一つ前のエントリで、
「身の回りの些細なことで、一喜一憂して」いる人たちがいる、と書きました。
「私もそうだ」とも書きましたが、この考え自体が、私の煩悩の発露かも知れません。
「この身そのままで、浄土へ往生させていただける」、という根源から言えば、
「身の回りの些細なことで、一喜一憂」することは確かに煩悩から出たものかもしれませんが、
それを指弾することは、全く意味が無いというか、阿弥陀様のお考えから外れてしまっているのかもしれません。
私はまだまだ入門者、と言えるような立場なので、あのようなことを言うのは、まだまだ時期尚早だったかもしれません。
まだまだ私はみ教えに対して、半歩入ったかどうか、というようなところで、傲岸不遜だったかもしれません。
もっと精進して、皆さんへ仏法へのお導きができるように頑張っていきたいと思います。
南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)。
「身の回りの些細なことで、一喜一憂して」いる人たちがいる、と書きました。
「私もそうだ」とも書きましたが、この考え自体が、私の煩悩の発露かも知れません。
「この身そのままで、浄土へ往生させていただける」、という根源から言えば、
「身の回りの些細なことで、一喜一憂」することは確かに煩悩から出たものかもしれませんが、
それを指弾することは、全く意味が無いというか、阿弥陀様のお考えから外れてしまっているのかもしれません。
私はまだまだ入門者、と言えるような立場なので、あのようなことを言うのは、まだまだ時期尚早だったかもしれません。
まだまだ私はみ教えに対して、半歩入ったかどうか、というようなところで、傲岸不遜だったかもしれません。
もっと精進して、皆さんへ仏法へのお導きができるように頑張っていきたいと思います。
南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)。