或る、統合失調症患者の独り言

Version 23,31. Jeder findet Liebe im Ende. - 宇多田ヒカル(私的ドイツ語訳)

「慈悲」に生きよう

2013-11-12 23:47:42 | 日記
「ブッダの人と思想」は読了しました。

現在、「人生を考える」を読んでいるところです。

結局、「ブッダの人と思想」のまとめは書いてはいませんが、

ここはやはり、放送を見てもらうか、ご本を読んでもらうかして、

納得していただきたいものです。


今の私のスタンスは、

「慈悲」を目指している、

ところであると言えましょう。

先に標榜した「忍辱」と、「慈悲」には関係性があります。

そのあたりも、詳細はご本に委ねることといたしましょう。


「それだけではつまらぬ」、

という人も多いでしょうから、少し、

「ブッダの人と思想」からの最後の引用をして、

このエントリを終えましょう。



ブッダのお弟子さんのプンナが、「ブッダのもとで修行も円成し、

いよいよ伝道の旅へ出ようと」しているところで、

「最後の教誡をブッダにお願いし」、「官感の執着とその止滅を説いたのち」のお話です。


 プンナ「世尊よ、スナーパランタという地方があります。

     そこに定住して伝道しようと思います。」

 ブッダ「プンナよ、スナーパランタの人は凶悪である。

     しかも粗暴である。

     人々が、お前を罵り嘲ったならば、お前はどのように対処するか」

 プンナ「そのときはこのように思いましょう。

     『スナーパランタの人は皆んなよき人々である。

     なぜなら私を掌をもって打つことがないから』と」

 ブッダ「されどプンナよ、掌をもって打ったらどうするか」

 プンナ「私はこのように思いましょう。

     『スナーパランタの人々はみんな善き人々である。

     なぜなら土塊(つちくれ)をもって打つことはないから』と」

 ブッダ「土塊をもって打ったらどうするか」

 プンナ「世尊よ、スナーパランタの人は、杖をもって打つことはないと思いましょう」

 ブッダ「杖をもって打ったらどうするか」

 プンナ「スナーパランタの人は刀剣をもって打つことはなかったと」

 ブッダ「刀剣をもって打ったらどうするか」

 プンナ「もしそうなったらこのように思いましょう。

     『スナーパランタの人はみんな善き人たちである。

     鋭い刀をもって命までとろうとはしないから』と」

 ブッダ「命までも奪うようなことがあったらどうするか」

 プンナ「世尊よ、そうなりましたら私はこのように思いましょう。

     『世尊の弟子の中には苦悩のために刃物をとって死を求めるものもおります。

     私は自分で刃物をとらないで、死ぬことができる』と思いましょう」

 ブッダ「善いかな、善いかな、プンナよ、お前は自制力と安穏な心をもっている。

     お前はスナーパランタによく定着することができるだろう。

     お前のもっとも望むことをやりなさい」
                    ―南伝大蔵経『相応部経典』35-88 取意


 「じつにこの世においては、怨みに報いるに怨みをもってしたならば、

  ついに怨みの息(や)むことがない。怨みを捨ててこそ、息む。

  これは永遠の真理である」      ―「ダンマパダ」5


 「怨みをいだいている人々のあいだにあって、怨むことなく、

  われらは大いに楽しく生きよう。

  怨みをもっている人々のあいだにあって、怨むことなく、

  われらは暮らしていこう」      ―「ダンマパダ」197