或る、統合失調症患者の独り言

Version 23,31. Jeder findet Liebe im Ende. - 宇多田ヒカル(私的ドイツ語訳)

Yahoo批判、いや、非難、かな?~その後

2013-01-31 18:21:17 | 日記
私はこのブログで「Yahoo批判だか非難だか」をしました。

それに対する見解が欲しい、と結びました。

その結果、だと私は捉えますが、反応がありました。


それは、「Yahooテレビ」での「宮崎美子」さんの検索に対して、

以前ヒットしていたものが、突然ヒットしなくなった、

番組情報でも、「宮崎美子」さんの名前が消えていた、

という状況に於いて、放送ではちゃんと、

宮崎美子さんが出演されていた、

というものです。


そして今日、「Yahooテレビ」で検索すると、

同じ番組で、「宮崎美子」さんがヒットしました。

しかし今度はちゃんと、但し書き、がついていました。


「(内容は直前に変更になる場合があります)」、


というものです。

確かに内容変更はありうることですし、

そこに目くじらを立てるのは、

ちょっと大人げない、とも言えます。


この番組は、「あさイチ」、で、生放送です。

内容変更の可能性も、出演者の変更も、余計にあり得るでしょう。


「情報」というものは捉え方によって、どうにでもとれたりするものです。

この、但し書き、は、情報を得る側にとっては、親切だと言えるでしょう。

私はこれで、Yahooへの信頼を取り戻しました。

良い対応をしてくれました、と言いたいです。

六曜にも支配されている日本人

2013-01-30 01:54:29 | 日記
まずこのブログを読んでくれている方なら、

私が占いを全否定していることはご存じであろう。

「科学まがいの不確実な確率統計」、

であることは確かなのだから。

それでもやはり、私にも弱いところがあるせいか、

気にはなる。

でもそれは、簡単に説明すれば、単なる、

「暗示」「自己暗示」「占い師のコントロール」、

に過ぎないことは確かである。

「○○の母」、何て呼ばれていたりする人たちがいるが、

それは単に、その占い師の人生経験から出た、

「アドバイス」「助言」、

であるだけのこと。

そういう有名な人たちの言葉は、確かに人生経験に裏打ちされた、

「大いなる指針」、

であることには間違いない。

ただ、「占い」、と標榜することで、

胡散臭くなるだけである。


ところで、日本は七曜制である。

欧米各国にならったためか、世界的にこの、

「キリスト教的世界観」、

というものがスタンダードとされている。

単に、旧約聖書の創世記における、

「神」の世界創造神話にならっているだけなのだが。


それに対して、元々日本では、六曜制が使われてきた。

「大安」「先勝」「先負」「友引」「仏滅」「赤口」、

の六つである。

でも七曜制になったにもかかわらず、

未だにこの六曜制を気にする人が、かなりいる。

「結婚式は大安じゃなきゃダメだ」とか、

「葬式は友引にしちゃダメだ」、という風に。

以前から言っているように、日本は、

「多宗教徒」の国である。

だから、いろんなものを取り込んでは、

自分たちのものにして、使ってきた。

しかし最近は、六曜を気にしない人もいるようで、

「安いから仏滅に結婚式」、

などという話もよく聞く。

これも逆に六曜に支配されている、

と言えなくもない。


で、何が言いたいかというと、

そんなに気にする六曜のくせに、

あまり日常では正確な意味を把握していない人が多い、

という事である。

六曜に従えば、大安がいい日、というのはまぁその通りなのだが、

後は仏滅が悪い日、友引は友を引く、

位しか知らないのではないかと。

「悪い日」は仏滅だけではない。

聞きなれないかもしれないが、

「赤口」(しゃっこう)、

も悪い日なのである。

ただ、赤口の日は、

「正午だけ良い」、

というちょっと考えれば、

「なんやそれ」、

な日なのである。


カレンダーにはご丁寧に六曜が記されていることが多い。

あなたは、赤口の日、正午に何をしますか?

正午だけが良い日。そこまで限定された日に一体何をすればよいのか。

だから私は、暗示的な影響を受けつつも、

「わけわからん」、といった考えのままでいる。

Yahoo批判、いや、非難、かな?

2013-01-29 10:32:14 | 日記
Yahoo批判だか非難だかをさせてもらいます。

Yahooのブログでした方がいいんでしょうけど、

一度使った時に、ミスをしてしまって、

多分情報漏えいの元となっているはずで、

ちゃんとした消去の手続きを踏まずに閉鎖してしまい、

そのままとなっているので、ここでさせてもらいます。


Yahooのサービスのうち、私は、

「Yahooテレビ」をよく使います。

それによってほかのサービスも副次的に利用するわけですが、

この「Yahooテレビ」がちょっと、

「意図的な操作」、

をされた形跡があったのです。


私は宮崎美子さんが好きなのですが、

Yahooテレビで、出演番組を検索して、

見るようにしています。

ところが、今日のNHK「あさイチ」へ出演、

との検索結果が以前より出ていたにもかかわらず、

昨日から、「ゲストはつるの剛士さん一人」、

ということになっており、

宮崎美子さんではヒットしなくなっていたのです。

調べてみると、確かにYahooテレビの番組情報には、

1月29日の「あさイチ」のゲストは、「つるの剛士さん一人」、

になっています。

これではヒットしないわけです。

しかし、この番組に、「ゲスト一人」、というのは少し違和感があります。

基本的には二人のゲストが出るはずです。

で、どうなのか、と一応今日の「あさイチ」を見てみました。

すると、ちゃんと出ているじゃありませんか、宮崎美子さんが。

どこの「意図」だかはわかりませんが、

何らかの「操作」があったことは確かです。

これはメディアとしての信頼を失墜させる行為です。

元々出していた正しい情報に対して、

何らかの「意図」が加わって、「情報操作」を行った、

としか思えません。


この事を、Yahooの人たちはどう考えるのでしょうか?

「一つ疑えば、全てが怪しく思えてくる」、

という事は別に最近のことではなくて、

人間社会で昔からあることです。

Yahoo自体に対する不信感が出てきてもおかしくありません。


この事に対する見解を聞きたいですね。

「迷惑メール」というか「アホかメール」

2013-01-29 06:19:17 | 日記
「迷惑メール」というのもなんか手あかにまみれてるし、

内容的にも、


「こいつらアホか?」


と思えるようなメールが、同じアドレスから2通来たので、

晒しておこうと思う。


love@sf-tn-ti.net


 一通目はよくある「エッチ出来る」というやつ。

 「パイパン娘でも嫌な顔せずに抱いてくれる?」、

 なんて書いてありますねぇ~。

 「アホかメール」、ですねぇ。


 二通目はカネが手に入る、ってやつですね。

 「後、半年しか生きられません…」、

 なんてタイトルですよ?

 「無償遺贈9400万 椿山様より」、

 と始まってますねぇ。

 もともと「遺贈」に対価って求めますか?

 「死ぬ前にこの為に「9400万」を処分したい、

  受け取ってくれませんか?

  今なら返答後30分以内には送金が可能です。

  要約してますので一先ず」、

 とあって、

 「↓続きはコチラ≪無料≫」

 の下にURLがあります。


 このメールの決定的な間違いは、

 「遺贈」、

 と書いてしまったこと。

 「遺贈」とは、遺言によって死後、

 法定相続人以外の者への財産分与を行うもの。

 このメールで書くべき言葉は、

 「生前贈与」、

 ですね。「アホかメール」ですねぇ~。


で、両者に共通して文末に、

 「キャンペーンお問い合わせ・各種ご質問・メール停止」

と、メアドがあります。

「エッチしてください」というのと、

「お金もらってください」というのが、

全く同じ、

「キャンペーン」、

ってーのがまた、

「アホかメール」臭、

を漂わせていますねぇ。


「このメールは当番組へのご登録者にのみ配信されております」、

ともあります。

別にどこにも登録した覚えなんてないですが?


おまけに、「番組」、という言葉を使っている以上、

何らかの「番組」を開設している、

というのが前提になってますねぇ。

「番組」に登録したら、エッチも出来て、カネももらえる、

ということですか?「アホかメール」丸出しですねぇ。


そして、多分、「番組」を配信しているんだろう、

「配信先:Glory」という名前と、URLがあります。


まぁなんて、「アホかメール」、なんでしょう(笑)

健常者も見方は偏狭

2013-01-28 22:21:53 | 日記
このエントリは、一般論で書いてみる。


障害者のものの見方は偏狭である。

しかし、健常者もものの見方は偏狭である。


障害者は自らが正しいと思い、考え、発言する。

健常者も自らが正しいと思い、考え、発言する。


障害者は社会的弱者であり、マイノリティである。

健常者はマジョリティである。


だから、社会的弱者であり、マイノリティである障害者に対して、

マジョリティであるがゆえに、健常者は、自らの持つ、

「正しい思い、正しい考え、正しい発言」を、

「真に正しい」と錯覚したまま、マイノリティである障害者へ、


「自らにとってだけにしか過ぎない正しさ」、


による言動を、「マジョリティの強み」、によって行う。


一つ前のエントリはその一例と言えるだろう。

その「健常者の歪んだ正しさ」が、差別を生み、偏見を助長する。

そんなものが、「正しい」、と言えるだろうか?

ただの自己正当化に過ぎない。

単に、マジョリティであるから賛同者も集まりやすく、

加速度的に、「歪み」、がひどくなっていく。


昔に比べれば、大分マシになったかもしれないが、

まだまだ差別や偏見は根強く残っている。

そういったものをなくしてこそ、

「自己正当化による正しさ」「マジョリティを理由にした正しさ」、

というものが、

「真の正しさ」、

へと変貌をとげていく。

偏見を持っているヘルパーの暴言

2013-01-28 20:11:36 | 日記
とあるヘルパーが、とある精神障害者に言った、暴言。


「私も障害者になろうかなぁ~」。


強烈な差別表現であり、偏見を持っているとしか思えない。

これは、○○の○○病院グループに勤める一ヘルパーの言葉である。


(筆者注:原文では実名を出していましたが、諸般の事情に鑑み、伏字としました。)

十分「迷惑メール」に分類されるようなものも出てきました

2013-01-26 05:51:00 | 日記
ここ一週間ほど更新してませんでしたが、

これって、「リア充」?

よく分かんないけど、なかなか楽しく、

充実した一週間であったと思います。


さて、適当な英訳はやめておいて、

やっぱ、「迷惑メール」と言っておきましょう。

その方が通りもいいし、別に英訳語をはやらしたいわけでもないし。

一週間で、たまってますよ、「迷惑メール」。

ではそのメアドをば。


huku@onigumo.biz

support@kuroudo.mobi

from@bethlehemn.com

africanus@ronzu.net

brilliantos@makuro.biz

cherryer@roujin.mobi

mili@yamakaji.mobi
 馬券の予想という、「公営・公認バクチ」の上に成り立つという、「二重の犯罪」とも言えますな。

tell@tansui.mobi
 ここがよく来ますね。前回書いた、「迷惑メールなどは一切送りません」、と明言した、
 「フェラチオ訓練用男性募集」です。名前は、、、もう忘れちゃいましたけど、
 別のメアドで同じ内容で、何通も来てます。上記のメアドの中にも、
 入っているはず。そういうのを、「迷惑メール」というんですよ?
 送っているあなた、「ニホンゴ、ワカリマスカ?」


とっくに削除してしまっているので、

内容の確認は最新のものしかできてませんが、

大体似たりよったりというか、

ありていなものばかり、ですな。

だからこそ、

「迷惑メール」、

なのですよ。

まぁ有名な話かもしれんけど

2013-01-18 00:42:07 | 日記
 「大島優子に「児童ポルノの過去」と文春報道 そんなにヤバいDVDなのか

  2013年1月17日(木)19時41分配信 J-CASTニュース」

を読んで。


記者が見た限りでは、それほど「性的」ではなかったという。

文春が勝手に、「えぇネタ見っけた」、とでも思ったのだろう。

そんなこと言い出したらもっと凄い過去を持つ女優がいる。

有名な話かもしれんけど、「栗山千明さん」である。

子役の頃、ヌード写真集を出している。

買ってもいないし、情報として知っているだけだが、

まぁこっちのほうが「凄いこと」、だと思う。

「迷惑メール」とは言わずにおこう

2013-01-17 21:12:56 | 日記
「迷惑メール」とは別に思ってなくて、

削除と受信拒否だけでやってけるんやけど、

どうも「迷惑メール」と呼ばれるのが嫌な発信者もいるようで、

言い方を変えておきましょう。


 "Unilateral e-mail(s)"、


これならどうでしょう?当てはまっているような気がしますが?

では、また来ているunilateral e-mailのアドレスを公開しましょう。


support@kuroudo.mobi

 こちらは「性サポートスタッフ募集」という題で、

 性的なお仕事の勧誘です。


huku@onigumo.biz

 こちらは宝くじの「ロト」を利用した、「副業の募集」という形をとった、

 「詐欺的なもの」、と思われます。


hojo-boshu@waipper.net

 こちらは「[男性限定]フェラ練習補助スタッフ募集」という題で、

 そのままの内容です。ただし、このメールに、

 「当サイトでは突然料金が発生したり迷惑メールをお送りすることは

  一切御座いませんのでご安心下さい。」とあったので、

 "Unilateral e-mail"という表現にしてみました。


これらのunilateral e-mailはやっぱり受信拒否した方がいいでしょう。

「共通語」の功罪

2013-01-16 04:57:44 | 日記
前のエントリで、「共通語」、を悪しざまに言っているように捉えられているかもしれない。

しかし、何事にも良い面と悪い面があるように、

「共通語」にも良いところはある。

それは、日本人、というか、日本の教育を受けてきた人たちは、

意思の疎通が簡単に行えるようになった、ということである。

江戸時代、よそ者を見分けるために、その地の言葉を分かりにくくした、

という経緯がある。

だからよく、「方言」、というと、「他の地域の人にはわかりにくいもの」、

というイメージができた。

それが「共通語」教育によって、垣根が低くなった、と言える。

ただ、そういった「功」の部分は、現代に於いて、「当然」とされてしまっている。

これは、放送通信技術の発達により、各家庭の中に、

メディアによって「共通語」が入り込んできた、ということによる。

つまり、これは「罪」の部分になるのであるが、

各地の「地の言葉」がすたれ、「共通語」で日常会話も行われるようになってきてしまっている、

ということである。

各地の特色が無くなり、言葉の文化が平板化してしまう危険性がある。

だが、さすがにみんながみんな、わかりやすく「共通語」に日和っているわけではない。

減っていく傾向にあるとはいえ、地の言葉の語彙、というものが、

まだ何とか残ってはいる、というところである。

前のエントリで書いたように、アクセントやイントネーションが、

完全には「共通語」通りになっているわけではない、

というのも一つである。

「共通語」を理解し、使えてはいても、

普段は、地の言葉の色を帯びた「共通語もどき」や、

地の言葉のまま、だったりすることもある。


前のエントリで結んだように、言葉は進化する。

日本画一の言語、文法、などといったものが作られ、教えられたとしても、

ある程度、地の言葉は残り、また新しい言葉が作られていく。

文法だって「共通語」とはかけ離れていくかもしれない。

そうなれば、その時点での「最大公約数の言葉」が新しい「共通語」となるだろう。

以前書いたかもしれないが、「日本語」について

2013-01-16 03:44:00 | 日記
以前書いたかもしれないが、よく、

「日本語の乱れ」、

というものが指摘される。

これがちょっとおかしい、と私は思う。


「言葉」、というものは、時代によって変化していく。

今の時代で、「古語」、と言える、平安時代の言葉を日常語にしている人がいるだろうか?

いたとしても、理解できない部分が多いだろうし、「変人」、扱いされてしまう。

明治時代ぐらいの言葉でも理解できない部分があったりするのに。

本気で、「乱れている」、と思っているのならば、

太古の、「やまとことば」、だけで現代社会を生きてみてほしい。

漢字も使えない。そこから出来た、ひらがな、カタカナも使えない。

全て音声言語でやっていくしかない。記録も出来ない。

漢語(熟語)も使えない。カタカナ英語も和製英語も使えない。

そんなことでは日常生活など送れない。


また、「乱れている」、とは、何に対してか?という事がある。

「共通語」(私は「標準語」という言い方が嫌いなので、こう書くが)でなければ、

「乱れている」、のか?

では、各地方の言葉、いわゆる「方言」は、「乱れた言葉」、なのか?


もともと、「共通語」自体が、「方言」であることぐらいはわかるだろう。

「東京の山の手言葉」、をベースにして作り上げられた、

「方言」、なのだから。

ただ単に、全国共通の言葉として、「共通語」で会話できるようになった、

という利点があるだけで、「共通語以外は方言」、といった考え方が、

間違った「刷り込み」、を行っていることになる。

それに、「共通語」、として使っている言葉も、

各地方によって、アクセントやイントネーションが違っていることが、

多々ある、という認識は皆さんも持っているだろう。

「共通語」=「日本語」、というのは、幻想である。


「乱れた言葉」ということでいくと、よく言われることがある。

「日本語の誤用」である。

例を挙げれば、「一所懸命」と「一生懸命」、「的を射る」と「的を得る」、

「ら抜き言葉」、など。

聞いた話だが、「50年使われ続けていれば、日本語として認められる」、

そうである。

上記のうち、「一生懸命」「的を得る」はもう認められているかもしれない。

「ら抜き言葉」はまだその段階ではないかもしれない。


しかし、日本語の特徴として(他の国でも同じかもしれないが)、

「略語」というものが多い。

確かにいちいち長ったらしく言っているより、相手さえ理解してくれれば、

その方がはるかに効率的である。

実際に、「日本語の経済化」、というものが昔からあり、

略して効率的に伝える、という事は長らく行われてきたことである。

最近の例を挙げれば、

「気持ち悪い」→「キモい」→「キモ」、

とどんどん短くなっていく。この略語を理解できない人は少数派であろう。

だが、「これは最近の若者がやっていることだろう?」、というあなた、

そういうあなたも極端な略語を日々使っていることに、お気づきであろうか。

簡単な例を挙げれば、「サヨナラ」。

この言葉を言っていない人は少ないであろう。

もちろん別れの挨拶である。

「ではその意味は?」と聞かれれば、それこそ、

「慣用表現だ」、

と答える人が多いのではないだろうか。

海外にも流出している、「サヨナラ」という言葉であるが、もとをただせば、

「左様ならば失礼仕る」(さようならば、しつれいつかまつる)、

である。

現在、あなたは「サヨナラ」と言っているだろうか?

それとも、「左様ならば失礼仕る」、と言っているだろうか?

「サヨナラ」は前半分の「左様なら」から更に、「う」が抜けている。

「ら抜き言葉」を批判できる人がいるのであるか?


このように、「日本語の誤用」「日本語の乱れ」、

などといったものは、

「日本語の進化」、

とでも言うべきものである。


日本語学者(「国語」という言葉も嫌いなので、こう書いておく)が「誤用」と認めれば間違っていて、

「慣用」と認めれば「既に日本語である」、

との考え方に慣らされているだけなのである。


ただの「幻想」である。言葉は日々進化する。

「ホンマでっかTV」批判

2013-01-12 00:20:27 | 日記
「市原隼人がフジテレビ番組にブツブツ 「自分の発言が編集され意味が違う内容になった」

 2013年1月11日(金)19時26分配信 J-CASTニュース」

を読んで。


失望した。


この記事内で、「ホンマでっかTV」は、

「情報バラエティ」、

と書かれている。

広義の「情報」として捉えれば、そうなのかもしれないが、

見ている限り、

「科学バラエティ」、

という形にしておきたいように思える。


「コメンテーター」としてずらりと並ぶ人たちを私は、

ほとんど、「科学者」と認識している。

実際に、市原さんの質問に対して答えている方々は、

「生物学者」と「脳科学者」である。


では、「科学」とは何か。

先人たちの積み重ねてきた業績の上で、

今を生きる「科学者」が、「仮説」「研究」「結果」を経て、

更に積み重ねていく、

ものだと思っている。

「コペルニクス」「ガリレオ」「アインシュタイン」、

といった、「前提」を一気にひっくり返してしまうような人もいるが、

それでも「科学体系」として、「実証」されることにより、

「科学」として認められてきた。

そこが肝、なのである。


「前提」「仮説」と「結果」「結論」だけを言っていただけでは、

「科学」とは認められない。

そこに至る、「過程」、といったものが公になっていなければならない。


どうしても私たち現代人は、性急に、「結果」「結論」から、

「新しい何かが生み出されること」、

を求めすぎていると思う。

これは現代の「病理」かもしれない。


実際に、収録では、「哲学的な会話」というものがあったらしい。

それさえあれば、真に、「科学的」、と言えるだろう。

だが、現代人は性急である。だから編集されてしまった。

しかも、「科学バラエティ」ではなく、「情報バラエティ」と捉えられているとすれば、

「とくダネ」や「スッキリ」と何の変りもない。「科学」ではないのだから。

ただの「情報の一部」にしか過ぎないのだから。


はっきり言って、制作者サイドが悪いと思う。ディレクターなど。

番組の最後に、

「番組中の説は、一説であり、『ホンマでっか』という立場で見てください」、

との趣旨の文が挿し込まれている。これは「免罪符」に過ぎない。

このラストの文章によって、制作者サイドは、

「科学上の一説を話されたのですよ」、

と言ってるのと同じことになる。

「情報バラエティ」にはこんな文章は必要ない。

制作者サイドとしては、根本はバラエティでありながらも、

「科学的な知見」というものが入れば面白い、とでも考えたのだろう。

しかし、それによって、馬脚を現すことになる。

「科学者」たちが、「自説」にのっとって(広く「科学的に正しい」とされているものもあるが)、

好き勝手にしゃべっているのを、

さんまさんが、「バラエティ」として処理する。

そこへきて今回の、「制作者サイドの恣意的な情報操作」、

が行われたわけである。


今までも、もしかしたらそういう編集方針だったのかもしれない。

ただ、今回は、ゲストの意図とはあまりにもかけ離れすぎている編集をしたがために、

ツイートされてしまうこととなったのだろう。


私はこの番組が好きだった。面白いし、意外なことが「科学」に於いて実証されているのだな、

と思っていた。

これは私の過ちでもある。


「メディアは第四の権力であり、どのような場面に於いても、簡単に、鵜呑みにしてはいけない」、


という事をすっかり忘れていた。


こんなことがあるから、最近の私は、

「NHK見よ」「本読も」、

となってしまうのである。

フジテレビでは特に、視聴率戦争に負けてしまい、

「どうしても数字のとれるものを。どうしても面白いものを」、

と躍起になっているのはわかる。

しかし、視聴者まで巻き込まれてはかなわない。


視聴者が本当に見たい番組。


テレビマンならそこをよく考えてくれればえぇのにねぇ。

「ノー・コメント」というコメント

2013-01-09 21:43:02 | 日記
よく、「ノー・コメント」、という言葉を聞く。

しかし、本人が、


「ノー・コメント」、


と言ってしまえば、


「ノー・コメント」、というコメントをした、


と捉えられても仕方がない。

本気でノー・コメントを貫きたければ、


何も言わないこと、


しかない。

それなら後で、


「ノー・コメントでした」、


と報道されても、本当の、


「ノー・コメント」、


という態度をとったことになる。

内罰的、外罰的、無罰的

2013-01-05 00:47:38 | 日記
このブログを読んでいる人のほとんどは、

「こいつは他人のせいにしたがる」、

「極論ばかり言いやがる」、

「変な奴」、

と、批判か笑うかのどちらかであろう。


確かに私は外罰的と言われても仕方がない文章を連ねている。

今の本性がそうである、と言われれば、そうかもしれない。

しかし、私は元々、内罰的であった。

それがいつの間にやら、自分ではなく「外部」に対して原因を求め始めた。

それでもまだ内罰的なところがなくなったわけではない。

内省を全くしない、なんてことはない。

ただ、こういうネット空間に於いて、好き勝手にものが言えてしまうご時世、

「自分には責任がない」といった「正当化」が行われるのも、

「無責任さを伴った攻撃性」がお手軽に公に出来てしまうことで、

「外部への攻撃性」へと転嫁していくのも、自分としては、

客観的に見ても、道徳心はないかもしれないが、

「人間として取り得る行動(言論)の一つ」、

と思えるのである。


そして、春から学び始めることになる高等教育に於いて、

私の言論が変わる可能性が、皆無、とは言えない。

実際、ことばあそび、と捉えられているかもしれないが、

今度は、無罰的、になりつつあるような気配もある。


科学的に物事を考えていくようになれば、

内罰的な内省も、外罰的な攻撃も、無罰的な言論も、

無くなる可能性がある。


実際に、テレビ番組について、好意的な発言をしているエントリもある。

逆に特定団体に対してむき出しの攻撃性をぶちまけているエントリもある。


初心に立ち返ってみると、ここはそれほど無道徳なものが許されるような場所ではない。

「批判」はあったとしても、「攻撃」と取れるような言葉を連ねるような場所ではない。

ここは、公、であることを、まず意識していなければならない。

どうも、私的な考えを思いついては書きなぐっている、としか取れないブログである。

そして、意外とそういう方がアクセス数も、訪問者も、多かったりする。

もちろん私は多数派ではないだろうから、少数派のなかでも、「突飛な」文章を書いた方が、

「意外と人々の興味を惹く」、ということに慣れてしまった、

あるいは、満足してしまっている、と言えるのかもしれない。


ちょっと現在の自分を、客観的に見てみた。

まだまだ外罰的な文章を書く事があるかもしれないが、

最低限の「道徳心」といったものは失わずに書いていきたい。