或る、統合失調症患者の独り言

Version 23,31. Jeder findet Liebe im Ende. - 宇多田ヒカル(私的ドイツ語訳)

正常と異常

2011-09-17 22:44:08 | 日記
人間にとって、「正常」とは何か?、「異常」とは何か?

結論から言ってしまえば、「全人類が皆、異常である」、と言える。

本当に、自分が「正常」だと言える人がいるだろうか?

いたとしたら会ってみたいし、「なぜそう思うのか?」、と聞いてみたい。

まず、「平均的な人間」、などというものは、単に、統計上導き出された「架空の人物」であって、実在しない。

全ての項目において、「平均的」などという事は、確率的にもあり得ない。

いわゆる「偏差値」などと言うものがあるが、全てにおいて、一生を通して、「標準」、などという人は、

逆に、「異常」な存在であると言える。

そして、「標準」でなければ、「異常」なのである。

つまり、全ての人は、「異常」なのである。

「常」というものをどう捉えるかによって、その人にとっての「正常な状態」が存在し、

同じように、「異常な状態」が存在する。

例えば、慢性胃炎の症状が出ている人、精神病に起因する症状が発症している人、風邪症候群に罹っている人、などなど、

みんな同じくして、「異常な状態」である。

慢性胃炎を持ちながらも無症状な時、精神病でありながらも、それに起因する症状が出ていないとき、

風邪症候群がおさまった時、みんな同じくして、「正常な状態」である。

このように、ただ単に、「正常な状態」と「異常な状態」が存在するだけで、

「全人的に正常」、などというものはあり得ない。

ただ単に、「異常な状態」にいる人に対して、「正常な状態」にある人が、

ときに、差別、偏見で、「異常な人間だ」などと言っているに過ぎない。

また、差別、偏見でそのような言動を自己正当化している人たちは、

「正常な状態」だとはいえない。「同じ穴のムジナ」。その人たちも、「異常な状態」にあるのである。

つまり、「全人類は、異常者集団」なのである。

お揚げさん

2011-09-17 08:03:51 | 日記
ミツカンのCMで、「お揚げで包んでいないのに、稲荷と言えるのか?」、

とお茶の間に問いかけるものがあるが、

「十分、『稲荷』と言える」、と思う。

「稲荷」と言えばお揚げさんだが、

これはお稲荷さんのお使いである狐の好物が、

お揚げさんとされていることによる。

つまり、お揚げさんさえ使っていれば、

「稲荷」と言っても別に不思議ではない。

別にお揚げさんで包んでいる必要はない。

あれは、「稲荷『寿司』」、と言うんだから。