或る、統合失調症患者の独り言

Version 23,31. Jeder findet Liebe im Ende. - 宇多田ヒカル(私的ドイツ語訳)

以降のブログ更新について

2012-04-18 07:12:11 | 日記
さて、前エントリで「信徒宣言」、をしたと言えるわけだが、

もちろんのごとく、これによって、無駄なブログ更新をしないことの宣言でもある。

信心を賜ることによって、門信徒としては、

自分を見失うことなく、慚愧と歓喜の生活に入るべきなわけで、

「豊かな生活」として、地を出す、つまりは自分を殺さずに生きていく、

という事は変わらない。

ならばブログ更新も今までどおりでもいいのではないか、

との考えもあるではあろうが、読んでいただければわかると思うが、

基本的に私のブログは煩悩にまみれている。

だからこそ、何らかの特別な「書きたくなること」、

が起きなければ別にブログに書かなくとも、普通に紙の日記に書いておけば良いわけで、

ここで公開する必要性があるとは思えない。

本当にブログ依存症ならば、そういったことは不可能ではあろうが、

私自身の判断では特別ブログに頼って生きていく必要性も感じない。

特に発信すべき情報が次から次へと起きているわけでもなし。

更新を否定するわけではないが、ことさらそれにこだわる必要性が無い、

と考えたわけである。

浄土真宗本願寺派信徒

2012-04-11 06:04:45 | 日記
どうやら私は「門徒」ではないらしい。ただ、「門信徒」、とは言えるようだ。


ご本山のサイトに掲載されている「浄土真宗本願寺派宗法」に、

「門徒」、「信徒」、の別が書かれてあった。

確かに今まで、「門徒」と言われる場合と、「門信徒」と言われる場合の違いが判らなかった。

「門徒」とは、信者のうち、所属寺の門徒名簿に記載され、

帰敬式を受けた人の事を指すらしい。

それ以外の、浄土真宗本願寺派を信奉する者が、「信徒」と呼ばれる。


私は所属寺の門徒名簿に記載されているかどうかを知らないし、帰敬式も受けていない。

いずれは帰敬式を受け、所属寺の門徒名簿に記載されて、

正式に、「門徒」になりたいと思う。

小倉さんだけを悪者のようにしていては気が引けるので

2012-04-10 13:42:32 | 日記
(まず、一つ前のエントリを読んでください。)

小倉さんの言ったことは至極まっとうで、

それ自体は別に何の非もない、とも言える。

ただ、私がチャンネルを以後、8chにしないきっかけになったという、

どちらかといえば、珍しいケースになってしまった、というところにある。

「因」は、ダルビッシュ初登板を取り上げてしまったところにあるだろう。

その時点でチャンネルを替えてしまった人の方が多いのではないだろうか。

もちろん最初からダルビッシュの試合を見ていた人の方が多いだろうが。

話って、難しいし、怖いね

2012-04-10 12:46:55 | 日記
今朝、私は超早起きしたので、晨朝(お寺での朝のおつとめ)に行ってきました。

で、帰ってくると、8時過ぎ。まぁ私にとっては当然のごとく、8chの「とくダネ」を見ました。

今日はダルビッシュのメジャー初登板の日、ということで、番組内でも「速報」としていくらか放送していました。

そしてエンディング、小倉さんが、

「ダルビッシュが見たい人はそっち見てるから、裏でダルビッシュの事取り上げても無意味だよ」、

とのようなことを言いました。

至極当然。

しかし。

私にとってはそうではなかったのです。

ダルビッシュの試合が生中継されていることを知らなかったのです。

ほどなく、私は生中継の方へとチャンネルを替えました。

うちがチャンネルを替えたからといって、視聴率には影響しないでしょうけど、

私のような人がいくらかは居たのでは?

普段ならそのまま8chなのですが、勿論見ていません。

そして中継延長となり、ゲームセットまで見ました。

さて、「いいとも」かな、と思いチャンネルを替えると、CM。

残念ですが、他の情報バラエティ番組の方に、再びチャンネルを替えて今に至ります。


話って、難しいですねぇ。話って、怖いですねぇ。

因果応報

2012-04-10 00:03:36 | 日記
幾冊かのご本で、仏教についての基礎、をある程度知ることができた。

仏教の基礎には「縁起(因縁生起)」というものがある。

物事は全て、「因(直接原因)」があって、「縁(間接原因)」によって、「果(結果)」が生ずる。

自分に責のある「因」を作り、自分に責のある「縁」ができてしまい、自分に責のある「果」が生じたならば、

それが「因果応報」「自業自得」ということになる。

私自身に当てはまることも多い。

また、「四諦八正道」というものがある。

「苦諦(四苦八苦)」「集諦(苦の原因は煩悩)」「滅諦(煩悩を滅すれば悟りに至る)」「道諦(悟りに至るには八正道をおさめなければならない)」。

浄土真宗では、「自力」とは自らの修行によって悟りに至ろうとするもので、煩悩具足の凡夫には不可能であるとされる。

故に、「他力」=「阿弥陀如来の本願力」によってしか、悟り(仏となる)には至れない。

煩悩にまみれ、「自業自得」の「果」にまみれてしまっている私にさえも、阿弥陀如来は何とか救おうとなさってくださっている。

その阿弥陀如来の喚び声であり、阿弥陀如来に帰依し、阿弥陀如来の本願力によって、

救いにあずかるのが、名号(お念仏)を唱えさせていただくことなのである。

ただ、それをもって、いわゆる「本願ぼこり」に陥るような生活を送ってしまってはいけない。

「悪人正機」、つまりは「善人は救われるが、悪人は勿論救われる」、という言葉から、

無理にでも悪を行おうとするのは、いわゆる、「薬があるからといって、進んで毒を好んではいけない」、

ということである。

まさに私自身も自戒すべき、心がけなければならないお言葉である。

最近の若いもんはわからん

2012-04-07 04:16:51 | 日記
古今東西かわらないのかもしれないが、

人に瞋恚を抱かせて楽しんでいる。

それも自分たちが、対象となった人物が、

「あいつ怒っとる」、

と判じられれば満足なようで、

別にこちらは何とも思ってなかったり、

逆に憐れみを感じていたりしていても、

勝手に、「瞋恚を抱いた」、と判じるようである。


洋の東西を問わず、昔から繰り返されてきた、

若者たちの、「大人への反逆」、というもののうちの、

一つなのかもしれない。

まぁ私も言うほど年寄ではないし、

まだまだ本当に「大人」、と言える人たちから見ると、

まだまだ若輩者ではあろうが。


しかしまぁ、若者のことを嘆ずるのは古代ローマで既にあったことのようであり、

いつかはあの若者たちも、逆の立場となって、

嘆ずることになるのであろう。

「歴史は繰り返す」、と言うが、

こういう習俗的なことも、大昔から、人間は、

「何にも変わっちゃいない」、ということの証左となっているだろう。

これを「進化の停滞」ととるか、「大人への階段として必要な事」ととるかは、

人によるだろう。


いわゆる「カミナリおやじ」というものがいなくなった今、

若者たちは、相手が怒っているのかどうかさえ、判じることができなくなってしまっているのかもしれない。

それはそれで、やはり「憐れ」、であると思える。

まぁ私自体がまだまだ相手に瞋恚を抱かせるような言動から抜け出せていないかもしれないが。

ただまぁ、見ていて、聞いていて、

「憐れな若者たち」、

という風に映ったんだな、私の耳目には。

ショートヘアかロングヘアか

2012-04-04 23:49:47 | 日記
以前書いたかもしれないが、

昔聴いた言葉に、


「女性は長髪にすればごまかせる。

 ショートヘアにすれば本当に、

 きれいか、かわいいか、

 といったことがわかる。」


というものがある。

当てはまらない人や、

長髪の方が似合っている人も沢山いるとは思うが、

一つ例を挙げてみよう。


タレント宇都宮まきさんは、

ロングヘアからショートヘアに変えた。

ロングの時は、

「それほどでもないんちゃう?」、

と思っていたのだが、

ショートにすることで充分に、

「かわいい」、

と思えるようになった。


対して、剛力彩芽さんは、

昔はショートではなかったのだが、

現在はショートである。

私見であるかもしれないが、

「たいしてかわいくない」、

としか思えない。


やはりそれぞれに似合った髪形、

というものがあるのだろう。

交通弱者

2012-04-03 00:20:58 | 日記
エントリが三連続しておりますが。


警察の肥大化、強権化、というのは危ないものだが、

先の2エントリで書いたように、

一方通行の逆走は、夜の方が危ないのではないだろうか。

あのとき、遵法している四輪車がやって来ていたらと思うと、

ちょっとぞっとする。

バイクの方はどうでもいい。

別に轢かれて、飛ばされて、死んでしまおうが、自業自得である。

かわいそうなのは四輪車の方である。

こういう場合、あまり、0対100の責任、とはならない。

四輪車の方にも落ち度があるとして、いくらかの責任を負わされる。

交通法規を守って、普通に車を走らせていた人が、

「加害者」として、裁かれてしまうのである。

ただの「かっこつけ」のせいで、犯罪者になってしまうのである。

そういった人たちが、既に沢山いるのではないだろうか。


「交通弱者」という言葉があるが、

現代は、マイノリティが意外と発言力や影響力を持っていたりする。

マジョリティに押されてしまうよりかは、まだマシな社会であるともいえるのではあるが、

このようなケースでは、「そういう縁であった」、とあきらめるしかないのかもしれない。

一つ前のエントリの補足

2012-04-02 23:15:42 | 日記
ちなみに、一つ前のエントリを、

「珍人」、

としたのは、まさにその言葉通り、

「珍しい人」、

だからである。

一方通行を逆走する車(二輪車も車ですよ)が、

当たり前のようにいれば、事故が絶えないだろう。

逆に、珍しくなければ、危なくて仕方がない。道を歩けない。

まぁ夜だというのと、警察官がいないだろうとの考えによるのだろうが。

善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや

2012-04-02 23:04:00 | 日記
さっき見かけた。


一方通行を逆走する、

「どうや、かっこえぇやろ」、

とでも言いたそうな、

アメリカンスタイルのバイクにまたがった輩を。


これは「悪人正機」の誤った捉え方の、

まさにお手本ではないだろうか。


親鸞聖人は、

「薬があるからといって、毒を好んではいけない」、

とおっしゃっている。

まさにその通りだろう。


私も凡夫に過ぎないので、

何をしようが、

「悪人」、

である。

だからといって、

「一般的な悪」、

というものに走るのは、

まさに馬鹿げているだろう。