或る、統合失調症患者の独り言

Version 23,31. Jeder findet Liebe im Ende. - 宇多田ヒカル(私的ドイツ語訳)

まぁ、いろんな人がおるわな

2011-07-25 21:22:43 | 日記
ナイナイの岡村はんに殺害予告?

それもどっかの区役所に?

なんのこったか。


詳しい事は判らんけど、岡村はんを何で狙うんだか。

どうせなら政治家にやってみろ、って思うけどね。

フジと関テレは仲が悪い...ってホントやんね?

2011-07-18 20:40:07 | 日記
一応系列局としては同じやけど、フジテレビと関西テレビって、仲が悪い、って聞いたことがある。

実際、フジが2時間特番を打った時に、前とか後とかの時間帯が、関テレ枠だった場合、

タイトルは変わらずに、「...スペシャル!」、なんて言いながら、関テレでは普段と同じ1時間だったりする。

編集かカットで何とかしてるのかな?

今、「HEY HEY HEY 生放送SP」やってるけど、これは、生。

どうするのかなぁ?と思っていたけど、タイトルコールもなく、いきなり生番組が始まった。

生放送までそう来るか、って感じやね。でもまぁ関テレにも言い分があるのかもしれんけどね。スポンサーの問題とか。

関テレでは7時台は、「冒険チュートリアル」をやっていた。

そっちの方が数字がいいのかな?単に一貫性を持たせたいのかな?

てかやっぱ、仲が悪いのかな。

どちらにせよ、7時台には私はMBSを見ていたけどね。

現在の宗教的立脚点。だけど雑文もあるか

2011-07-16 00:46:56 | 日記
まぁ誰が見ても分かるように、最近のエントリは、宗教についての事が多い。

まだまだ各宗派の経典などをちゃんと読みこなしたわけではないので、

これから方向性が変わることも多々あるかもしれないが、

今のところの、私の宗教的土台を記しておこうかな。

まず、Tolstoi。一応ある程度は読みこんだものの、キリスト教からは離反した。

ただ、あるサイトにまとめてあった、トルストイ主義、の抄は現在でも私の中に生きている。

基本二つなのだが、もう一つは入れようかどうしようか迷っているところではある。

まず、「悪に抗うことなかれ」。つづいて、「戦うことなかれ」。あと微妙なのが、「怒るなかれ」。

最後のがちょっと引っかかっているのではあるが、仏教にも「不瞋恚」というものがあって、共通している。

うむ。一寸まだ考えておこう。

続いては仏教。自己的密教、と言ってもいいものなので、密教の本質である師資相承とはかけ離れてしまっているし、

経典だけで、実践が伴っていない。まぁ、それもまた自己流だからいいかな、なんて軽く受け流してしまっているところもあるが。

まずは、「愛染信仰」。続いて、「理趣経信仰」。最後に、「現世浄土主義」。

どっぷりと現世利益にハマってしまっているが。

最後の「現世浄土主義」は、TBS系列の「世界遺産」で放送された平泉の回を見て、

「これは六道が現世に起こる様々なことで、皆の目指すべきは、現世での極楽浄土、ではないか」と思えたから。

実際に「修羅」なんてちょくちょく見かけるしね。

そして、儒。

今までは一切興味を持ったことがなかった。だからなんとも思わなかったし、読むこともなかった。

何きっかけか忘れてしまったが、「大学」、「論語」ときて、ここで中断。何かわからんようになったから。

ただ、そこまでの間では、「修己治人」と「恕」が共感できた。

ただ「修己治人」の場合、自分的には「格物致知」「修身」が目指すべきところだと感じた。

そんな「治国」や「平天下」何て大仰なことは、私には関係の無い事だと思える。

「恕」は実は書籍から得た知識ではない。NHKの「論語講座」に出てきたのを、

「あ、これは必要やな」と思えたもの。言い換えると「思いやり」になる。

まぁなかなか難しいんやけどね。何か変にえぇことするのって、こっぱずかしい気がせんでもない。

扨、最後は老荘思想。

昔、何度か挑戦したことはあったものの、全て玉砕していた。

今回はまぁなんとか行けそうな感じがする。

今のところまだ老子の途中までしか読んでないけど、

一つ共感したのは、「無為自然」。実際には政治的な意味じゃなくて、「ありのままの姿、生き方」のようである。

これはちょっと前から心がけているものに近かったので、

「こんな昔からこういうことがあって、似たような解決策を考えついてたんやなぁ」と思った。

ま、今のところはそんな感じかな。

また、大転回、とかあったりして。あ、あと、「無為自然」は、確かに人工的なものは排除できないが、

できるだけ少なく、自然に満ち溢れたところに行ってきたことも影響している。

自然って、いいなぁ。でもそこで生活するとなると大変なんやろうなぁ。

人工物の中に閉じ込められてはいるものの、生活と言えば、やはり都会の方が便利やね。

でもやっぱ、人生の終焉は自然の中で迎えたいね。

何だかわかんねぇけど、書いてみた

2011-07-15 23:45:47 | 日記
今の私は、各宗教のえぇとこどりをして、自分に合った、思考・思想体系を作ることが目的。

こういうのを、「新宗教」とか「新々宗教」とか「セクト」とか言うのかな?

まぁ何と言われても構わない。老荘思想の「無為自然」、つまりは、「あるがままに生きる」、というところが支えになっている。

各宗教には、他宗派を認めないものもあるだろうが、広義のエキュメニズムと言ってしまえば、反論はできないのではないだろうか。

日本ではまず他教排斥なんて、できようがない。今までの歴史が物語っている。

はっきりいって、今の私のように、他文化のえぇとこどりをして、ここまでやってきたのだから。

クリスマス、バレンタインデー、ハロウィン、神社参拝、葬式仏教、ごちゃまぜである。

まぁ日本の場合は、「八百万(やおよろず)の神」という神道がベースにあるので、

どこのどんな宗教だって、宗教行事だって、簡単に受け入れられる。

本当に信心深い人は、一つの宗教に一生を捧げるのであろうが、

結婚式でさえ、キリスト教式、神前結婚、仏前結婚、人前結婚、など、特に信仰など無いようなことになっている。

江戸時代の朱子学、明治から昭和にかけての国家神道、一応は一つ所に抑え付けられてはいたものの、

ある程度の自由はあったのではないだろうか。

敗戦後の資本主義的緩やかな社会主義をとってきた日本としては、

これまた、なんでもあり、といえるのだろう。

ただ、出る杭は打たれる。

緩やかな社会主義だからね。

年功序列も、学閥も、「いい子」にしていれば、平穏無事に人生を送る事ができた。

でもそれも、昨今は違う、と言えるのだろう。

「規制緩和」、「能力主義」といったものが主体となってきた現在においては、

色々と大変なこともあるのだろう。

だいぶ話が脱線してしまっているが、元々何を書こうとしたのか、わすれてしまった。

こんな風に本義を忘れて、横道にそれがちなんだな。私は。

だからこそ、「ちゃんとした文章」ではないし、meine Meinungを書く、と、最初に書いておいたわけだ。

しかしまぁ、こんなブログもエントリがかなり多くなってるなぁ。

これって、ストレス発散?

ま、書きたい時に書きたいことを書くという、あたりまえなことをしているだけなんだな。

一寸この文章は、タイトルが難しいぞ。まだ考えてないんやけど。

タイトル書いたらすぐにアップするか。もう日付も変わるし。

じゃ、そゆことで。

知らぬ間に、「無為自然」的だった。でも、「人工物」に囲まれてしか生きてはゆけぬと思うが

2011-07-15 22:48:07 | 日記
Ich lese jetzt "Lao Zis Daodejing"

Ich höre es unterwegs auf, "Lunyu" zu lesen.

Ich lese "Lao Zis Daodejing",

dann werde ich wieder "Lunyu" lesen.

Ich dachte daran, die alte chinesische Sprache lernen zu müssen,

dafür muss man die alte japanische Sprache lernen.

Aber man kann die Bücher mit der modernen japanischen Sprache lesen.

Alles fing Tolstoi an.

So, ich lernte Buddhismus.

Ich vergesse, wann ich Konfuzianismus und Taoismus lernte.

突然思い出したもんで

2011-07-11 21:46:27 | 日記
昔に思いついたもんやけど、一定時点以前のノート類は全て処分してしまったので、手許にない。

だからちゃんとした確認はできないんやけど、さっき思い出したことがあったので、ちょっと書いておこうかなと。

いわゆる「魔法」の素として、「マナ」とか「気」とかがゲームにも出てきたりするけど、

その一種として、「宙(ちゅう)」というものを考えた。

その地にある「宙」を使って魔法を使うわけなんやけども、

そういった技術を持つ人々を、「宙師(ちゅうし)」と呼ぶ。

その「宙師」のなかでも頂点に立つ者は、「宙帥(ちゅうすい)」と呼ばれる。

なんか国を二分する宙師たちの争いがあって、

最終的に双方の宙帥同士の対決、みたいな。

何かそういう風に思い出していくと、小説だったのかなぁ、何て思ったりもするけれども。

まぁそっから先は殆ど思い出せないんやけど。

古文・漢文あきらめました

2011-07-04 06:47:48 | 日記
Ich dachte noch einmal an mich.

Ich verschwende meine Zeit u.v.a. dafür,

die Sprachen der alten Zeit zu lernen.

Das ist wahrscheinlich Unsinn für mich.

Ich bin nicht so weise.

Es ist genug für mich,

die Bücher mit der jetzigen Sprache geschrieben zu werden.

Es ist am wichtigsten, Buddhismus, Taoismus und Konfuzianismus zu lernen.

Also lese ich jetzt nur die Bücher, die mit der jetzigen Sprache geschrieben werden.

Andere Zeit ist für T-chan.

Für alle Zukunft liebe ich nur T-chan.

ブログタイトルとかけ離れて幾星霜

2011-07-02 07:39:42 | 日記
そういや、殆どDeutschを使ってないなぁ。

まだトルストイ主義の頃はともかく、

最近はどちらかと言えば、東洋思想の方に行ってるからなぁ。

一応、現在のよって立つところを列挙してみると、

トルストイ主義(抄)、仏教(主たるものは愛染信仰)、老荘思想、儒学。

で、ようやく儒学をかじり始めたわけだが。

今のところ、なかなか良いではないか、というのが感想。

「修己治人」がまず初めの目標と言えるのかな。

まぁ政治家とか、人の上に立って仕事をするようなことは考えてもいないので、

もっぱら、「修己」の方に重きが置かれることになるとは思う。

ともかく、そろそろブログタイトルも変えないかんなぁ。