:34 | 日記
私は日常的に、

「思考停止」、

という語を使う。

そして、一度、本来の意味はどうなのかと思い、調べてみた。

辞書にも百科事典にもない。

それで、ウィキペディアで調べてみた。

すると、「マインドコントロール」に転送された。

これにはびっくりした。

内容は、もちろんネガティブ。

統一協会やらオウムやらの事が、ズラズラと書いてある。

Yahooの辞書でも調べてみたが、

やはり、「⇒マインドコントロール」、とあり、

内容はウィキペディアと同じ。


私は造語をしたり、既存の言葉に私的な概念を持たせたりすることがよくある。

しかし、マインドコントロールとはねぇ。

だからブログタイトル下の文章に、この説明を入れることにした。

一応これを免罪符に、今まで通りやっていくことに変わりはない。

ただ、語に対して、ちょっとは考えたり調べたりすることも必要だな、

とは思わされた。

久々に「今夜はヒストリー」

2012-07-18 21:15:52 | 日記
今日の「今夜はヒストリー」は、

戦国時代、しかも「いくさ」だけをクロースアップするという、

別に剛力さんがゆうように、

「教科書で薄っぺらく見てきたものを、ちゃんと見ていった」、

とはとても言い難い、充分に「かたよった一部分しか見ていない」ものでした。


そしてもう一つ。

解説にいたはった歴史評論家の方が、

「秀吉が、本当の意味で、初めて、日本を統一した」、

との一言。

あれ?

ちょっと待てよ?何か変だぞ?

あ、そうか!

というような小芝居はいいとして。


お判りの方もいらっしゃるとは思うが、

そこで取り上げられていたのは、「戦国時代の戦国大名の版図だけ」、である。

つまり、

北海道と沖縄が入っていないのである。

そこから導き出される答えは一つ。

「あの歴史評論家の方、及び制作編集に携わった方々にとって、

 北海道も沖縄も、日本ではない」、ということ。

この番組を見れば、ロシアの方々も、中国の方々も、台湾の方々も、快哉をあげるのではないか?

確かに領土問題は存在しない。

北方四島どころか、北海道自体が、日本国の領土ではない、との発言である。

尖閣諸島どころか、沖縄県自体が、日本国の領土ではない、との発言である。


以前書いたと思うが、やはり、沖縄は、「琉球王国」に戻すのが筋である、との裏打ちになる。

今回はさらに、北海道自体が日本領でない、独立国家、アイヌの人々のもの、ということになる。


ところで、次回はまた「総ざらえ」的なテーマのようだ。

視聴率が悪いのかな?ネタが切れたのかな?

だからといって、「日本国統一」を戦国末期にしてしまったのは、

ちょっとまずかったのではないだろうか。

間接殺人罪

2012-07-18 07:12:24 | 日記
いじめの結果、自殺に追い込んだ場合、

「殺人罪」に相当するとして、

「間接殺人罪」の創設を強く望む。


また、殺人罪の時効が無くなったことから、

「殺人」、というものに対して、

社会的に重大なこと、

であるとの認識があると推察する。


そこで、以前書いたように、

「子どもの権利条約」、によって保護される少年、

及び、刑法が適用されない年齢の少年に対しても、

「殺人」「間接殺人」については適用除外とし、

刑事罰を与えるべきである。


もちろん、少年院などといった生ぬるいものや、

有期刑なんて馬鹿げたものではなく、

少なくとも無期刑、あるいは創設すべき、

終身刑を科すべきである。

当然、死刑でも構わない。


それぐらいしないと、日本の法律や世論が、

「矯正」ではなく「懲罰」として取り扱う事を、

是、

としているのであるから、

このような間接殺人事件が絶えることはないであろう。

近所の「ヤカラ」を見て思う

2012-07-18 04:47:24 | 日記
「矯正」とは「語学の習得」に似ている。

歳をとればとるほど、難しくなってくる。

図体ばかりがでかくなって、

「成長」というものがどこにも見当たらないような、ただの、

「ヤカラ」と化した青年たちを見ていて、深く思う。

もっと早くに、「教育」されていれば、どうにかなったのかもしれないが、

真宗的に見れば、

「ヤカラはヤカラにしかなり得ない」、

とも言えるわけで、そういった、「縁の集合体」にしか過ぎんのだと、割り切るしかない。

また何らかの、矯正へとつながるような「縁」を得れば、修復される可能性は、無くもない。

ただ、あのような、「ヤカラ」、にそういった縁が巡ってくる日が来るのか、はなはだ疑問ではある。

しかし、私自身もまた、阿弥陀様の御心によって、有り難い「仏縁」を頂いたのであるから、

可能性が皆無、というわけではない。

いくつになってそうなるのかはわからないが、何とか死ぬ前に、「縁」の巡りあわせで、

良い方向へと導いて頂けるのならば、「ヤカラ」、から抜け出せる日が来るかもしれない。

「私の頭の中の消しゴム」in Osaka~その3

2012-07-16 02:32:12 | 日記
夜中にはいろいろと考えが錯綜するね。

私の本来あるべき立脚点に立ち返ってきたのかもしれない。

それだけ、「私の頭の中の消しゴム」という劇が、

私に与えた影響が大きい、ということになる。

これからどう生きていくか、過ごしていくか、

考えるためのきっかけとなったことは確かだと思う。

「私の頭の中の消しゴム」in Osaka~その2

2012-07-16 02:22:49 | 日記
なっちは竹を割ったような性格のようだ。

アフタートークで、

「好き嫌いをはっきりとする」「嫌いと思ったらスパッと切る」、

と言っていた。


以前書いたが、私が、「好き」、と言えるのは、meine Liebsteに対してだけである。

かといって、他は全て、「嫌い」、というわけではない。


「ファン」というものにも言及したことがあった。

「好き」と「嫌い」の間に、「ファン」が存在するのかもしれない。

でも基本的に、あまり嫌いな人はいない。

なら全部、「ファン」かというと、そうも言いきれない。


仏教の「中道」、という考えからいくと、「極端はいけない」、ということになる。

なら私の中では、「好き」「ファン」「中道」「嫌い」、と分けることができるかもしれない。

ほとんどの有名人に対しては、「中道」、が当てはまると言える。

なっちは、「ファン」、になるだろう。


ちなみに、本義の「中道」というものは、上述のようなものではない。

生き方、考え方に於いて、基本的に、「中道」であるべし、ということになる。

極私的な言語借用としての、「中道」、という考え方が私の中にはある、と言えるだろう。


少し今日(日付では昨日)の観劇で、私の中では、「コペルニクス的転回」、が起こったのかもしれない。

「私の頭の中の消しゴム」in Osaka

2012-07-16 01:40:10 | 日記
なっちの言葉で思いを強くした。

meine Liebsteが認知症になったのなら、

在宅介護や施設入居しているところへ、

毎日のように会いに行こうと。


大切な人が記憶を失ってくる。

私の事さえもわからなくなってくる。

でも、私は通い続ける。

認知してくれても、他人扱いされても、

一生続ける。


私のことなどどうなってもいい。

というか、これは自己満足かもしれないが。


ある程度記憶が残っていたり、

一時的に記憶がよみがえったりしたら、

辛いのはmeine Liebsteのほうかもしれない。


でも、私が辛くなったり、耐えられなくなったりしても、

通い続ける。


辛さから拒否されるかもしれない。

でも、もし直接会えなかったとしても、

通い続ける。


なぜなら、私はmeine Liebsteを愛しているから。

愛する人の姿をできるだけ長い間、見ていたい。

どんな状態であっても。

できるだけ一緒の時間を共有したい。

最期の日まで。


いや、

私の方が先に死ぬかもしれない。

しかし、いずれにしても、

「永遠の愛」、というものを実証したい。


Die Liebe ist ewig.

大津市教育委員会及び関係者、学校関係者らの保身

2012-07-15 10:53:43 | 日記
ドラマ「遺留捜査」初回冒頭シーンを思い出した。

何のためらいもなく、殴る。

何のためらいもなく、刺す。

何のためらいもなく、死に至らせる。

こんな奴らに対して、果たして、「矯正」、などというものができるのであろうか。

大人になる、というのが遅くなってきている、と言われるが、

情報が氾濫している現代では、加害者側の「子どもの権利」というものは、停止してもいいと思う。

大人ではないが、子どもでもない。中間層を新たに設定すべきであろうと思う。

ほっこり

2012-07-13 18:33:24 | 日記
MBS、毎日放送の上田悦子アナ、

久々に更新されたブログで、

なんだか、

「ほっこり」、

しました。

いぃですねぇ。

これからも、見聞き続けさせてもらおうと思います。