或る、統合失調症患者の独り言

Version 23,31. Jeder findet Liebe im Ende. - 宇多田ヒカル(私的ドイツ語訳)

「国防軍」

2012-11-23 18:16:19 | 日記
自民党の公約、

「自衛隊」を「国防軍」に、

ということに批判をしている人々がいるものの、

自衛隊の存在自体が憲法違反と言えるのに、

ずっと、

「専守防衛」、

とか、

「武力」でなく「実力」、

と言うような欺瞞ですり抜けているだけの政治家や官僚以下役人たちが、

今更、

「国防軍」、

に異論を唱えても、

「はい、そうですね」、

とは言えない。


同じ敗戦国であるドイツでは、自国の軍隊の事を、

"Bundeswehr"、

と呼んでいる。

これをメディアなど、日本語訳をしている人々は、

「連邦国防軍」、

と訳している。

しかし、この単語の基礎語となる、

"Wehr"、は、

「防御」、「防衛軍」、「防御部隊」、

と訳される。

どちらかと言えば、元は「自衛隊」に近いではないか。

それを、「国防軍」と呼ぶ。

そこに違和感を感じる。


ドイツ語で「憲法」とは、

"Verfassung"、

と言うが、ドイツにそのような法律は、ない。

ただ、準ずるものとして、

"Grundgesetz"(基本法)、

というものがある。

調べればわかるのかもしれないが、

「国防」、

というものに対して、ドイツ基本法がどのようになっているのかは、

私は今のところ知らない。

だから同じ敗戦国といえども、

長きにわたって分断され続けていたドイツと日本を単純に比較はできないのかもしれないが、

「国防軍」、

と言う言葉に対して、

いちいち反応して、揚げ足取りのように批判するのはどうか、と思う。


「自衛隊」って、明らかに「軍隊」ですからね。

「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」

2012-11-22 08:31:41 | 日記
先日、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」を見に行きました。


ところで、Yahooのリンクの中に、

”「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」の満足度は?”、

というものがあります。11月28日までみたいなので、

興味のある方はお早めに。


で、私もそこに点数と文章を書いたのですが、

ちょっと早計だったかもしれません。


Yahooでは、Gyaoで「新世紀エヴァンゲリオン」(TV版)の無料配信が行われています。

水曜更新の3話ずつで、現在は(確か)、最終配信で、

第弐拾弐話・第弐拾参話・第弐拾四話、が見られます。

第弐拾伍話・第弐拾六話は残念ながら配信しないようです。


「エヴァ」と言った時には、

「TV版」、

「第25話・第26話暫定劇場版」、

「第25話・第26話劇場版」、

「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」(現在、4部作中第3部「Q」まで完成)、

があります。

だから実質的には、「TV版」と「劇場版」と「新劇場版」があるわけです。


で、今回、「新劇場版:Q」は見たものの、

Gyao最終配信分は見直していませんでした。

そこで発見してしまいました。

確かにガラリと舞台も展開も設定も変わってはいますが、

芯となるものは変わっていないことを。


「Q」の中でのセリフが、「TV版」で既に話されていたりもしました。


だから今書くとすれば、違った文章になるでしょうし、

点数(満足度)も変わってくるでしょう。


「TV版」ラスト2話は、制作が追い付かなくて、あのような形になった、

とも言われていますが、私は、「TV版」のラスト2話で充分、満足も納得もしました。

「劇場版」も良かったですが。


で、冒頭のYahooのリンク、に戻るわけですが、

ある方が、「庵野氏はディープなアニメファンを嫌っているので、

皆がかかっている『エヴァの呪い』から解放したい」、

といったメッセージが込められていると、おっしゃっていました。


しかし、上述のように私が気付いた「TV版」の中で、

既に「ディープなアニメファンからの卒業」を促しているのです。

配信されない第弐拾伍話・第弐拾六話は、はっきり言って、

「メッセージ性」といったものではなくて、そのままの、

「メッセージ」の塊なのです。

だから第弐拾六話の最後にシンジは、皆から、

「おめでとう」、

と言われるのです。つまり卒業した、「大人になった」、わけです。


しかし上述のような理由などで、逆に騒がれるようになり、

「エヴァ」は社会現象にまでなってしまいました。

だからこその、「新劇場版」なのかもしれません。

再び、「ディープなアニメファンからの卒業」というメッセージが「新劇場版:FINAL」にて、

表現されるのかもしれません。

ついでなんで、一つ書いておきましょう

2012-11-19 00:30:02 | 日記
ちょっと時期が遅れましたが、

「週刊朝日(=朝日新聞)」VS「橋下大阪市長兼日本維新の会代表代行」、

というものがありましたね。

朝日の完敗に終わりましたが。


「差別」と言えば、「ホンマに今でもそんなことあるんや」、

っていう印象があります。前時代的な感があるのですが。


学校で習いませんでしたか?「士農工商」。

実はこれ、正しくはないのです。

当時(江戸時代でしょうな)、実際に使われていた言葉は、

「士農工商穢多非人」、

なのです。

この、「(えた)」と「()」が、今でも続く、被差別民を指します。

こういうところを授業で取り上げないというのも、

「クレームが来そうなものは出さずにおこう」、「現代の子供たちには隠しておこう」、

といった意図が、教育関係の役人、教員の中にはあるのでしょう。


江戸時代、結局は商人が栄え、農民は苦しみました。

階級制度を作り、「農民」は、「「武士」の次に偉いんだ」、

と言いながらも、実際には農民たちは苦しみ、耐え忍びました。

耕作放棄をして、都市へと逃げ込む人々も多かったようです。

しかし、更に下の、「」「」と言う被差別階級を作ることで、

少しは農民たちの心を鎮めようとしたのです。

「俺らより下の奴がいる」。

これは現代に於いて、「勝ち組」「負け組」とか言いたがる人たちに通じると感じます。


「人間に、上下など無い」。

これが真実のはずです。

結局は皆、一人で生まれ、一人で死んでいきます。

真宗的にも、「御同朋御同行」と言う言葉があって、

「人間皆平等」、なのです。

親鸞聖人は、自身ではお弟子をとりませんでした。

皆、「御同朋御同行」、なのです。

等しく生まれ、等しく死ぬ。


未だに続いているからあんな記事が出たのでしょうが、

「被差別」というものは、ちょっと考えれば、何の意味もないことぐらいわかりそうなものです。

人為的に階級を作っただけで、職業制限、結婚制限、などといった、

理不尽なことが横行しているだけに過ぎません。


「被差別民」を未だに、「自分よりも劣る」等といった考えを持っている人たちは、改めるべきです。


似た例として、と言うかもっと凄いものとして、

インドのカースト制、があります。

これは一般的には数段階しかないように教えられてきましたが、

実際には、その中に、さらに細かい階級が存在し、職業制限や結婚制限などが、

事細かに決められているそうです。

ただ、皮肉なことに、それが功を奏した、とも言えるのです。

それは、「IT産業」です。

これはごく最近に出来た職業ですから、カーストの中での制限はされていません。

だから、どんなに身分が低かろうと、自身の力で、IT関連産業で腕を振るう事が出来ているのです。

インドの急成長、将来は中国をも抜き去ると言われているほどの力は、ここから出てきたのです。

これは、カーストをうまく逆手に取った、低い階級の人たちの「勝利」と言えるでしょう。


とにかく、未だに日本に於いて、「差別」というものが存在し、

有名人だからと言って、その出自までさかのぼって、「叩いてやろう」、

なんて考えがあることが信じられません。


橋下氏については、石原慎太郎氏との合流によって、

「維新」の内容がグラついてきた、と言えますし、

メディアの突っ込みどころはそこでしょう。

出自まで掘り返す、というのは、ちょっと行きすぎましたね。

「Herr Bleistift」は一時お休み

2012-11-18 23:29:09 | 日記
一気に更新が少なくなったこのブログですが、

途中、ツッコミたいことや、自論、私生活上などでの書きたいことなど、

別に無くなったわけではありません。

単に、更新を控えていただけです。


思うところあって、この「Herr Bleistift」は、一時お休みにします。

でもまぁやっぱりどうしても書きたい事が出てきたりはするでしょうから、

「Interlude」とブログ名を改め、どうしても、と言う際に書こうと思います。

ではでは。