或る、統合失調症患者の独り言

Version 23,31. Jeder findet Liebe im Ende. - 宇多田ヒカル(私的ドイツ語訳)

煩悩の発露

2011-10-28 07:49:54 | 日記
一つ前のエントリで、

「身の回りの些細なことで、一喜一憂して」いる人たちがいる、と書きました。

「私もそうだ」とも書きましたが、この考え自体が、私の煩悩の発露かも知れません。

「この身そのままで、浄土へ往生させていただける」、という根源から言えば、

「身の回りの些細なことで、一喜一憂」することは確かに煩悩から出たものかもしれませんが、

それを指弾することは、全く意味が無いというか、阿弥陀様のお考えから外れてしまっているのかもしれません。

私はまだまだ入門者、と言えるような立場なので、あのようなことを言うのは、まだまだ時期尚早だったかもしれません。

まだまだ私はみ教えに対して、半歩入ったかどうか、というようなところで、傲岸不遜だったかもしれません。

もっと精進して、皆さんへ仏法へのお導きができるように頑張っていきたいと思います。

南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)。

「仏法ひろまれ」

2011-10-27 21:06:38 | 日記
私の周りには可哀想な人たちが沢山います。

知り合いもそうですが、道行く人たちもそうです。

「皆阿弥陀様によって救われる」、

というのに、未だ仏法に機縁が無かったのか、

身の回りの些細なことで、一喜一憂しています。

私もその中の一人かも知れません。一凡夫ですから。

でも私は仏法に出会い、良き縁に恵まれました。

皆さんにも、これを機に、仏法に出会えるよう願います。

南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)。

今更ながらLiebeについて

2011-10-27 20:43:35 | 日記
以前のエントリで私は、

「meine LiebsteにしかLiebeを持っていない」、

と書きました。

Liebeを日本語にすれば、「愛」。

私は、日本語にすれば汎用される、「愛」、を使いましたが、

この場合には、「恋愛」、という意味で用いました。

日本語で、「愛」、と言えば、

「博愛」、「友愛」、「人間愛」、「慈愛」、など、いろんな意味があります。

「恋愛」、という意味においては、私はmeine LiebsteにしかLiebeを持っていません。

しかし、その他の意味の「愛」、は他の人にももちろんあります。

ただ、その場合においても、一番はmeine Liebsteです。

日曜か月曜まで会えないだけで、淋しいです。

ちなみに阿弥陀様の「慈愛」に対しては、「報恩感謝」の念を抱いています。

この点においては、阿弥陀様とmeine Liebsteに対して、ほぼ同等であると言っていいでしょう。

私が凡夫たるゆえんです。

また、YUIちゃんに対しては、「ファン」以上でも以下でもない感覚です。

言行不一致

2011-10-27 06:54:57 | 日記
前言を撤回します。やっぱり、「私はYUIちゃんのファン」です。

ごめんなさい。

一人でカラオケに行ったときには、YUIちゃんの曲を2時間で23曲歌っていたり、

ライブチケットの一般発売日には、パソコンの前で悪戦苦闘しながらもゲットできなかったり、

”Lock On”のPVを、「えぇなぁ」と思いながら視聴していたり、

”Separation”の歌詞を、「どんな曲になるんやろ」と思いながら読んでいたり。

「縁がなかった」んじゃなくて、「勝手に縁を切ろうとしていた」だけでした。

「後悔先に立たず」。本当にごめんなさい。

ご法話について

2011-10-24 22:58:16 | 日記
一つ前のエントリで書いたことをやってみようと思った。

つまり、聴聞にあずかったご法話について。

でも、ちょっと考えてみると、それはダメなのではないか、とも思えてきた。

ブログは解放されているから、みなさんに伝えていくこともたやすいはず。

しかし、私が聴聞にあずかったご法話は、

そのご法話をなされたお坊様のものではないかと。

その場にいなかった方々に対して、

まるで私がそのご法話を考えたかのように書いていくことは、

「是」なのかどうか。

私にとっては本当に有意義なお話で、伝えたくてたまらないのではあるが、

そこに葛藤が生じている。

では私にはいったい何ができるのか?

門徒の末席に座らせていただく、と言いながら、自らでは何もできない。

ご本山や各教区にはちゃんとサイトがある。

そしてそこにはすでにかなりの数のご法話が読める、あるいは聞けるようになっている。

興味がある方に対しては、各寺院でご法話が聴聞できるようになっている。

そんな状態の中、私がこのサイトでいったい何ができるというのか。

興味が無い方に対して、お勧めすることぐらいしかできない。

「一度、ご法話を読んだり、聞いたりしてみてください」、と。

自分の無力さ、小ささを再確認する。

ただ、私にいつでもどこでも寄り添っていただいている阿弥陀さまに往生浄土を約束され、

そのことを土台にして、この世での毎日を、ありがたく、そして私らしく生きていくことが、

使命だと、様々なご法話から、思わされた。

ご法話には、そのような力がある。

これは確かなことだ、とだけ今ここで私は言える。

みなさんもご法話に接してみてはいかがだろうか?

南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)。

ご法話を聴き、読むにつれて

2011-10-22 01:18:26 | 日記
私の家の宗教は、以前にも書いたとおり、浄土真宗本願寺派、である。

しかしわたしは、お西さんの事を大して知ることもなく、

他の宗教・哲学をかじってみた。

しかしやはり、しっくりとはこない。

一般的な、「日本人」、になってしまっているのである。

「無宗教」というより、「全方位的多宗教」、とでも言ったようなところに、

結局は立っていた。

そして、ようやく、元々の宗教であるお西さんの事を調べ始めた。

なんだかしっくりくる。

やはり先祖代々の宗教が、私の中にも、いくらかは、ちゃんと残っていたようである。

これこそが、「仏縁」なのかもしれない。

そして、私の所属する教区のご法話をまずは、聴き、読んでみた。

胸に突き刺さることばかり。痛いところを突かれる。

しかし、こんな一凡夫でも、阿弥陀様はお救いになろうとしてくださっている。

凡夫以下かもしれないが。

まだまだご法話は残っているし、ご本山のご法話もまだまだある。

これから私がどうなっていくか、そんなことは誰も知らないし、わからない。

ただ、阿弥陀様への信心を持ち続け、賜った現世利益を持って、日々を過ごしていけば、

なんとか今よりはましな生活が送れるような気がする。

ご法話は痛いだけでなく、ためになることがたくさん書かれている。

人間として生を受け、会い難し仏法に会い、

こうして浄土真宗本願寺派という元々の私の居場所に戻ってこれたことは、

やはり、阿弥陀様が見放されなかったこと、何とか浄土への往生をさせ、仏法の教化に当たるためにこの世へと戻ってくる、

そういった流れに、ようやくたどり着いた、というか戻ってこれた、ということになる。

仏道に精進するとは、阿弥陀様、七高僧様方、親鸞様、蓮如様、そのほかにも仏縁でつながれた方々、

そういった方々のために、衆生皆全て、救い取るための、微力ながらの言動、

そういったことを、できるだけ早く行うこと、であると思えた。

無関心であってはならない。しかし、今までのこのブログは殆どが、あまりにも利己的、自己中心的であったことを思い知らされた。

しかし、削除をすることは考えていない。

今までの愚かな言辞に対しての反省の意味も込めて、ここへきて阿弥陀様のお救いにあずかるためにも、

これまでの誤った道のりを反省するためにも、残しておくべきであると思うからである。

これからは、自分の言動に対して責任を持ち、浄土への往生を約束されたことによる現世利益を、

読者の皆様に対しても伝えていくことこそが、私の滅罪であると考えている。

煩悩の海の中で、完全に溺れきっていた私を助けて下さる阿弥陀様。

その御恩報謝のためにも、このブログは、内容を一新することになるであろうが、

続けていこうと思う。

できるだけ、直接ご法話に接することも考えていかなければならない。

たぶん、そのご法話と、それについての話が中心になっていくことと思うので、

今までの読者の方々にとっては、「面白くない」、と言われることが必至であろうが、

少なくとも、浄土真宗本願寺派の考えに対して(私の曲解もあるかもしれないが)、

触れていただくことができるのではないだろうかと、思っている。

強制ではないが、共感できることもあるかと思う。

少しでも多くの方が、浄土真宗本願寺派への帰依を考えるようになることを、望む次第である。

エントリも減るであることはまず必至であろうが、できることならば、このブログを読み続けていただきたい所存である。

南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)。

たばこ税

2011-10-20 05:00:36 | 日記
<たばこ増税>公明の山口代表が容認表明

毎日新聞 10月19日(水)21時25分配信

を読んで。


確かに、復興のための財源は必要だろう。

しかし安易にたばこの値上げに行ってしまうのはどうかと思う。

言っちゃあ悪いが、「馬鹿の一つ覚え」のような感じがする。

他の先進国と比べれば確かに安いのかもしれないが、

では、なぜ、先進国と同じ水準にする必要があるのか?

そこがわからない。

日本は自主独立の国家ではないのか?

いちいち先進国レベルに合わせていく必要性があるのか?

なら、消費税を20%にでもして、北欧諸国のように、高福祉政策でもやる、とでも言うのか?

その前にやることはあるだろう。

テレビなどでの、文化人の発言を聴いていると、

「公務員の給与削減」、「一般歳入以外の財源」、といったもので、十分賄えるようではないか。

なぜそこに切り込まない。

既得権益やら、お飾りとなってしまった民主党政務三役の下での、官僚たちに丸投げの結果ではないのか?

私の周りの喫煙者の中には、「わかば」や「エコー」など、低価格の煙草を、

「仕方なく」吸っている人たちがいる。

野田首相自身喫煙者であるようだが、こんな値上げぐらいでは、家計には響かないのだろう。

もっと低所得者層の喫煙者の事も考えてみてはどうか。

消費税だって同じことではあるが。

「官僚支配」は、自民党時代以上に強くなっているのではないか?

上層部の「天下り」、「わたり」、などが問題にはなるが、

期限付きではなく、「『一生』管轄省庁に関係するあらゆる団体への再就職は、これを禁ずる」、

とでも言ったような、少々手荒な事でもしないと、官僚はのさばるばかりである。

先述したが、知識人の方々によると、「復興に10年」、と言った考えで行くと、

現在の無駄な支出を復興に回すことで、十分やっていけるそうではないか。

「どじょう内閣」ではなく、「マリオネット内閣」である。

つづき?

2011-10-18 13:23:51 | 日記
あんま関係ないかもしれないけど、前エントリの続き?

ウオルト・ディズニーは、極右主義者。

アメリカであった、レッドパージ(共産主義者排斥運動)にも、積極的にかかわったという。

これによって、チャールズ・チャップリンが「共産主義者」との烙印を押されて、

アメリカから国外に出ざるを得なくなってしまったという。

「竹島」について

2011-10-18 12:42:22 | 日記
K-POPにTVドラマ、大ブームの主役たちが韓国に行けば……

「少女時代」が「独島は我が領土」を熱唱ほか 日本人が知らない韓流スターの「裏の顔」
(SAPIO 2011年10月5日号掲載) 2011年10月13日(木)配信

を読んで。


「日本には領土問題はない」、

と言ってしまってることに問題があると思う。

「日本固有の領土」、

とは言いながら、

北方四島はロシアに不法占拠されたまま、

竹島も韓国に不法占拠されたまま、

このままでは尖閣諸島も、中国に不法占拠されてしまっても、

多分日本政府は、

「抗議声明」、

を出すだけで、「実力部隊」、たる自衛隊を出動させて、

「自衛」をすることはないであろう。

まぁ、現在の日本人に、あまり領土問題が、大事(おおごと)、

であるとの意識が少ないのであろう。

「国防軍」ではなく、「自衛隊」。

そんな弱腰だからそういう風にもなってしまうんだろうな。

「交戦権を認めない」と憲法にあるが、

「自衛隊合憲派」、によると、

「他国からの脅威を排除することまでは禁じていない」、

との見解になってしまうようだ。

まぁ、明らかに自衛隊は違憲だが、

「平和憲法」、という割には自衛隊を国は認めている。

実際のところ、私は知らないのだが、

司法での自衛隊の存在はどう判断されているのだろう?

とにかく、日本には、

「領土問題が複数ある」、

事は確か。

先の大戦を一体いつまで引っ張るのか。

中国だって、「満州族」の「清」の領域を「我が国土」、

としているが、もともと「漢族」の国なのだから、

「明」代の領域こそが、本当の中国の領域である。

「朝鮮併合」をいつまでも引きずっているから、

竹島が不法占拠されてしまうのである。

韓流ファンも、一度、「少女時代」だけでなく、他の韓国人日本出張芸能人たちが、

一体韓国では竹島に対してどんな発言をしているのか、

チェックしてみてもらいたい、と思う記事である。

本願寺出版社 ~その後~

2011-10-09 15:37:22 | 日記
全くもって申し訳ない。

本願寺出版社、およびその関係者の方々、

ひいては浄土真宗本願寺派、およびその関係者の方々、

申し訳ありませんでした。

先に書いたエントリは、明らかに私のケアレスミスでした。

そんな単純なことで、誹謗中傷ともとれる発言をしたことについて、

心から、謝罪します。(何のことかわからない方は、まず、「本願寺出版社」というエントリを、お読みください。)


三連休の中日、ゆったりと過ごす朝に、青天の霹靂。

チャイムが鳴る。

出てみると、宅配便。

「誰からだろう?」、

と思ってその箱を見てみると、

「本願寺出版社」、

とあった。

受領して、中身を見てみる。

すると、注文した品が、ちゃんと入っている。

「メールは届かなかったが、注文だけは通ったのか?」、

と思い、用事があるので、何の確認もせず、そのまま家を出た。

用事を済ませ、帰ってきてから、チェックしてみる。

でも、やはりメールは届いていない。

ここである一つの嫌な予感が走った。

「もしかして、迷惑メール、に選別されたか?」、

その通りだった。

注文確認だけでなく、

その前の会員本登録用メールも、

「迷惑メール」として選別されていた。

全くのケアレスミスである。

日時を確認すると、ほぼ、すぐに返信されてきたようだ。

ここでもう一つ、嫌な予感が走った。

玄関へと急ぎ、ドアポケットを探ってみる。

あった。「不在連絡票」である。

日時は、

注文の翌日の朝、であった。

これは、おとといに当たる。

この二日間、ドアポケットを確認していなかったのだ。


本当に申し訳ない。

「縁」はあったのだ。

勝手に、「縁がなかった」、と切り捨ててしまっていた自分が悪い。

そんな思いを持っていたのに、ブックマークからは、

西本願寺関連のサイトを消していなかったこと、

そこにもまた、「縁」を感じる。

こんなことがあって、というかやらかしてしまって、

逆に、自分の中では、「より強い縁」、を感じた。

阿弥陀さまや、親鸞さまから、

「お前はれっきとした浄土真宗本願寺派の人間であり、それは、「縁」、であり、

これからはちゃんと心を入れ替えて、仏道に精進せよ」、と諭されたような気がする。


全くもって、ふがいない人間ではありますが、

浄土真宗本願寺派の皆様、私を末席に座らせていただきたいと願います。

皆様、よろしくお願いいたします。

本当に、今回は、申し訳ありませんでした。

英語?

2011-10-07 22:59:12 | 日記
をぉ、「学者先生」たちに対する疑問がまた出てきたぞ。

学校でもそうだけど、「英語、英語」とよく言われているが、

本当にそうか?

「英語」つまりは「イングランド語」が本当に世界で必要とされているだろうか?

「米語」じゃないのか?

まぁアメリカのものになって以後、日本はアメリカにすりすりしているが、

なぜ、「米語」ではなく、「英語」なのか?

"colour"とか"centre"なんてテストで書いたら、「×」になってしまう事もあるんじゃないのか?

「日本語」についていろいろと書いてきたが、「英語」においても問題があるのではないか?

なぜ「米語」に改称しない?本当にイングランドで通じるような「英語」を教えているのか?

アメリカで通ずるように教えているのではないか?

なら「米語」ではないか。

これは日本語の問題でもある。

以前、「国語」なんて言い方は日本でしかしないもので、教科名を「日本語」とすべき、

と書いたが、「英語」も同じようなものではないのか?

これは既に「慣用」ですか?「学者先生」たち。

このブログは、「お話」の総合商社、ですからね

2011-10-07 22:27:23 | 日記
一つ前のエントリと、現在の私、というものに共通することがある。

それは、「前期中等教育をベースにして、雑識(ざっしき:「雑学」と言うほどではない、「雑多な知識」)を積み上げている」、ということ。

ちなみに、小学校は初等教育機関、中学校が前期中等教育機関、高校(高等学校)は後期中等教育機関、大学が高等教育機関。

で、私の場合、高校で遊びほうけていたので、実際には、中等教育を終えていない、ということになる。

だから、高等教育領域であろう「論理学」だの、なんたらだの、というものは身についていないわけだ。

それで以前書いたように、「学者先生」たちにとっては唾棄すべきものか黙殺されるようなもの、

であろうと思うんだな。

ただの「雑識」、「疑似科学」の塊である、と普通は思うであろう。

一応は、裏付けがあるようなことを書いているつもりではあるが、

まぁそれも、「恣意的」、「独善的」と受け取られるであろう。

それもよし。

とか書いていると、また心理学の「学者先生」たちに「分析」されそうではあるが。

昔は真面目やったんやねぇ(自分でゆうか)

2011-10-07 22:05:13 | 日記
中学の理科の定期テストで、

「物質を構成する最小のものは原子である」、

という問題に悩んだ。

結局、「×」と書いた。

しかし、正答は「○」で、98点。

「○」にしておけば100点だったのになぁ、

なんていまだに思ったりもするんやけど、

実は当時、既に「素粒子」の知識を得ていたので、

「原子じゃないよなぁ。」、なんて思ってしまったんやね。

「物質を構成する」ことの定義が、那辺にあるのかが、

ちょっとわからなかったのかもしれない。

実際、「最小存在」を突き詰めていけば、

原子は陽子と中性子からできているし、

「原子が最小ではない」、と言えるのではないだろうか。

更にもっと細かい存在もあるわけで、

「最小存在」といえば、「電子」というもっと簡単なものも、

「アリ」、と言えなくもない。

まぁ物理にはそれほど詳しくはないので、

これ以上書きようもないんやけれども。

変に知識がありすぎても、アカン時がある、ってーことだね。

本願寺出版社

2011-10-06 18:06:42 | 日記
精神的支柱の一つとして、何らかの宗教を求めていた。

結果、興を惹く4宗教を一つにして、自分なりに構築しようとした。

書いたことがあるかもしれないが、

「四教合一(しぎょうごういつ)」、

という試みである。

結局、途中で挫折してしまい、各教の自分に都合のいいところだけを抜き出して、

場当たり的に、社会をとらえていた。

その4宗教は、キリスト教、仏教、老荘思想、儒教、である。

元々相反しているところもあったので、私には無理であることは当然かもしれない。

さて、そういう状態のまま過ごしていたが、

ちょっと気にもなった、家の宗教でもあった仏教の浄土真宗本願寺派(西本願寺)を、

とらえなおしてみたくなった。

宗教にはうとくても、結局葬式はこの宗派で行われるわけである。

それで、系列である「本願寺出版社」のサイトへ行ってみた。

会員にならなくても注文はできるのではあるが、

一応会員になっておこう、と思って、登録をした。

いや、しようとした。

しかし、本登録のために送られてくるはずのメールが、なかなかこない。

仕方なく、会員登録完了を待たずに、注文をした。

すると、そちらの確認メールもなかなかこない。

「小規模だからかな?」、

とも思った。アマゾンのように大規模ではないので、もしかすると、

全て手作業でやっているのかもしれない、などとも考えた。

まぁ真夜中だったことも原因かもしれないな、

などと考え、翌日の電話受付時間終了まで待ってみた。

電話をすれば、簡単に片が付くことかもしれないが、

一応ウェブ上でのことはウェブの中で、できるだけ済ませたい、

と考えていた。

でも、結局、多分終業時刻であろう、電話受付終了時間は、もう過ぎている。

こういった場合、怒りにまかせてクレームをつけるか、

陰湿に根に持つか、などなど色々と対処法があるであろうが、

私のとった方法は、違うものである。

「縁」が無かった、と思って忘れてしまおう、

というものである。

仏教にとって、「縁」とは大切なものである。私は一連の状況に対して、

まさに、「仏教的」に対処した、と思っている。

浄土真宗のうちでは、確か最大宗派であったと思う本願寺派であるが、

私はそこに対して、「縁」がない。

もう私に対して、「家の宗教」、としてのしかかることもない。

「私自身」が「縁」のない宗派に対して、何の制約も受ける必要が無い。

というわけで、私は今、無宗教(もちろん経験上、色々と、様々な宗教から影響は受けていて、これからもそうであろうが)である。

これから何らかの宗教に帰依していくことがあるかもしれないが、

当分はこの自由な環境で、「無宗教」として様々な宗教を、

その時々に応じて、精神的支柱として使っていこうと思う。

これはかなり楽だ。

ただ、「家の宗教」、であることでなかなか完全には忘れ去ることはできないし、

「いいとこどり」は浄土真宗本願寺派からもしていこうと思っているので、

はたから見れば、「陰湿に根に持っている」、と映るかもしれない。

このエントリ自体、そうとらえられても仕方がないともいえる。

まぁ、それ自体も含めて、「縁」、であろう。