或る、統合失調症患者の独り言

Version 23,31. Jeder findet Liebe im Ende. - 宇多田ヒカル(私的ドイツ語訳)

例えば

2011-06-30 17:43:08 | 日記
冬でもないのに、パンツ一丁で、タオルを使って、自分の体をこすっている人がいる。

それを見て、「今の時期に乾布摩擦しとる」と一笑に付すのは、考えすぎで、愚かしいところまで来ている。

見た通りであれば、単に、「体じゅうの汗を拭いてる」ととるのが、まずは当たり前だろう。

こういった正見に基づかずに、邪見に従い、思考さえも誤りに導いてしまうのは、

人間、えてして、「ありがち」と言えるかもしれない。

但し、もちろん、「乾布摩擦している」、という考えを完全否定はできない。

ただ、まず最初に考えつくところと言えば、「汗拭き」、であろうと思われるのである。

「それでも地球は動いている」ではないけど

2011-06-12 10:01:32 | 日記
「それでも仏教徒である」と言える。

前述したが、愛染信仰を持っているので、仏教徒であることには変わりがない。

私の公式な宗派は、江戸時代的な寺院による戸籍的制度の名残り、未だに残る敗戦前の「家制度」の呪縛、によって、

変化はない。

しかし、実際に私が所依とするものは、密教をベースとした愛染信仰であり、

仏教の私的な解釈を進めていこうと思っている。

勤行は、「家の宗派」と異なるので、中断したまま。

ただ、参拝寺は超宗派的なところであり、私の信心とも合致するので、続けていこうと思っている。

しかし少し前に書いたように、今は「仏教の解釈」の前の「漢文の学習」の前の「古文の学習」の最中なので、

一寸Zielへは時間がかかるかな、というところではある。

仏教への「集金装置」視の原因

2011-06-12 09:15:45 | 日記
仏教団を「集金装置」として見たのには、一つ訳がある。

「布施」「喜捨」「供養」などといったものが、確かに私たち檀信徒に必要とされる行為ではあるが、

それだけで、「集金装置」視したわけではない。

あるテレビ番組によって、明らかとなったことによる。

僧籍にあるものでさえ、というよりも僧籍にあるものの方が、多額の金銭を必要とされるという事を知ったのである。

あまり詳しく書くとどの番組のだれの発言かわかってしまうかもしれないが、

どこが引っ掛かったのか書いておくと、

僧侶でも、ある宗派において、弟子をとれるような上位の僧階を得るためには、

1000万円かかるという。

確かにタダで僧階が上がっていくなんてことは、あまりないかもしれないが、

1000万もかかる、というのには驚いた。

もともと「市井の一凡夫」たらんと欲してはいたが、

あまりにも高額な金銭のやり取りがなされている、その宗派に対して、嫌悪感を抱いた。

それが、全ての仏教団において、そうだ、とは言えないかもしれないが、

この嫌悪感は全仏教団に対してのイメージとなった。

これが「仏教も集金装置」、という私の中での結論に至った次第である。

「茶柱が立つと、よいことがある」というのは嘘

2011-06-11 21:54:56 | 日記
「茶柱が立つと、よいことがある」、と言われる。

でもこれは、嘘。

茶柱は元はと言えば、茶葉の一部。

お客様に出すお茶に、茶葉が混じっていては、失礼にあたる。

それをえぇようにするために言い出されたこと。

茶柱が入っていても、吉凶の問題にすり替えてしまったわけやね。

まぁ今では茶葉が入っていても、そんなに気を使わなくなったと言えるかもしれない。

これがその一助になったのは確かだろう。

浄土と現世利益

2011-06-11 06:47:05 | 日記
こんなこと書いてしまうとなんだけれども、私は、「極楽浄土」、というものを信じていない。

このブログでも、何度かその片鱗は出てきたように思う。

「極楽浄土」を考えてみよう。

よく、「西方極楽浄土」、と言われる。

では、西には何があるか?

アジア、ヨーロッパ、大西洋、アメリカ大陸、太平洋、そして、また日本に戻ってくる。

いつまでたっても行き着く先はない。

また、仏教には「東方浄土」というものもあって、そこの盟主もいるようである。単に逆回転になるだけなので、繰り返さないが。

だから私は、「浄土信仰」、は持てない。

だから、「現世利益」、的な面でしか捉えられないのかもしれない。

ちなみに、「閻魔大王」は、最初に死んだ人、らしい。

何人だ?日本人?中国人?インド人?それとも仏教伝播地域や周辺地域以外の人か?

というか国がなかったころか?なら仏教もない時代ではないか?言い伝えか?だれか見てきたのか?

なんぼでも疑問は沸く。

まぁそんなに理屈をこねくり回さなくともいいんやろうけどね。

ところで、お寺で聞いたことがある。

「科学でわかるところは科学で解決すればよし。わからないこと、不思議なこと、そういったことを密教がうめてくれる。」と。

私の現在の個人的な所依するところがわかってしまうかもしれないが、

基本的に「現世利益」は全て密教から出ているわけで、顕教各宗派は、信者集めのために密教の一部を取り入れているに過ぎないのである。

上座部仏教は自己の成仏を目指す。

大乗仏教(顕教)は衆生を仏となすが、現世で功徳が衆生に利するようなことはない。

金剛乗仏教(密教)のみが、もともと衆生の現世での利益を約束する。

調べてみると、そうらしい。

振り返ってみれば、神社か密教寺院、あるいは顕教寺院であっても密教的存在・方法でしか願い事などはしなかったように思う。

何でも取り込んで、自分たちに都合の良いように改良してきた日本。

もともとの宗教であったはずの、やおよろずの神の神道さえもまた然り。

つまるところ、「日本人」、であることの再確認であるかもしれない。

おさらい(自己確認も含めて)

2011-06-11 05:28:21 | 日記
最近の私の宗教的立場を振り返ってみたい。

 Tolstoiによるキリスト教への教化
  ↓
 マザーテレサの言葉による母集団(仏教)への回帰
  ↓
 愛染信仰による宗派決定
  ↓
 安寧を求め同系列の大宗派への宗旨替え
  ↓
 既存宗教集団の集金装置的側面への嫌悪感による独自的仏教信仰への転回

この後を続けるとすれば、Tolstoiのような徹底的理解には程遠いが、

「仏典等の自己理解のための、古文・漢文の勉強し直し」、

「少し本末転倒なきらいが出てきた古文学習」、

と言えるだろう。

何か現在、古文を勉強することの方が楽しくて、そちらに重きが置かれているような気がしないでもない。

学生時代、「入試科目に古典が含まれていない」、という事も志望校選択の一つにしていたのに、

今更、その面白さに気が付いたと言える。

「古典」も、「外国語」の一つとして接しているのかもしれない。

だから最近、ドイツ語で書く事が少なくなってきたことへの拍車がかかった、とも言えるのかもしれない。

Aber manchmal schreibe ich etwas auf Deutsch.

Jetzt sind einige Mädchen im Fernsehen, die Deutsch sprechen können.

Ich bin damit zufrieden.

さ、日にちまたぎですな

2011-06-08 00:00:13 | 日記
さ、簡単に書くぞ。

最近の感じからして、ドイツ語で一切書いてない。

今度は繁体字(日本的に言えば、旧字・本字かな)がどうかってことを調べているし。

そろそろブログタイトルを変更すべきかな。

Aber ich möchte auch auf Deutsch schreiben.

Ich bin schräfrig, aber ich schreibe diese Sätze.

Auch morgen möchte ich sicher schlafen.

「リンカーン」見てたらこんな時間になった。

パソコンを立ち上げたのも原因の一つだろうけど。

二度あることは三度ある。

「これで、いいのだ」

日本語用漢字セットについて

2011-06-07 23:45:09 | 日記
意外と前エントリでは簡單に、自分の環境下に於いては、書く事が出來た。

と書いて居る處で、文字セットに無かった文字が出てきた。

「簡」は、「日」では無く「月」で暜段は書いて居る。

繁體字セットには有るのかも知れないけれど、

基本、中國語用なので、私の環境に於いては、出せ無いか、出し辛いのだろう。

獨逸語と同じ樣な物なのだろう。

「逸」も暜段とは違う。微妙な違いは流石に出し辛いのかな。

之繞も全部、貳點打ちたいのだが。

でもまぁ是だけ書けるのなら、充分とは行か無い迄も、

或る程度、納得は行くかな。

再び使おう。

「これで、いいのだ」

時たま迷うこと

2011-06-07 20:41:10 | 日記
壹體何處迄暜段の樣にネットで文字を使うのかって、

私にとっては、問題。

まず、壹行目がちゃんと表示されて居るかも問題だし、

表示されて居ても、讀めない人が居れば、其の文章自體の存在意義が無くなって仕舞うのでは無いだろうか?

だから出來るだけ易しい文字で、時には假名文字をやして書いて居る。

自己表現なのだから、違った用法も在るとは思うが、其の樣な事は餘り考え無くて良いのかも知れない。

全てが全て、漢字化して居る譯でも無いのだし。

バカボンパパの樣に、

「これで、いいのだ」

馬鹿飼い主と馬鹿犬

2011-06-05 23:08:50 | 日記
無駄吠えが続くので、眠れない。

ま、明日に差し障りがあったとしても、

十分理由になるし、こちらとしては何も困ることはない。

一寸ぐらいしんどくなったとしても、

明日の予定はどちらかと言えば楽なことばかりなので、

全くの馬鹿飼い主と馬鹿犬と言える。

私が一度どこで吠えているのか見に行ったときに、

一切吠えなかったのが、また恣意的で、ただの馬鹿なんだろうな。

一生やってれば?って感じかな?

恣意的にせよ、本当の馬鹿にせよ、オツムのほうがやられているんでしょうなぁ。

ま、今夜中やり続ける意欲があるかどうかですな。

単に寝入りを邪魔するだけなら、ある意味暴行罪ですな。

それで身体的、精神的にダメージを受ければ、

傷害罪になりますな。

町内会でも議題に挙げるべき問題になるはずなんですがねぇ。

もう一寸様子を見ましょうか。

私は別に完徹になろうが構わないので。

まぁ、「僕にはよくあること」、と言えるかも

2011-06-05 19:24:48 | 日記
先述した文言に、

「古文、漢文、サンスクリットは勉強しない」、

というものがあったが、またもや転回。

古文、漢文の勉強を始める準備を整えた。

一応、「漢文の理解のためには古文の知識が必要」、

といった文言があったので、先に古文の勉強を始めている。

何か楽しい。何で昔、勉強しなかったのかなぁ?

これを私の仏教観に活かすかどうかは、まだまだ先の話。

さぁ、どうなりますことやら。